陰のお祭り



 たまたま立ち寄った町の、今日は祭りの当日なのだそうだ。
「へえ、凄い賑わいだ!」
 ダイのはしゃぐ声にポップも嬉しくなる。この町にして正解だった。路銀もそこそこ持ってきたし、祭りに参加しないという手はない。

 ふらっと二人で数日の骨休めのために旅に出た。互いに各地の復興のために忙しい日々だが、大きな案件が一段落すれば、こうしてまとまった休みが取れる事もある。
 自宅でのんびりとも思い、好きな女の子を遊びに誘おうかとも思い、それでも何となくお互いに「たまには昔の、一番最初のように」と相手を考えたのだ。
「よし、じゃあ出かけようぜ。」
 ポップは以前訪れた小さな町に瞬間移動を唱えた。この辺りはまだ相棒と一緒には訪れたことが無いから、というのが理由だった。

 野菜市が開かれているのだとばかり思っていたがそうではなく、この地に昔から伝わる伝承でカボチャがよく使われる事から昼間は半ば自然発生的にに野菜をメインとした市になってしまう、というだけらしい。
「ポップ、これを知ってて連れて来てくれたの?」
「いや、偶然だよ。…へえ、面白いなあ。夜は仮面被るんだと。」
「仮面?」
「仮面ってか仮装か? ほら、あの店。服屋…貸衣装屋だな。」
 きょろきょろするダイに、ポップは先の方にある一件の明るい色合いの店を指さした。その方向には立て札もあり、祭りの由来が書いてある。
 どうやら、祭りの夜は仮装パーティーらしい。顔全てが隠れるようなものは警備上禁止されているようだが、目元までを隠して色んな被り物をしたり、顔にペイントをしたり、もしくは奇抜な衣装で、ひと夜を別人となって楽しむのだそうだ。もちろん、町の住人以外でも参加は出来るし、仮装は義務ではない。だが、変装という面白い企画に乗らない者は少ないのだろう。野菜市のそこかしこに、既に被り物をした人々が紛れている。
「ダイ、せっかくだ。オレらも変装して参加しようぜ。」
「ええ?!」
「とりあえず、あの店にGOだ!!」

 夕闇が迫ってくると、町の人々はランタンに灯りを灯し始めた。これが変わっていて、昼間たくさん売っていたカボチャをくりぬいたランタンなのだ。中にはくりぬき方を工夫してあるものもあって、まるで人が被るかのように目鼻口の部分に面白い形の穴を開けてあるものもある。
 伝承の主人公がカボチャを被って彷徨う男なのだそうだ。名前も伝わっていないその男は、現世にしがみつくあまりに地獄の門番も天の門番も騙してこの世に戻り、いよいよ本当に死を迎えた時にはどちらにも迎え入れてもらえなかったのだとか。魂だけでは不便だけども身体はもう無いため、故郷でよく作って食べていたカボチャに魂を宿して仮初のカラダを得、この時期の満月の夜に彷徨い出でて、彼と、彼の友人である一緒に異形の者たちも束の間の現世を楽しむのだという。
 子どもたちはこのカボチャのくり抜きを模したお面をかぶる子が多い。もしくはスライムやドラキーなどといった余り脅威にならないモンスターの被り物だ。小さな手になけなしのお小遣いを持って、夕方から開きだした露店に菓子を買いに走っていく。それを見ていると、カボチャもまるでモンスターの一種のようだった。

 広場のベンチでそんな風景を見ながらポップは目を細めた。町の者に聞いた話を思い出しながら、血生臭かった数か月前までならば世界のどこにもきっと無かっただろうこの光景に喜びを噛み締める。
 長かった戦いは勇者ダイの勝利で幕を降ろした。その過程でポップは二人の友を失っている。一人は神の力の欠片を秘めた、小さな黄金色の奇跡そのものといった存在だった。そして、もう一人は――

