百万のピース


生臭いニオイが、彼の意識を呼び戻した。
「…っち」
気を失っていたのはごく僅かだったようだが、それは何ら現状の改善に寄与するものではなかった。
戦闘とは刹那の行動が生死を分けるものだ。気が付いたのならさっさとこの場からどかねばならないというのに。
(身体が…動かねぇ……)
ずいぶんと強く打ち付けられたようだ。全身が痺れて、鈍い痛みが脇腹に断続的に走る。震える指先が床をかく……それが濡れたように感じるのは、何故だろう。
突如、視界が晴れた……かに見えた。
部屋に充満する埃はそのままだ。薄暗い地下、濛々たる土埃、だのに晴れて見えたのは、「そいつ」があまりにも巨大で、埃など意味がなかったからだった。

いにしえの巨人族サイクロプス。地上ではすでに伝説と言われているモンスターだが、さらにその上位種には、ギガンテスというモンスターがいる―――ということくらいは事前に読んでいた書物で知っていた。

だが、まさかお会い出来るとは。しかもこんな形で。

巨大な一つ目が、彼を見下ろしていた。同じく巨大な口がニヤリと笑う。…先程かいだ生臭いニオイは、どうやらこいつの息らしい。
「………はっ」
彼は力ない嗤いを吐き出した。眼前に迫った光景を絵にするならば、『絶望』というタイトルで金の額縁がつけられ、更に画家のサインまで入った状態だった。真に迫った危機感溢れる作品だ、画廊に並べられればさぞかし高値がつくだろう。
(追い詰められてるのが、俺みたいなジジイじゃなくて美女なら…値は倍だろうなぁ……)
万事に窮したこの状態で、彼は馬鹿馬鹿しい事を考えた。あるいはそれは、激痛を一時でも忘れるための、彼なりの無意識のなせる業だったかもしれない。
身体の痺れは少しマシになった気がするが、逆に痺れが薄れるにつれ、右脇腹の痛みがどんどん強くなってきている。早く治療しなければならないというのに、敵―――ギガンテスがそれを許してくれるはずもない。
法衣の左袖が無遠慮に引かれ、彼は高くつまみ上げられた。天井…というか上階の床をも突き壊しそうな巨体の魔物は、じゅるりと舌なめずりをする。
「……俺を…喰う気かよ、お前? こんな年寄り喰ったって……不味いだけだぞ?」
自嘲の笑みを浮かべた彼は、実際…と、なんとか動かせる己の右手に視線をやった。
細く、シワだらけの手。握っていたはずの杖も魔弾銃も、弾き飛ばされ、どこのあるかもわからない。傷が深いが、回復させてくれるほどこの巨人は馬鹿ではあるまい。…まだ魔法力は残っているけれども、一撃で仕留められるほどではないし、ましてや痺れる手では、発動出来たとしても狙いは定まらないだろう。
そこまで考えてから、彼は自嘲の笑みを深くする。

そもそも、痺れがなくとも当てられるかどうか。

階を下りた途端に、待ち構えていたらしい敵の棍棒が振り下ろされた。彼はそれを寸でのところでかわし、巨人の姿をみとめて魔弾銃を撃ったのだ。詰めてあったのがどの系統の攻撃魔法であっても、彼の呪文の威力は、そこらの魔法使いの比ではないため確認する必要はない。しかも狙ったのは、サイクロプス達のような一つ目巨人族の弱点である、巨大な目―――たとえ上位種のギガンテスが相手でも、幾許かのダメージは期待できたはずだったのだ。
だが、そうはならなかった。

自分は衰えた―――心からそう思う。わかっていたつもりだったのに、本当に「つもり」だったようだ。
狙ったはずの目に…ダメージを与えて当然のはずの巨大な的に、弾は命中しなかった。わずかな動きでギガンテスはそれを避け、岩壁に当たった弾丸は辺りに強風を撒き散らかしただけだった。
愕然としたのは半瞬のわずか。だが、若い頃の彼なら、弾が避けられた時点で動いただろう。初動の遅れが大きな隙となり、横薙ぎされた棍棒の唸りを聞いた直後―――視界は暗転した。

