恋人タッグ


村と言えば大きいが、町と言うには中途半端。
それがポップの、故郷に対する印象だ。
だが、滅多に訪れない者にとっては、また違う印象らしい。

「いいところね」
「…そうか?」
マァムの言葉に、ポップは振り向く事もせず、返した。
「別に何もねぇところだと思うけどな」
「あら、そんなことないわよ」
疲れたような表情で続ける彼に、マァムは呆れた面持ちで肩を上下させた。
「久しぶりに来たけど、やっぱり活気があるわ。お店だって多いし、それに皆元気そうじゃない―――いいところよ」
「…そんなもんかね」
ポップは気のない返事をした。それでも一応、村を見回す。
やはり何の変哲もない田舎だけれど、なるほど、見ようによっては良いと言える部分もあるのかもしれない。
そう思い、少し表情を改める。
なんのかのと言っても故郷ではあるから、悪く言われるよりは褒めてもらった方が良いに決まっている。しかも褒めてくれたのがマァムなのだから。
「ありがとな」
礼を言うと、マァムはにこりと笑った。
彼女がここランカークスに来るのは、実に大戦時以来だった。



ポップとマァムは、この3年というもの各地を転々としている。大戦直後に行方不明となった勇者ダイを探すために旅に出たのがきっかけで、各国に定宿や小さな家を持っており、そこを拠点に復興の支援をしているのだ。
ポップはルーラも使えるが、最近では滅多に呪文は使わないようにしているため、普段は馬車での移動を主としている。ただし今回の里帰りでは、そのどちらも使わなかった。
彼はルーラの際の着地が苦手なのだ。もちろん無事に到着はするのだが、轟音とともに現れては、周囲に迷惑がかかる―――というのは建前で、村の人間に帰ったことを余り知られたくない、というのが本音だ。

彼は家出同然の形でアバンに弟子入りした。大戦の1年ほど前の話だ。

弟子入り自体を後悔したことは一度もない。だが、甘えたな14歳の子供が、身の程知らずにも勇者についていったのだ……両親を不安のどん底に突き落としたことは間違いなかった。 その後はと言えば、ダイの新たな剣を探すために一度帰郷したものの、すぐにパプニカに戻らねばならなかったし、大戦後も時折ふらりと顔を見せに帰るだけで、親孝行らしき事は何もしていない。敷居も高くなろうというものだ。

 ぱしゃん…!
「…ぅぉっと!」
家に帰った後のことを色々と想像していたポップは、跳ね返るしぶきを慌ててよけた。
踏みしめられた道のそこここに存在する水溜りは、頭上の色を映して灰色に光る。
自分達は丁度いい時に来たらしい。いま、雨は止んでいる。だが雲の厚さと色を見る限り、またすぐに降り出すのは明白だった。
雨季でもないというのに、村は濡れそぼっていた。
「珍しいな。こんな時季に…」
呟くポップの横顔を、マァムは見上げた。

―――久しぶりにポップの村にも行ってみたいわ

たまには里帰りしようかな…などとポップが呟いたのが、そもそもの始まりだった。
ポップとは違い、マァムはロモスにある彼女の実家に結構頻繁に帰っている。
ネイル村に住むマァムの母、レイラは腕の立つ僧侶であり村の守り手として穏やかな生活を営んでいる。
畑仕事や怪我人の治療、小さい子の世話などやることは多く、張り合いのある生活だと本人は笑って言うが、それは、早くに夫を亡くした上に愛娘が旅に出てしまったという淋しさを、完全に埋め合わせてくれるものではない。
ロモスに登城する都度、マァムは必ずと言っていいほど、ネイル村に立ち寄る。母一人子一人の生活が長かったマァムにとって、それは当たり前の事だった。
ポップも彼女の里帰りには毎度の事のように送り迎えをするため、村に泊まる事も何度かあった。
逆に、ポップはと言えば、ベンガーナに登城する際もランカークスにはまず寄らない。ルーラが使える彼にとって、城から村への距離など問題ではないのだから、やはり心のどこかで避けているのだろう。
そんな彼の態度は、マァムにとっては見慣れたものだった。もとより、女性と男性では『家』というものに対して抱くイメージが違う。だから、無理に里帰りをすすめるような事はしたことがなかったのだが、今回はポップ本人が里帰りを言い出したのだ。