 西の彼方、地平線に太陽がかかる。
 これから夜にかけてが祭りの本番なのだと言う。夜闇に彷徨い出でる者たちの。決して日の当たらぬ者たちのための太陰の下での祭り。
 カラーン カラーン
 村はずれの教会が、鐘を鳴らした。
「…もう一杯エール買いに行くか?」
「いや、いいよ。もう充分飲んだから。」
 ダイは首を横に振った。「それに、これ、ちょっと飲みにくいしさ。」と被り物を指して苦笑するのを、ポップはただ笑う。
 ポップが買い求めて被るのはしゃれこうべだ。それは鼻部分までを覆い隠すようなヘルメットの形をしているが、ポップの買ったものは頭蓋の部分が半ば割れた意匠で、そこから彼の特徴的な前髪が跳ね出ている。また、一目で祭りだという事をわからせるかのように白い地に鮮やかな色で花や飾り文字で装飾が施されていた。
 沈みゆく太陽が投げかける光に照らされて、夜に外で遊べるという特別な日に湧き立ちはしゃぐ子どもたちの影が長く伸びる。カボチャの影が、モンスターの影が、踊るようにポップとダイをよぎっては光と影を交互に投げつけてくる。
 何して遊ぶ? 鬼ごっこ! かくれんぼ!
 そんな元気で仲の良い声と共に。

「平和になったんだな…。」
 ぽつりとダイが呟いた。ポップより頭半分高いところにある彼の顔は、竜だった。かつてアバン先生がドラゴラムで見せたような火吹き竜を模したもの。こちらは仮面ではなくすっぽりと被る形で、鋭い歯を持つ竜の顎からダイの表情がちらと見える。
「そうだな。こうやってお祭りをして…ちっさい子どもも夜に走り回れるんだもんな。」
「ああ…。」
「こんなカボチャの使い方なんて面白ぇよなあ。オレの故郷の辺りじゃ、この時期のカボチャは半分に切ってから中身をくり抜いて、スープの具にするんだ。」
「へえ…外側は?」
「串をこう何本も刺してな、虫籠にするんだ。秋の虫は歌う奴が多いから、スズムシとかな。カボチャは籠とエサを兼ねてんだよ。」
 風習というよりは、子どもの遊び方だけどなとポップが身振りを交えて説明すると、ダイは微かに笑ったようだった。
「そうなのか。」
「………ダイ?」
 その静かな反応にポップは形容しがたい何かを感じてダイを呼んだ。
「ポップ、最近はどうしてるんだ? その…彼女とは仲良くやってるのか?」
 感じた違和感の正体を確認する前に、恋人との事を聞かれてしまう。
「は? マァム? 仲良くやってるさ。当たり前だろ。あいつも手が空いてりゃ誘ったんだけどなあ。お袋さんとどうしても一緒にやらなきゃなんねえ用事があるんだと。」
 ダイにしては妙な事を尋ねるものだ、と思う。自分はマァムと二人でパプニカやデルムリン島に訪問することが多いのだから、仲良くしていることはちゃんと知っているだろうに。

 そもそも、この町に来る前にもそれは確認したはずだ。

「………オレたちよりお前はどうなんだよ。」
「え、オレ?」
 きょとんとした声、その言い方もトーンもいつものダイそのもの。
「そうだよ。姫さんに無茶振りされてねえのか? まあ姫さんはずっとダイを待ってたんだから、ちょっとくらいは我儘に付き合うのも当然かもしれねえが、それでもやっぱり、無茶は良くないからなあ。」
 言いながらポップは頭を振った。いつものダイそのもの――そうとしか思えないのに目の前の友人に僅かな焦りを感じるのは、自分の疑念ゆえでは無いとポップは思う。
「さあ……オレにはよくわからないな。その、ひ…レオナの仕事は難しいから。」
「………そうか…、お前ら、芝居が下手なのはそっくりだな。」
「え…」
「久しぶりだな、ディーノ。」

 確信をもって、その名を呼ぶ。

 大戦でポップは友人を二人失った。一人は神の力の欠片を秘めた、小さな黄金色の奇跡そのものといった存在だった。
 そして、もう一人は――彼だ。

「参ったな…こんなすぐに気付くのか、魔法使い。」
 それはもうダイではなかった。大戦の最中に失われた、ポップのもう一人の友人、ディーノだった。
 ダイが父バランによって記憶を封じられ、連れ去られた後に芽生えたもう一人の人格だ。父の言葉のままに人間を憎み蔑んで大勢殺戮し、幾度もポップ達勇者一行(勇者がいないのに妙な話だ)と刃を交えた少年だった。