そして、現在のこの状況である。

サイクロプスよりもさらに一回り大きな青い巨人が、珍しい獲物に嬉しそうに目を細めた。弓形になってもなお大きなその目に映っている己の姿を、彼は見る。赤い血をとめどなく流し、荒く息をするだけの手負いの人間は、最早何の抵抗も出来ない―――巨人にはそうとしか思えないだろう。
「…なめるなよ」
本人にしか聞こえないほどの、低い呟きが漏らされた。
左袖を摘んで持ち上げられたため、右半身に体重がかかって脇腹の傷が尋常ではなく痛んでいるはずであるというのに、彼は、ギリと歯をくいしばり、敵を睨み付けた。
その黒い瞳に宿る光は、強い。死を目前にした人間のものでは決してなかった。
「こんな所で死んでたまるか…」
その呟きは無意識の産物だ。膨大な量の感情が、堰を切って漏れ出たと言っていい。
(そうだ…こんな地底の奥深くで死んでたまるものか。あいつに会うまで…あいつを救うまで俺は死ぬわけにはいかない…!)
薄暗いこの地下とは全く逆の光景が、彼の前にはある。

それは、青空だった―――何十年も前の、あの日の。閃光と爆音に満たされた、晴れ渡る空。

カッと体内が熱くなる。それは怪我ではなく、怒りのせいだった。瞬間的に血が滾るような感覚を覚え、彼は動いた。
右手首を翻し、垂れ下がる長い袖を掴む。次の瞬間、握り締めた箇所が小さく光り、煙が上がった。
極小の閃熱呪文が、法衣を焦がしていた。炎が上がるほどでもなく、ただ、彼の指の動きに従って、高熱が袂の膨らみをなぞっている。
彼のその行動は、何の意味もないように思われる。この状態を傍から見る者がいるとしたら、恐怖で気が触れたと決め付けたに違いない。
ギガンテスもそう思ったのだろう。獲物の足掻きを笑うように身体を揺すると口を大きく開け、彼の身体を更に高く持ち上げた。ひと呑みにするつもりだ。

絶体絶命の状態で、けれど彼は笑った。

「………丁度いい」
呟くと、彼はなぞっていた指を一閃させた。手首を上げる―――掴んでいた袖が、焦げ目に沿って引き裂かれた。
同時に、宙に何かがキラリと光った。
黒光りするそれは、小さな石だ。バラバラと数個が破れた袂から重力に従い落ちていく。その先には、ギガンテスの口。
ぽかんとその光景を見ていた巨人は、舌に乗った欠片の感触に、思わず口を閉じた。

その時、自分が摘み上げた老人が、にぃと口角を上げたのをギガンテスは見ただろうか。

「ブレイク!!!」

広い階にその声は静かな波を持って反響し…一瞬の静寂の後、轟音がギガンテスの口の中で炸裂した。



「っつ…ぐ…!」
右脇腹に手を当て、回復呪文を施しながら、彼は倒れたギガンテスの顔を覗き込む。
巨大な目は白目を剥いて完全にひっくり返っている。口からはぶすぶすと煙が上がり、鋭い牙は全て折れていた。舌など、金網に乗るのが似合いとばかりに焦げている…ひどいニオイなので食欲は全く湧かないが。
「…やっぱ、さすがの、ギガンテスでも、口の中でイオが、破裂すると…痛ぇみたいだな…」
自らも痛みで息を切らせながら、彼は一人ごちた。回収した魔弾銃の重みが、腰にしっくり馴染む。
彼がこの探索で魔弾銃の弾に込めていたのは、火炎・氷雪・真空・閃熱の四種類の上位呪文だ。爆裂呪文が無いのは、ここが洞窟だからである。彼の魔法力は一般の魔法使いの比ではないため、ヘタに爆裂呪文を炸裂させては階層ごと破壊する危険があるためだった。
その代わり、袂に忍ばせた黒い石には、初級の爆裂呪文が封じてあった。何か、どうしても必要となった時のための保険として用意していたのが奏功したようだ。口の中で炸裂する熱波の衝撃に、さしも頑丈な巨人もひとたまりもなかった。
「さて…」
杖をトンと鳴らす。
傷は塞がった。魔法力も回復させた。血が随分流れてしまったが、もうこの階に魔物の気配はない。ならば、進むべきだった。
「行くか……」
まるで指し示すかのように、倒れたギガンテスのツノの先に扉がある。封じの印がチリチリと光るそれの向こうに何が待っているのかはわからない。文献にはここまで深く潜った記録はなく、伝聞の上でも例を聞かないからだ。
だが、彼には想像がついていた。彼が踏破してきたこれまでには、数階に一つ秘法・秘術に類するものがあった。そして、何故それらがこうも奥に秘されているのかも、彼にはわかっていた。
それら秘術は全て、時空に関与する事柄だからだ。