ならば、ついて行こう―――ごく自然にマァムはそう思った。

そう告げた時のポップの表情は、なんと表現すべきかわからない。紅茶の入ったマグを持ちながら固まっている彼を、新鮮な驚きを以ってマァムは見ていた。
「あなたでも、混乱する事ってあるのね」
「いや…あの…でも……」
「駄目かしら?」
「だ…駄目っつーか……」
「ほら、私、ランカークスには3年前に一度行ったっきりでしょう。ポップにつれていってもらわないと、一人じゃ、キメラの翼で正しく行けるかどうかわからないもの」
キメラの翼にしてもルーラにしても、使用には一度行った場所のイメージが重要になる。記憶があやふやだと、効果が発動しない事も多いのだ。
「それに、あの時はすぐにパプニカにトンボ返りで、おじさんに御礼もちゃんと言えてないし。ずっと気になってたの」
ポップに口を挟む暇を与えず言い切って、にっこりと笑う。
彼はまだ何とか反論を考えているようだが、今回は滅多にない事ながらマァムに軍配が上がりそうだ。彼女の言葉は筋が通っており、ポップは拒むほどの理由を持っていない。
実のところ、マァムはランカークスの風景を完全に忘れたわけではない。ポップの家を訪れた時の印象がとても強く、覚えているのは武器屋周辺に限られるけれど、一人で訪れようと思えば、不可能ではないだろう。
けれど、二人で行きたかった。
いま言ったような理由は、どちらも思っていたことではあるが、結局はこじつけだ。

ポップが生まれ育った村だから。

村のたたずまい。人の往来。店の雰囲気や、友人との会話。目の前に広がる山の木々や、小川の音。
そして、もちろん―――家族。
全てが彼を育み、『ポップ』を形成してきた。14年という時間は決して短くはない。故郷というのはその人の原点であり、ならばポップの原点を知りたかった。

「あなたがネイル村を好きだって言ってくれるのと同じ。私も、あなたの村が好きだもの」

その言葉にポップはようやく頷いてくれた―――真っ赤になったその顔が、いつもの立場と逆で新鮮だった。



「パティの世話、ちゃんと出来るかしら?」
取り留めの無い会話を繰り返して村を歩いているうち、マァムが思い出したように呟いた。そういえばそろそろパトリシアがお腹を空かす時間だな。とポップは頷いた。主語が省略されているが、彼らの大切な馬の世話を任せられたのは、長い銀髪を持つ高飛車な魔族の居候である。
「大丈夫だろ。あいつ、あれでもパトリシアのこと気に入ってるし」
「そうなんだけど、何だか心配なのよ」
「はは…」
ポップは苦笑する。元大魔王を心配する武闘家は、この世のどこを探してもマァム以外いないだろう―――しかも馬の世話で。
「パティもバーンに懐いてるから、大丈夫じゃねぇ?」
「…そうね。パティは賢い子だし」
あいつの評価は馬以下ですか、マァムさん。
居候の信頼度の低さに、ポップは一抹の憐憫を覚えた。まぁ、彼の家事能力がゼロに近いのは事実なので、マァムの心配はもっともなのだが。
「ま、今日は向こうのことは忘れてゆっくりしてくれよ。何のおもてなしも出来ないだろうけど」
話題を変え、軽い口調でポップは恋人に告げたが、心中は複雑だった。
先程からマァムを連れて、彼は村を回っている。案内すると言えば聞こえはいいが、結局のところ実家に帰るのを1分でも遅くしたいと足掻いているようで、自分でも情けない。
…次の店で最後にしよう。小さな覚悟を決めて、ポップは顔を上げた。