 ※※※※※

 竜の顎ごしに、自分を静かに見つめる青年の顔をディーノは見返す。
 この青年の、この視線に自分は弱いのだという自覚がある。 

 かつて、ポップだけは諦めなかった。

 ディーノの中にまだダイの心が残っていると信じるのは、勇者の仲間たち皆に共通していたようだったが、ポップだけは『ディーノ』をずっと説得し続けたのだ。
 もちろん、ダイが返ってくるならば嬉しいだろう。勇者一行の想いは当然のことだ。
 だが、ポップだけは少し違っていた。
 ディーノとて父親であるバランに人間への憎しみを植え付けられたというだけの、ただの十二歳の子どもに違いない――彼はそんな風に公言して、戦場で会うたびに自分を説得にかかったのだ。
 最初は耳も貸さなかった。母ソアラが人間の愚かさで亡くなったのは紛れもない事実なのだから。
 だから躊躇なく斬りかかった。止めはさせなかったが、致命傷といっても良いほどの傷を負わせたこともある。
 自分のその様子に父は安堵したのか、アバンの使徒との決着をつけるのは自分でやりたいという意見はすんなり通り……その後は何度も痛み分けの結果が続いた。
 その都度ポップは自分を説得にかかった。鬱陶しいと苛立ちながらも、戦う前に会話をする事が増えていった。
 剣士ヒュンケル、武闘家マァム、そして魔法使いポップといったアバンの使徒だけでなく、それに力を貸す獣王や魔族、モンスター、パプニカの姫を中心とした後方の人間達。……皆、いい奴だというのが自分の中に芽生えた感情だった。死なせたくない、とも。
 今になって思えば、それはポップが幾度も説得をし続けてくれたからだ。
 父と自分と敵という単純な分け方しか無かった世界に、徐々に色が付き、簡単に聖邪が分けられる訳もないのだと知り、そして、自分の攻撃で滅んだ町で、母親を亡くして泣く幼子を、子どもを庇って死んだ父親を見せられたのが止めだった。

 脳裏ではずっと泣き声と怒りがあった。封じられたダイの心だ。主人格であるダイは自分の行いをずっと見てきた。
 『許さない』『許せない』と自分と父に対してずっと、怒り泣いていた。
(ごめん。)
 謝ったのは、ダイに対してもあり、殺してきた者たちに対しても、だ。
 気付いてしまえば無理だった。罪の重さに耐えられなかった。自分の存在の歪さにも。
 父を説得出来るとも思えない。だからと言って、父に反抗して剣を向ける事も出来ない。自分の存在を父だけは望んでくれて愛してくれているのだ。自分も父を愛しているし、そして…人間を憎めなくなった自分を父が厭うのも耐えられなかった。
(もう、全て終わらせてしまいたい。)
 逃避だとわかっていても、もう無理だった。
 だからポップに最後に会った。自分が『眠る』事を決めれば、ダイが蘇る。それはわかっていたのだ。だから最後に会いたかった。
 ポップだけが『ディーノ』を説得してくれたからだ。
 父以外に自分を見ていてくれた唯一の存在だったかもしれないからだ。

 別れを告げた自分にポップは言った。

『…なら手向けをやる。オレの名をやる。お前…親父さんに言われたんか知らねえが、オレらを誰一人として名前を覚えなかっただろう?』
『魔法使い…。』
『ほらな。ま、お前がそれで呼ぶのオレだけだったから、悪くねえとも思ってたけど。』
『…すまない。』

『オレの名前はポップだ。』

『ポップ…。』
『ああ。お前が、ディーノが、ちゃんと向き合って作った、人間の、ダチだ。』
 言い含めるように、それは告げられた。決して『ディーノ』が忘れないようにとの思いが伝わってくる。
『友達……ポップ…。』
『お前というダチがいたことを、オレは忘れない。ダイがお前になっても、お前がダイになっても……何度お前がオレを忘れても。オレは何度でもダチになってみせるから。だから安心しろ。』