―――神の御業―――

そんな言葉をふと思い出し、彼は眉を顰めた。天に座す神が扱うという業が、こんな地底深くに封じられている事の皮肉さよりも、神という存在への言いようの無い感情が、彼にその表情をさせたのだった。
杖を握る手に力が篭る。強い眼差しは冷たい怒りと覚悟を乗せてその扉を見つめていた。
「………。」
扉に手を伸ばす。先にあるものが何だろうと構わなかった。
彼にとって、死は恐怖の対象ではない。恐ろしいのは、願い半ばで諦めることだ。

ただその願いのためだけに―――彼は進んできたのだから。





地上は、一面の緑だった。
最後に戻ったのは、ひと月ほども前だったか。その時はまだこれほど花も咲いていなければ、草も茂ってはいなかった。
時間が経つのは、あっという間だ。どれほど惜しんでも非情に流れていく。
「ひと月が早けりゃ、一年も早い。…一年が早く感じるなら、何十年だって…あっという間か……」
陽の光に目を細めると、背後で気配がした。
「お帰りですか、大魔道士様」
どこかその声は、怒りを含んでいる。
彼は溜息をつきつつ、ぼやいた。
「……急に声をかけるなよ。俺は年寄りなんだぜ? 心臓が止まったらどうすんだ?」
頭をかきながら振り向くと、騎士が数人立っていた。
「よう、隊長。迎えに来てくれたのか」
大魔道士と呼ばれた彼の言葉に、一番身なりの良い騎士が顔をひくりと引き攣らせた。
「ええ、お迎えに参りましたとも。…一体これで何度目ですかね?」
「悪いな。数えてねぇよ」
「数え切れない、の間違いでしょう、ポップ様?!」
隊長は顔を真っ赤にして怒鳴るが、大魔道士―――ポップはどこ吹く風だった。「ああそうかもな」と相槌を打つ。
「この洞窟は、王命により封鎖しておるんですぞ?! なのに、王の師たるお方が率先して法を破られるとは、どう言う了見でいらっしゃるんですか?!!」
大声を上げる隊長の後ろで、数人の騎士が顔を見合わせて苦笑していた。さもありなん。大魔道士ポップが立ち入り禁止の破邪の洞窟に足繁く通っているというのは、警備を勤める彼らにとっては「またか」と思えるほど恒例の事だったからだ。
ポップは肩を竦める。

「もうこれっきりだ。年寄りをそう怒るもんじゃねぇって」

「……前もそのように仰いましたがね?」
「ああ、そうだったかもな。…けど、今度は嘘にはしねぇさ」
隊長は、おや、と大魔道士の顔を見直した。いつもの人を喰った笑みが、今日は少しなりを潜めている気がしたのだ。見れば、法衣は今迄にないほどあちこち破れている。回復呪文が使えるから怪我こそしていないものの、皺深い顔に疲労が滲み出ていた。さすがに高齢の彼にとって、今回の探索は無理があったのだろうか? ―――なんにしても、この洞窟から足が遠のいてくれるのなら、彼ら警備担当の騎士にとって重畳だ。
「そうであって欲しいものですな」
「ああ…。…ま、他の奴も潜る必要は当分ないだろうよ」
「……何のことです?」
意味がわからず問い返す彼に、大魔道士は告げる。
「結界だ。綻んでたぞ」
呆然とそれを聞いた騎士隊長は、数秒の後、ゴクリと咽喉を鳴らした。
「そ…それは……」
後ろで部下達がざわめくのが聞こえたが、彼にも動揺を隠すことは出来ない。