「ちょっと待っててくれ」
ポップは、道具屋の前で立ち止まった。
「どうしたの?」
「ん。キメラの翼、そろそろストックが切れそうだからさ。帰りの分は持ってきてるけど、ここで買っておこうと思ってな」
そう言ってポップは店に入った。
「いらっしゃい! 何をお探しで……」
新聞を読んでいたカウンターの男性が顔を上げ、条件反射のように言いかけた台詞を途中で止めた。ポップは笑う。
「おっちゃん、久し振り。もうかってる?」
「……ポップか? ジャンクのとこの?」
頷く彼に、男性は「へえぇ!」と頭から足の先までを視線でおい、「大きくなったなぁ」と感想をもらした。どうやらポップとはかなり親しいらしい。やはり笑顔のまま、ポップは横の棚からキメラの翼を束で取ると、カウンターに置いた。
「いつ帰ってきたんだ? お前、この前は家に帰った途端、ジャンクにくっついて町に行ったっていうし。フレッドも会いたがってたんだぞ」
「フレッド? あいつ帰ってるんだ?」
「もう随分前にな。お前とはいつもすれ違いだ。そうそう、村はずれの…サイガも帰っとる。今日は家にいるんじゃないか?」
店の品揃えを見ながら、マァムは会話を聞いていた。知らない名前は、きっとポップの友人のものだろうな、などと考えながら、口を挟む事はしない。
「そっか。懐かしいな。後で会いに行ってみるよ」
「ああ、そうしろ。…っで、キメラの翼が5枚か」
髭をしごきながら、店主は笑う。
「持っていけ。代金はサービスだ」
「なに言ってんだよ、おっちゃん。俺、金ならちゃんと持ってるよ」
「いいんだ」
カウンター上のキメラの翼を、ずいっとポップの方に押しやって、彼は笑みを深くした。
その目に浮かぶ色は、とても温かい。
「お前は、村の英雄だからな。これぐらいはサービスさせてくれ」
「…じゃあ、遠慮なく」
いつも身に付けている皮袋に翼を入れる。その様子を見守る店主の視線は、優しいのだが……やはり慣れない。
今までの数度の里帰りも、目立たぬように一人でこっそり帰っていたため、家族以外の村人と話す事はほとんどなかった。つまりは4年ぶりなのだ。
十四歳から十八歳と言えば、成長期真っ盛りである。特に男の子というのは別人のように変わってしまう―――ポップも一気に背が伸びた自覚がある―――ものだ。店主の眼差しは、突然帰ってきた『村の子』を見守る大人の目そのもので、それが面映い。
微妙に改まってしまった雰囲気に、自分の居場所を作るかのように、村の英雄はつとめて明るい声を出した。
「あー…こんなサービスしてもらえるんなら、もっと高いもんにすりゃ良かったな」
「んなっ…! 馬鹿たれ! お前、ウチの店を潰す気か!」
殴りかかるフリをして立ち上がる小父さんに、イタズラがばれた悪童そのままの表情でポップは逃げる。
彼はマァムの手を引いて、駆け足でドアに向かい、「フレッドによろしく!」と手を振った。