 そう告げてポップは笑ったのだ。
 あの笑みに自分は救われた。この歪な存在は、名を捧げてもらえるだけの意味がある生だったと、言ってもらえた気がした。

『……友人が出来たら…未練ができたと言ったら…ポップは困る、よな?』
『……ダチが増えて困ることってあるのか?』
 あの時の自分は情けない顔をしていただろう。
 『ダイ』の事をこそポップは求めているはずなのに。それでもそのように言ってくれるのか、と。
 だが嬉しさと感謝だけではなかった。友となってくれた魔法使いに告げる事の出来ない――告げるべきではないだろう想いが胸にあった。しがみ付きたくて、求めたくても、消える自分が告げてはならないと、そうわかってしまう思いが。
『友達でも…充分だ。』
 名をくれたのだから。
『ディーノ?』
 そして、自分を呼んでくれるのだから。
『この想いだけは…残しておきたいと…思う。』

 そうして自分は眠りにつき、ダイが蘇ったはずだ。
 魔王軍に封印されていた勇者ダイとして、復活した後はきっとポップ達仲間と共に戦って平和をもたらしたはずだ。副人格である自分にはダイの行動はわからない。それでも眠りつつ感じていたのは明るい優しさだった。どのような辛く悲しい感情の波動にも、包み込むような安らぎをダイはいつだって受け取っていたのだ。
 きっとそれは勇者の仲間たちから与えられ受け取ってきた多くの絆だろう。中でも絶対的な絆があるとすればそれは、ポップとのものに他ならない。

 羨ましい。だが仕方のない事だ。
 ダイとの絆があるからこそ、ポップはきっと自分の説得もしてくれたのだから。
 偶然の産物に過ぎない自分でも友と呼んでくれるほど情の篤い男に会えただけでも僥倖じゃないか。
 名前だってくれたのだから。
 だからこれで――満足しなければ。 

 どうしていまこの時、自分が表に出てきたのかはわからない。
 永遠にダイの中で眠り、二度と会う事などないだろうと覚悟を決めたのに。だというのに――

「久しぶりだな、ディーノ。」

 ――そのように呼んでもらえたら、その瞬間に湧きあがったのは、歓喜と同時に欲だった。

 ※※※※※

 発す声も表情も何もかもダイだというのに、中身が違うだけで雰囲気がガラリと違うのは、逆にポップには有り難かった。
(……おかげで間違わなくて済む。)
「まあな。ダイもそうだけど、ディーノ、お前も隠し事下手すぎるぜ? …とは言ってもいつからなのかは知らねえよ。」
 この町に着いて色々と見て回っていた時はもちろん、ついさっきまで何の違和感もなかった。

 おそらくは太陽が沈みかかってから。
 誰そ彼時とも逢魔が時ともいうこの時刻、そしてこの伝承のある場所だからこそ。

 それがどういう風に作用したのか、などは今の自分にわかるはずもないけれど。
 確かな事は、あの日、泣きそうな顔で笑って別れを告げた友人が、いま再び表に出てきたという事だ。
「オレも、はっきりとはわからないさ。気が付いたらここで、お前と話していたんだ、魔法使い。」
「ふぅん…てかお前、また戻ってるぞ『魔法使い』呼びに! 名前を呼べ、名前を!」
 そう言ってやれば、ディーノは明らかに動揺したようだった。

「…ポップ」
「おう」
 恐る恐るといった風に呼ばれ、ポップは苦笑を返す。こんな特殊な状況でも、喪ったと思っていた友人が生きて姿を見せてくれたという事実が嬉しかった。
「ポップ…!」
 再び呼ばれる。今度は恐れよりも戸惑いという声音。ダイと同じ顔なのに、あいつのこんな声は聞いた事がない。
(いや、一度だけあったな……)
 ディーノが眠り、ダイが戻ってきた直後に一度だけ。以前に斬りかかった事を謝られた時に。
(別人なのに、こういう時って同じ声でオレを呼ぶんだな、お前らは……)
「おう、オレはポップだ。よく覚えてたな、ディーノ。」
「! ああ! 忘れるわけない!! お前は、お前の事だけは…!!」
「? そうか。ありがとうな。」
 勢い込むディーノを不思議に思いながらも、ポップは本来の相棒の事を考える。
 おそらくは、この地の伝承とディーノの出現は無関係ではない。