破邪の洞窟とは、古来よりその最深部を覗いた者はいないと言われるほどの、深い洞窟だ。一説では魔界と繋がっているとも言われており、そのため、現国王の代になってからは緊急時以外は進入を禁ずるようになった。
洞窟内部には、急に魔物の格が上がる階というものがいくつかある。その魔物のレベルによる棲み分けを可能にしているのが、それらの階と階の間に設けられた結界だ。人間には何の影響も無くすり抜けられるが、一定以上の力を持つ魔物に作用し、上階への移動を防いでいる。
それが綻んでいたとなれば……

青くなった隊長の肩に、ポンと軽い衝撃があった。
向けた視線の先に大魔道士の笑みがあった。いつもと変わらぬ、不安な事など何もないとでも言いたげな、不敵な笑いだ。
「心配すんな。当分潜る必要はねぇって言ったろが」
「は……、え…?」
「俺が輝石を使って修復しておいた。向こう百年は大丈夫だろ」
あっさりと告げられた言葉は、しかし、絶大な安堵をその場にもたらした。
姿勢を正し、騎士隊長は頭を下げる。背後の部下達も一様に彼に倣った。たとえ規則破りの常習犯だろうが、どんなに可愛げのない爺さんであろうが、彼らが生まれるより前にあったという大魔王との大戦を、勇者と最後まで戦いぬいた大魔道士の魔法の腕に、疑いを抱く者など一人もいない。大魔道士ポップが大丈夫と言ったならば、間違いないのだ。
それほど卓越した魔法の才と技術。そして強大な魔法力―――。
頭を上げ、隊長は荷物を抱えなおす目の前の老人を見た。
大戦の英雄の最後の一人として敬われる反面、その力を恐れる者も多くいる。普段は他人を寄せ付けずに、岩屋に一人で住んでいる大魔道士は、とかく色んな話題が付き纏っているので、幼い時からカール王宮で見かける事がなければ、自分もこのように話すことはなかったのだろう…そんな事を思いつつ、彼は腰の曲がり始めた大戦の英雄の手から、慇懃に荷物を取りあげた。
「おい…返せって。まだそんな弱ってねぇよ」
「いえいえ。声をかけるだけで心臓が止まるという事もございますから」
「………そりゃどうも。けど、大丈夫だから放っといてくれ。もう帰るんだからよ」
その言葉に、隊長は「申し訳ございませんが」と薄く笑う。笑みが消えたあと、そこにあるのは仕事の表情だ。

「そうは参りません、大魔道士様。我々と共に王宮へおいで下さい。陛下が心配されておられます」

ポップは僅かに視線を逸らし、憮然とした表情になった。
「…やれやれ……わかったよ、行くよ」
年齢と地位に甚だ不似合いなその表情は、叱られに行く子供のようだ。騎士達は内心で苦笑を漏らしつつ、用意した馬車に大魔道士を案内した。





疲れた表情で謁見の間から出てきたポップを、一人の青年が出迎えた。
一つに束ねた青く長い髪が、会釈でわずかに外に垂れる。上げたその顔に、ポップは目を細め、次いで苦く笑った。青年の顔に伊達眼鏡を探してしまう悪癖は、どうしても治らないようだった。
「お久し振りです、師匠」
「ああ、久し振りだな…サンク」

ゴテゴテした装飾の一切ない部屋だった。騎士の国と言われるカール王国の気風をよく表している。そしてそれは、お国柄をしっかり受け継いだ青年の性格をも表すようで、さっぱりとして好ましかった。
勧められるままにソファに腰掛け、ポップはひと息ついた。ちなみにボロボロだった服は、城についた途端新しい物に替えさせられている。荷物も杖以外は「後で届ける」と預かられた。服を替えさせるくらいなので、当然お湯で血と泥も落とせと言われ……心理的には戦闘よりも疲れてしまった。
王族に会うから仕方ないとは言え、せめて家で支度させろやというのがポップの本音である―――が、文句は言えない。破邪の洞窟に不法侵入したのは事実なのだから。

