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七人のドワーフの物語
昔々、或る森に七人のドワーフが住んでいました。
彼らは毎日鉱石を掘り出し、薪を割ったり、魚を釣ったり、時には獣を狩りながら過ごしていました。
とても穏やかな日々でした。
或る日、いつもの様に彼らが鉱山から仕事を終えて家に帰ると、異変が起きていました。
人間の娘が居たのです。
七人は驚きました。人間などと普段は全く関わりを持った事が無かったからです。いえ、寧ろ関わりたくなど無かったのですから。
何故なら人間という種族は、彼らドワーフの愛する森を切り開きます。薪にするだけではなく、家を建てるにしても、畑を作るにしても、どんどん森の木を切り倒すのです。
そして、獣達を狩っていきます。生きる為に肉を食べ、皮を剥いで温かい服を作るだけならまだしも、遊びで獣を狩る者もいます。
それに、洗濯をすれば川を汚しますし、必要以上の魚をとります。
鉱石を採っても大地の声を聞かないものだから、落盤などを引き起こしますし、あかがねの毒が川に流れ込むのも理解しないのです。
そんな碌でも無い種族の娘が何故かドワーフ達の家にいたのです。
「お前さんは一体誰だ? 何故私達の家にいるんだ?」
娘は、近隣の村の者でした。豊かな家で何不自由なく倖せに暮らしていましたが、新しく来た継母に疎まれ、ついには殺されそうになって逃げているうちに、この森に入って迷ってしまったと言うのです。
話を聞き、七人のドワーフは皆、娘を哀れに思い面倒を見てやる事にしました。
娘は感謝し、精一杯彼等に尽くしました。
贅沢に育てられた娘でしたので、初めは当たり前の事さえ満足に出来ませんでした。火の起こし方も、掃除の仕方も、シチューの作り方・着物の繕いまで、教えられなければ出来なかったのです。
しかし、ドワーフ達は七人の誰も不満は言いませんでした。
娘の感謝は真のものだったからです。
「あれは中々良い子じゃないかね」
ドワーフ達は皆、倖せでした。何十年、何百年と生きてきた彼らでしたが、こんなに楽しい時間は過ごした事がありませんでした。
そのようにして数年があっと言う間に過ぎました。
或る日の事、森に再び人間が迷い込みました。
今度は青年でした。ちょうど娘と同じ位の歳の若者です。
ドワーフ達は、二度目でしたから余り警戒もせずに家に滞在する事を許しました。
そして、数日がたち、七人は、娘が急に美しくなった事に気付きました。
彼女は青年に恋をしたのです。
青年も、真心をもって娘に応えていました。
誰からとも無く、ドワーフ達は小さい溜息を付き、淋しそうに笑いました。
「まぁ、仕方ないな……」
結ばれた二人は、何度も振り返り振り返りしつつ、森を去っていきました。
七人は泣きながら見送りました。
娘も青年も、二度と森には戻りませんでした。
―――その後、七人のドワーフがどのように暮らしたか、誰も知りません。ただ、「倖せであった」とだけ、伝わっています。
「…おにいちゃん」
妹に呼ばれ、鬼太郎は「ん?」と応えた。
「ユキわからないよ。なんでドワーフさんたちは、しあわせだったの? さびしいんじゃないの?」
納得できない、といった表情で雪姫が尋ねる。
砂かけ婆からもらった例の本を、毎日一話ずつ鬼太郎と目玉親父が雪姫に読んでやるのが、この家の日課となりつつあった。
今日は西洋の、人間史で言えば中世を舞台とした昔話だった。ドワーフと人間の交流が淡々と綴られているその話を鬼太郎が読んでやっている間、雪姫は兄のひざの上でぎゅっと拳を握りながら真剣に聞いていたが、最後で首を傾げていた。
「さあ…何でだと思う?」
半ば予想していた質問に、にこっと笑って鬼太郎は尋ね返す。もとより彼に答える気はなかった。
「……ん…わからない」
鬼太郎は苦笑する。彼自身が体験してきた道を今は妹が通っている。鬼太郎も父に同じように言われてきたのだ。父曰く、この類の話に疑問を覚えるのならば―――
「…そのうち解るよ」
―――答えは自分で見つけるべきだ、と。
「ですよね、お父さん?」
水風呂に浸かりながら「うむ」と父が応える。微妙な笑顔なのは、昔を思い出しての事だろう。
「しかしその話、人間達が変えてしまった物の方が後味がすっきりしとるのう」
苦笑しつつ鬼太郎はうなずいた。
どうやらこの異種間の交流の話は有名らしく、人間達の間にも類似した話が伝わっているのだ。もちろん、内容に違いはあるのだが。
人間達の間では、当然ながら人間である娘にスポットが当てられている。裕福なだけの村娘は姫君に、継母は魔女になり、姫君は毒のリンゴを食べてしまう。そして、単なる青年ではなく異国の王子が森にやってきて姫を蘇らせ、二人は結ばれる…。
娘に倖せであって欲しいという人々の優しさが詰まっている訳で、文句をつける気は無論ないが、最後以外こうも変わるものかと感心する。
「ま、お陰で雪姫も『雪姫』なわけじゃしな」
本を片付ける妹を見つつ、父の言葉に少年は短く笑った。
―――何でドワーフさん達は倖せだったの?