 決して日の当たらぬ者たちのための、太陰の下の祭り。年に一度の束の間の地上。 

 ならばきっと、夜が終わればダイの意識も戻るのだろう。父親に封じられた頃とは違い、もうダイのアイデンティティに揺らぎはないのだ。……それを考えれば、主人格であるダイがディーノの事を考えたのかもしれなかった。
 地獄にも天にも行けず彷徨い続ける魂――行き場のないという点では、ディーノは確かに日陰の魂だ。ダイは封じられている間のディーノとしての行いを決して許そうとはしないが、それでも自ら眠り続ける事を選んだディーノに対しては思う事はあるのだろう。

 考えに耽っていると、ぬっと眼前に竜の顔が迫る。「ぅお」とポップはのけ反った。
「ダイの事を考えているのか?」
「ああ…悪いなディーノ。」
「いや、仕方がない。お前がそう考えるのは…勇者の相棒なんだ。当然のことだ。」
 繰り返し、仕方がない、当然だと呟く彼にポップは苦笑する。
「すまなかった。ダイの事は気になるけどよ、せっかくお前に再会したんだ。祭りなんだし遊ぼうぜ。」
 エールを買いに行くか? それとも何か食べながら町をぶらつくか?
 気持ちを切り替えて笑顔を作る。ディーノが表に出ている以上、ダイは眠っているのだ。これ以上考えてもどうしようもないのだ。ならばディーノをしっかり歓迎するべきだろう。滅多に無い機会なのだから。
 竜の顎の奥でディーノは一瞬パッと喜びを顔に浮かべた――だというのに、それはすぐに萎んでしまった。
「どうして…っ」
「ディーノ?」

「どうしてお前はオレを拒絶しないんだ?! オレは…本来出てきてはいけないんだ! お前はダイの親友だろ?! 怒らないのか?!」

 祭りの喧騒に掻き消える程度の声だったが、それでもその声はポップの心にきつく爪を立てた。
(ああ、そうか……)
 ポップは思う。
 ディーノは覚悟していたのだろう。詰られる事を。歓迎されない事を。ダイの事を思い、自分の生まれ方と運命を考えて。
 何より――ポップの立場を考えて。
「馬鹿野郎。あの日言っただろ。ダチだって。オレにとって確かにダイは親友で相棒だけど、だからってお前っていうダチを嫌うわけがないだろうが。」
「……っ!」
 手を伸ばし、竜の被り物ごとディーノの頭を撫でる。似合っていると思っていたけれど、この被り物は不便だな、よしよししてやれない。
「……じゃない。」
「え…?」
「オレがお前に抱いてるのは、友情とかいうものだけじゃ、ないんだ!」

 ※※※※※

 己と比べればずっと細い手首を掴む。一瞬痛みでポップは顔を顰めたが、怒りよりも疑問が勝るのか文句すら言わない。
 こんな、かつては間違いなく敵だった相手の事を、親友を封印していた原因のような相手の事を、友だと呼んで。
 一度そう決めればどこまでも受け容れて――疑う事すらしない。
 甘すぎる。そう思うのに、そんな懐の深さがどこまでも嬉しい。
 他の勇者の仲間たちならば決してこうはいかないだろう。まずは睨みつけるだろう。ダイが必ず返ってくるという事を確認し、どうしてこんな事態になっているかも調べて、ダイを再び失うかもしれない恐怖と、その原因になるかもしれない自分に苛立って、遠巻きに監視するだろう。
 それは当たり前の事だろうと、ディーノでさえ思う。だというのに、ポップにはそれがない。冷静沈着を旨とする大魔道士という立場であるというのに……!

 父がいない今、確実にポップはディーノをディーノとして見てくれる唯一だった。ダイの別人格でもなく、ダイの一部でもなく、ダイの影ですらない。枕詞に「ダイの」という所有格を付けずにディーノ個人を見てくれる、唯一の人。
 欲しい。
 手に入れたい。
 自分の――ディーノだけのものにしたい。
 あの日消さずに残し、自身とともに永遠に眠らせようとした想いが芽吹き根を張ろうとする。

 町の子らの声がする。
 ねえねえ、次はなにして遊ぶ? やっぱり鬼ごっこ? かくれんぼ?