「父に絞られました?」

笑いを含んだ声が、青年―――サンクから掛けられた。王太子という身分にも関わらず、昔からこの青年は手ずからお茶や菓子を用意するのが好きだ。
(…本当に、よく似ている……)
内心で呟きながら、ポップは問いに「ああ」と頷いた。足を組み、出された紅茶を王太子が席に着くのも待たずに飲む。不躾を通り越して不遜とも言える態度だが、サンクは気にする様子も無い。
「ったく、俺はまだピンピンしてんだから、放っとけよ。洞窟は危険だの、王宮で住めだの…心配性なんだよキャトルは。老いぼれ魔法使い一人連れてくるのに騎士隊派遣する王なんざ、あいつだけだぞ」
「一国の王を呼び捨てにする魔法使いも、師匠だけでしょうね。バランスが取れてていいじゃないですか」
「はぁ? 何のバランスだよ?」
「『危険を恐れない師匠と、心配性の弟子』というバランスです」
ポップの突っ込みにさらりと返して、サンクは笑う。だが、紅茶に砂糖を入れ、視線を再びポップに戻した時、すでに笑みは消えていた。
「…本当に、大丈夫だったんですか?」
その目の光に、僅かにポップはたじろいだ。何の打算も無く真っ直ぐに向けられる好意というものに、彼は弱かった。その逆の物に耐性がありすぎるがゆえの、反動のようなものだ。
「……平気だ。もう何ともねぇさ」
「…と言うことは、危険だったわけですね?」
いらん所が鋭いなと、ポップは面倒くさそうに手を振った。
「まぁな。だが、行って正解だったろ? 俺は目的を果たせたし、お前らは結界の対処に人員を派遣する必要もなくなったわけだからな」
にやりと言ってのけると、渋々といった態でサンクは頷いた。
「その点については、お礼を申し上げます。一度結界が破れれば、強力な魔物が地上に出た場合、ウチの賢者達では分が悪いですから」
「ああ。そうだろうな」
あっさりと大魔道士は肯定した。

どの国にも、軍内には僧侶系呪文・魔法使い系呪文の両方を扱える賢者で組織された部隊があるが、騎士の国と言われるここカールでは、賢者は数も少ないし使える呪文の質も低い。魔法大国であるパプニカの賢者と比べれば雲泥の差がある。逆に、両国の騎士団を比べた場合は魔法と正反対の軍配が上がるのは明らかだった。つまりは、いわゆる国民性というやつだ。
だが、とポップは半眼を伏せる。たとえパプニカの賢者に修復を依頼したとしても、そう結果は変わるまい。彼が知る大戦時と比して、世界規模で総合力でのレベルが落ちているのだ。騎士も、魔法使いも、武闘家や僧侶もそうだ。総じて戦いに関する職業にそれは言えた。
レベル低下の原因はわかっている―――平和だからだ。
大魔王バーンとの大戦から数十年が経ったいま、地上は、多少の小競り合いはあったとしても基本的に平和が続いている。戦う必要のない世界で、かつてのような力の持ち主など、育つはずもない。そういった『力』は、戦乱の荒野の中で芽生え育ち、血みどろの命のやり取りの中で揉まれ、必死で生き抜いてようやく到達するものだからだ。
平和を謳歌する世界で、強すぎる力は不要なもの。抜きんでた存在は、尊敬から忌避の対象へと徐々に移っていった…それが世の常とでも言うかのごとく。

「でも、どうかもう少し自重して下さいね、師匠。こうも頻繁では、さすがに父でも庇いきれなくなるかもしれませんから……」
サンクが心配そうに言う。破邪の洞窟の事だ。確かにここしばらく、研究の最後の詰めのために何度も出入りしたから、そのうちに見咎められるだろうとは思っていた。大魔道士を煙たく思う輩にすれば、追い払う絶好の口実と感じるだろう。
「わかってる。悪かったよ…」
ポップは素直に応えた。反故にするつもりはない。先に言った通り『目的は果たした』のだから、もう探索に潜ることもあるまい。
「なんだか今日は、妙に素直ですねぇ…」
サンクの言葉に微苦笑を返しながら、彼は疲れたように目を閉じ、紅茶をすすった。
目的は果たしたし、もとより自分をこうも気に掛けてくれる人達を困らせるのは、本意ではなかった。まして、サンクはあの人に生き写しなのだから……。


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