店を出てすぐ、しとしとと雨が降り出した。村の者がうんざりした様子で足を速め、ポップも家路を急いだ。

「ただいま…」
静かにドアを開けたポップは、まず部屋を見回した。
「ポップ?」
「いや…誰もいないのかなぁ…と」
いないのではなく、約一名にいてもらいたくないのだというのは、バレバレである。物は言いようだ。
マァムもポップの父のスパルタぶりは見て知っているため、彼が苦手にしているのもわかるつもりでいる。それでも傍から見れば、厳しくもポップの事を気にかけている良いお父さんだった。3年前はともかく、今は家出をしているというわけではないのだから、もう少し堂々としていても良いと思うのだが……これはもう、ポップの身についた習性のようだ。
「鍵がかかってねぇんだから、留守じゃないとは思うんだけどな」
彼がそう呟いた時だ。
足音が聞こえた。軽いそれは、段々と近づいている……階段からの音のようだ。
「母さん?」
ポップが小走りで階段に向かった。驚いた女性の声がする。
「えっ! ポップ?! いつの間に帰って来たの?」
満面の笑みで、ポップの母―――スティーヌは階段を駆け降りた。
「きゃっ」
「母さん!」
急ぎすぎたのだろう。最後の段で足を踏み外しかけた彼女を、ポップが慌てて受け止める。
嬉しそうな、それでいてほんの少し切なそうな、そんな母親の表情を一瞬覗かせた彼女は、受け止めてくれた息子の背に手を伸ばし、ぎゅっと抱きしめてすぐに離れた。
「ありがとう…。お帰り、ポップ」
呼んでくれればよかったのに―――そう言って笑った彼女は、息子の背後に客の姿を認めて驚いたようだった。
「まぁ、お客様?! いやだわ私ったら…!」
慌てる母親をポップは苦笑して宥める。
「お久しぶりです、おばさん」
「母さん、覚えてるかな? マァムだよ。3年前、ダイの剣を探しに帰った時にさ、一緒にいただろ?」
深く頭を下げたマァムの姿を見、ポップの説明を聞いて、スティーヌの表情は徐々に変化していく。
彼女は、チラリと息子を見上げ、マァムに柔らかな視線を向けた。
「思い出したわ。マァムさん、いつもポップがお世話になってます」
じっと見られ、ドキリとする。ポップによく似た彼の母の笑顔は、何故だか一瞬、ネイル村にいる母レイラをマァムに思い出させた。それは、世の中の『母親』である人共通の表情なのかもしれない。
「ポップ、お前、ちゃんと案内出来たのかい? マァムさんに迷惑かけたりしてないかい?」
「え? い、いや…んな事はない、と……思う」
「本当かい? お前はそそっかしいからねぇ。…ああ、お茶も出さないで、ゴメンなさいね」
まったくお前は。お客さんに椅子も出さないで、何してるの。
帰ったばかりの息子を叱ると、彼女は台所に行き、てきぱきと動き出した。声をかけるタイミングを失ったマァムは、勧められるまま椅子に座り、ポップが父親を呼びにやらされるのを見守る事になった。



「おじさん、ポップが嫁さん連れて帰って来たって、ホントかぁ?!」
玄関先で聞こえた声に、ポップは飲んでいたビールを噴き出した。マァムも真っ赤になり、そんな二人を見て、周りが爆笑した。
「ほらね。みんなそう思ってるよ」
ケタケタ笑いながら、自分もビールをあおるのはフレッドだ。父親からポップが女の子を連れて帰って来たと聞いた彼は、村の友人全てに触れ回った。
もっとも、彼は事実を違えずマァムのことは「女の子」としか言わなかったらしい。その「女の子」が「彼女」になり、「嫁さん」に変わるまで10人とかからなかったというだけだ。村のうわさ話というのは、そんなものである。
「よおぉ! ポップ! 久しぶりだなぁ!!」
遅れてやってきたのはサイガだった。村外れの石切り場のすぐそばに住んでいる彼は、仕事が仕事なだけあって良い身体をしている。
それがいきなり抱きついてきたから、たまらない。まだムセていたポップは「ぐぇ」と蛙のような声を出して引っくり返った。
「びっくりしたぞぉ! お前、いきなり村からいなくなっちまうしぃ!! そしたら今度は嫁さん連れて帰ってくるしぃ!」
「サイガ…ゆ、揺さぶんな……吐きそう………」
来る前からすでにサイガは酔っていたようだ。汗とアルコールのニオイでポップは本当に目を回しそうになる。
「ポップ、大丈夫?」
ふっと重みが消えて、彼が我に帰った時、マァムが顔を覗き込んでいた。片手でサイガの巨体を持ち上げて、そのままポップを下から引きずり出す。
「すげ…」
誰かが至極もっともな感想を漏らし、マァムに小さく礼を言うポップに冷やかしの口笛が飛んだ。
「お前、相変わらず力が無いんだな」
笑いながらフレッドがポップを引き起こしてくれた。ようやく人心地ついて、ポップは力なく笑う。
「うるせーな。人並みにはあるってんだ」
「本当かい? ちょっと信じにくいな。マァムさんが凄いのはよくわかったけど」
「武闘家と魔法使いじゃ、比べるところが別だろうが…」
これでも俺らは一人で一万力だぜ? 諦めたように溜息をつくポップに、「そう、それだよ」とフレッドは膝を乗り出した。
「勇者さまと一緒に旅をしたんだろう? 皆、お前の話を聞きたいんだよ」
その言葉と同時に、居間にいた全員が目を輝かせる。サイガまでもきちっと座りなおすのを見、ポップとマァムは顔を見合わせて苦笑した。