「なあポップ、遊ぼうか?」
 しゃれこうべに半分隠された顔。見つめてくる黒い瞳はディーノへの信頼しかない。
「え?」
「オレから逃げろよ。鬼ごっこだ。それとも隠れるか? オレはどこまでもお前を追いかけて、探すよ。」
 ああ、その目。不審が宿ったな。それでいい。そうしてくれ。疑って、拒絶しろ。そうすれば、オレは――
「ディーノ、お前……」
「捕まえて、そうしたらもう絶対に離さない。ダイにだって返すもんか。あいつだって心の奥底ではお前に同じ想いを抱いてる。ただ気付いていないだけだ。」
「お前…オレの事……」
 ここまで言えばさすがにオレが何を望んでるかわかるだろう、ポップ?
 お前がオレを拒絶すれば、オレはきっと昔のように元のように憎しみを振りまくだけの愚かな竜騎士に戻るから。
 そうすれば完全にオレ達の関係は切れるだろう。大魔道士の冷静さで完全にオレを封じてくれればいい。
 敵として、愚か者として、ダイの影にすらならない不要品として。
「そうだ。友情なんてお綺麗な感情だけじゃない。こういう意味で好きなんだ。」
 竜の顎を押し広げ、一歩近づく。傍目には、竜が人に齧り付くように見えるだろう。

 拒絶してほしい……そんな思いも真実なのに、なのにそれはまだ綺麗でいようとする、己の足掻く部分だったらしい。

 このまま…このまま本当に齧りつけばどうだろう。ポップの唇は美味しいだろうか。甘いだろうか。強力無比な呪文を紡ぐその口を塞いでしまえば簡単に抵抗の手段だって奪える。そうしてそのまま完全に……。
 ダイはまだ眠っている。知らぬ間にディーノがポップを喰ってしまえばどうなるだろう。親友を守ることも出来なかった自責の念で、全てを擲って眠るのは今度はダイの側になるかもしれない。そうすれば…そうすれば自分はずっと、ポップと一緒にいられる。

 日が完全に沈み、ランタンの光と太陰だけが世界を朧に照らす、暗い公園。昏い想いに完全に染まりかけたディーノの耳に届いたのは、囁くようなポップの声だった。

「いいぜ。お前なら。」

 ※※※※※

 半ば竜の顎に嚙みつかれているような妙な体制で、けれど自分の仮面の顔はともかく、ディーノの顔は横からは誰にも見えないだろう。
 良かった、と思う。
 こいつのこんな顔は誰にも見せたくない。たとえ同じ身体を持つダイにだって。
「ポップ……?」
 自分を見つめるディーノのその瞳が、虚を突かれて素に戻る。獲物を狙う竜のようなそれから、ダイと同じ、年齢相応の青年のものに。
「ん? どうした? オレの事が欲しいんじゃないのかよ?」
「……意味、わかって言ってる?」
「当たり前だ、阿呆。一応オレはお前よりも年上だぞ?」
 言ってやれば、からかわれているとでも思ったのか、瞳には苛立ちが混じった。
「ディーノ、からかってるわけじゃねぇよ。……オレは、お前なら構わねぇ。」

 幾度も命のやり取りをした相手だ。実際、その為人や癖は、本来同一人物であるダイよりも自分の方が詳しく知っている。
 仲間の誰もが、ディーノの境遇に同情はしても、彼自身を見ることはなかった。
 それが普通なのかもしれない。ダイの輝きが、ダイの強さが、ダイの全てが皆の希望であり太陽だった。それを封じられて何も知らない子どもからスタートしたのがディーノだ。皆にとってはディーノ自体がダイの記憶の解放を妨げる存在に見えていたのだろう。

『ありがとう、おにいちゃん。』
 あの時自分はダイに忘れられた事が余りにもショックで、あの子どもに怒り当たってしまった。竜騎衆との戦いでは生き残れたものの、バランがあの子どもを連れ去る時には間に合わなかった。
 だから、良い接点など何もない、最悪のスタートだったと言っていい。
 父親に手を引かれて去っていく子どもは、心底嬉しそうな、安心した表情だったと後からレオナに教えられて、悟った。
 ダイでなくなったあの子どもを、誰も彼もがダイに戻ってくれるように望むだけで、愛していなかったのだという事に。名前も自分の状況もわからぬ、不安ではちきれそうだったあの子どもに、そのままの状態を肯定してくれる者はいなかったのだという事に。
 戻れ戻れお前は違うという者たちと、これからはずっと一緒だと言ってくれる父親。子どもがどちらを選ぶかなど決まっている。
(ごめんな。おれ、おにいちゃんなのにな……。)
 ポップはただ泣いた。ダイを失ってしまったかもしれない事はもちろんだったが、あの子どもを愛してやらなかった事に。
 抱きしめてやれば良かった。
 頭を撫でてやれば良かった。
 一緒にいてやれば良かった。
 そんな後悔が頭の中をぐるぐると回って、反吐が出そうだ。