脳裏にたゆたう雪姫の問い。
可愛がっていた娘が去った後、ドワーフ達はそれでも「倖せだった」と伝わっている。幼い頃なら、きっと自分も妹と同じ疑問を抱いただろう。
けれど、さすがに半世紀近くも生きていれば分かる。…分かるつもりだ。
―――ドワーフ達が「倖せだった」のは、淡々と流れる彼らの日常に、『宝』を得たからだ。光り輝く『想い出』という宝……。その後も続いたはずの何十何百という年月より、娘と暮らした数年は、七人にとって、いつまでも特別であったに違いない。
妖怪は一般にそうだが、人間とは桁の違う齢を歳経たものであり、経ていくものだ。だから、その生の記憶の「密度」とでもいうものが薄い事が多々ある。
十年前の事でも、百年前の事でも何ら変化無く淡々と生きていた事しか思い出せない…そんな者達は多い。
…僕は、今の所そんな事はないけど……
執着が無いと言えばそうなのかも知れない生き方を、いつかは自分もしていくのだろうか? 日々を無駄に生きる事とは決して違う、けれど今の自分にはまだ理解できぬ生き方を……
おはじきを取り出し、次の遊びを始めた雪姫の横顔をぼんやりと眺める。傍らには茶碗風呂でくつろぐ父の姿。かけがえの無い穏やかな、縷縷と続く変わらぬ日々。
僕らは…僕は…あとどれぐらい生きるのだろう……?
―――そうよね。
…え?
―――そうよね。鬼太郎はいつも一生懸命だもんね…
不意に脳裏に蘇ったねこ娘の言葉。
…何で、だ?
一つの記憶は連鎖を起こす。
―――何でって、だってもうす……ぐ…
チャポン
水風呂から父が上がった。
「…お父さん、」
「ん?」
「この時期、何かありましたっけ?」
タオルを渡しながら尋ねると、父は「ふーーーむ」と唸った。
「実はワシもいまそれを考えておったんじゃよ」
身体をふきつつ、「何か大切な事を忘れておるようでな」と目玉親父は言う。鬼太郎は首を傾げた。
「…大切な事?」
有ると言われれば有るようにも思うが、それが何なのかは鬼太郎には思い浮かばなかった。ただ、考える都度ねこ娘の顔がちらつく。どこか淋しげなあの顔が。
―――だってもうすぐ…
「大切な事……」
その時、外で絶えず鳴いていたセミの声が止んだ。
…カタン
聞きなれた妖怪ポストの音がした。
事件か…?
立ち上がり、木戸を開けると、遠く向こうに走ってゆく赤い影が見えた。
あれは―――!
「…ねこ娘!」
その声に一瞬だけ少女は振り向く。驚いた表情が、少し困ったような照れたような…はにかむ笑顔に変わる様は、つぼみが綻ぶようだった。
紅のスカートとリボンに鮮やかな軌跡を描かせて、少女は再び駆けていく。
鬼太郎はハシゴも使わず飛び出したが、距離がありすぎた。追いつく事が出来ぬまま、ねこ娘の姿は森の中に消えた。
「ねこ娘…」
再び、セミの声だけが辺りに響き始めた。
※
ポストの中に入っていたのは小ぶりな箱だった。開けたポストに丁度入るくらいの大きさだ。
「ふむ…開けてみぃ。鬼太郎」
うなずいて、ふたをそっと取る。
「わあ…!」
横で見ていた雪姫が歓声を上げた。入っていたのは可愛くラッピングされたたくさんのクッキーだった。
「きれいー! あ、ネコのかたちしてるよ! かわいいなぁ…」
包みから透けて見えるクッキーは、雪姫の言う通りどれも皆ネコの形をしていた。
これって確か…、あの日食べさせてくれた……
箱を覗き込んだ父が「うん?」と呟いた。
「鬼太郎、まだ何か入っておるようじゃぞ」
箱の中に残っていたのは…
「カード?」
薄緑色のカードが一枚。「お前宛てのようじゃな」と父が言う。ひっくり返して見ると、なるほど『鬼太郎へ』とある。
僕に…?
開く。
書いてあったのはたった一行―――。
誕 生 日 お め で と う
「あ……」
そうか…今日は僕の……
サワサワと風が通り抜けていく。
本人すら忘れてたのに……
鬼太郎はゆっくり目を伏せた。
不思議そうに「鬼太郎?」と呟く父に、彼は静かにカードを渡す。
「…そうか。さっきから引っ掛かっておったのはこれじゃったか…。よりによって、ワシが忘れるとはのう…」
情けない父親じゃ…と呟く父に、「いいえ」と鬼太郎は首を振った。
「僕自身忘れてたんですから…そんな事言わないで下さい」
何故だか泣きたい気分だった。
「ねえ、どうしたの?」
「雪姫、今日はな、お兄ちゃんの誕生日なんじゃよ」
一瞬きょとんとした雪姫は、次の瞬間、満面の笑みになる。
「おめでとう、おにいちゃん!」
父が照れくさそうに微笑む。
「ワシからも言わせておくれ。鬼太郎、おめでとう…」
「……ありがとう。ユキ、お父さん…!」
延々と流れゆく日々の中、それは大切だと思える事だった。特別だと思っても良い事だった。
嬉しかった。それを見つけられた事が、気付かされた事が、そしてそれを教えてくれた少女に会えた事が―――。
鬼太郎はカードをそっと閉じた。森の緑と同じ色のそれを胸ポケットに直す。
「…あ、そうだ。折角クッキーもらったんだし、焼き立ての内に皆で食べましょうか!」
「し、しかし、お前がもらったプレゼントなんじゃから…」
「いいんですよ、お父さん! あ、ユキ、お皿出してくれ。兄ちゃん、お茶の準備するからさ」
「うん!」
どこまでも透き通って、それでいて力強さを感じるような、そんな青空の下―――。
時が流れる。穏やかで楽しい時が。
例えこれが縷縷の日々のほんのひと時にすぎないとしても……
―――ありがとう、ねこ娘…
Fin.