 次に会ったのは、ディーノが魔王軍の将として初陣を飾っている時だった。ダイが人間を蔑み殺す、その姿に仲間たち皆が衝撃を受けていたし苦しみ悲しんでいたが、自分は違っていた。
 だってあれはダイではなくディーノなのだから。
『へえ~…立派になったもんだ。あんなにチビだったのになあ。うかうかしてると抜かれちまうな。お前の親父さんも大きいもんな。』
 自分のそんな軽い言葉が、逢瀬の始まり。
 不愉快そうに睨みつけられ、愚かにも自分の心は踊っていた。

 最後の逢瀬でディーノが『眠り』につき、ダイが戻った。
 仲間たち皆でその事を喜んでいた小宴会の隙間時間に、ダイがこそりと告げた。
『あいつが…ポップに感謝してた。ありがとうって。』
『……そうか。』
『なあポップ、もしかして…あいつがいなくなって、おれが復活したのは――』
『ダイ』
 遮るように親友の名を呼んだ。
 お前はそれ以上を言うべきじゃない。その場の誰にも聞かせてはいけない。
『皆がお前の返るのを待ってた。もちろん、オレもだ。』
 ――誰もあいつを求めなかった。オレも最後は諦めるしかなかった。
『ポップ…。』
『皆、お前を愛してる。』
 ――誰もあいつを愛さなかったんだ。ダイ、お前も。
『おかえり、ダイ。』
 ――ごめんな、ディーノ。
『うん…! うん、ありがとう!!』

 ――だから、オレぐらいは愛してもいいだろう?


「独占欲みたいなものかもしれねぇが、オレは、お前がオレを見てくれるのが…求めてくれるのが、嬉しいぜ?」
「嘘だ…。」
「嘘じゃねえって。相思相愛だなんて最高じゃねえか。」
 煌々と輝く満月にディーノが照らされている。なのに、竜の顎に邪魔されて顔だけは影のまま。
 日陰の子。月の子。
 太陽の有難みはちゃんとわかってる。だけど月を愛する者がいたっていいはずだ。
 お前がオレを選んでくれたように。

 オレだって、枕詞に「勇者の」が付く魔法使いなんだぜ。

 それは誇りの拠り所でもあるけれど、時に全てを擲ちたくもなるから。
 唯一でなくともいい。唯の一人にならせて。

「本当に…?」
 震える声にポップは微笑む。
「やっぱお前は優しい奴だなあ。いいじゃねえか、今日ぐらい。」
 ここで動かないで、何のための仮装だよ。今日だけは、別人なのだ。
「…うん。」

 小鳥がついばむ様な優しいキスからの猫がじゃれ合うような噛みつきと、くぐもった水音。

 竜が骸骨を食むように愛し合った――それだけの、何でもない普通の事だ。

 ※※※※※

 ダイが目を覚ましたのは宿の一室だった。
「おう、起きたか。酔いは残ってないか?」
 親友のその言葉に、そうか自分は酔っぱらって寝てしまったのか、と気付く。
「だ、大丈夫。え、いまって何時?」
「朝の八時だよ。ほら、顔洗ってメシ食いに行くぞ。オレより遅くてどうすんだ、」
「ごめん! すぐ支度するよ!!」
 飛び起き、ポップが脱がせてくれたのだろう服を拾い、少し痛む頭をさすりながら濡らしたタオルで顔を拭く。

 酔っぱらって寝てしまうなんて失態だ。せっかくのお祭りだったのに。しかも親友と二人きりの、昔のような楽しい時間のはずだったのに。

「そうむくれるなよ。まだ今日も店はいくつかやってるし、衣装返してぶらつこうや。」
 そのあと、また旅に出かけようぜ。
 ポップの屈託のない笑顔に、うん! とダイも笑う。
 今日も空は快晴で、平和な世界を暑いくらいの日差しが照らしていて。

 二人の間に翳るべきものは、何も無かった。

(終)







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