テーブルを取っ払った居間の床に、五人ほどがうつらうつらとし出した頃、長い話はようやく終わった。
聞かれるままに話した3年前の物語は、すでに吟遊詩人などが様々に脚色して各地で詠っているが、何の飾り気も無く訥々と語られる方が胸に響く場合もあるのかもしれない。
何度目になるのかわからぬ溜息を二人は耳にした。フレッドだった。
「なんだか…まだ信じられないよ」
「うん?」
「お前が、大魔道士さまで、マァムさんが聖拳女さまだなんて…」
その言葉に、他の友人も一様に頷いた。
二人は苦笑する。
「でもま、嘘はついてないしな」
「ええ。信じてもらう以外にないんだけど」
フレッドが「いや、嘘だとは思ってないんだ」と慌てて手を振った。
「でもなぁ、マァムさんが凄いのはわかったんだけどなぁ……ポップがどう変わったのかは、ピンと来ないなぁ」
「そうそう。マァムさん、なんでポップなんか選んだんですか?」
間延びした声でサイガが言い、フレッドの相槌に、居間に笑い声が満ちる。
ポップが二人の頭を引っ叩いたのが、パーティーの終了の合図になった。
外は随分雨脚が強くなっていた。友人達の背が、玄関先で見送る二人の視界の先で、雨の白さに消えていった。



(じゃあ、俺ちょっと上るよ。居間占領しちまって悪かったな、親父)
(構わん。いいから早く行け。マァムちゃんに失礼だろ)
(…「ちゃん」て………)
(早く行かんか!)
(へいへい)
階段で交わされていた会話はそこで途切れた。聞くともなしに父子の語らいを聞いていたマァムは、ベッドに腰掛けながら、この部屋の本来の持ち主が戻ってくるのを待っていた。
幼い頃からポップが使っていたという机や、椅子。男の子らしい英雄物語がつまった本。それらは小綺麗に整理されていた。いま腰掛けているベッドにしても清潔なシーツが敷かれ、蒲団も軽い。挨拶をしたあと、おばさんが二階に上ることはなかったはずで…つまりはいつでも使えるように小まめに掃除されているという事なのだろう―――彼がいつ帰ってきても良いように。
ポップの友人達に揉みくちゃにされた宴会が終わり、食器やゴミなどの片付けをしようとしたのだが、おばさんに笑顔で止められてしまった。いきなりお邪魔したというのに、おじさんも大歓迎で、下にも置かない対応に、正直身の置き所がなくて困ってしまう。
本来なら宿も村の宿屋に頼む予定が、気がつけば「空いてる部屋があるから」と案内されて―――現在のこの状況である。
空いている部屋とは、ポップの部屋だった。ならば本来彼が使うべき部屋だというのに、「お客をソファーで寝させられない」との理由で押し切られた格好だ。ポップ自身は苦笑するだけだった。
「悪い。一人で退屈だったろ?」
「ううん」
部屋に戻ってきたポップに、マァムは微笑んだ。
「こんなに良くしてもらって、退屈なんて言ったらバチが当たるわよ」
本当に、ここまで歓迎してもらっていいのだろうかと、逆に不安になるくらいだ。彼の家族にしても、友人にしても、村全体がマァムを受け入れてくれた…そんな気がする。
「無理しなくていいぜ。あいつら、本当にうるさかっただろ。…ったく、散々人をおちょくりやがって……」
ぶつくさと文句を言いながら、彼はマァムの横に腰掛けた。ベッドが軽く軋む。
「みんな、あなたの事が好きだからじゃない。あんな風に言えるのって、ごく親しいからこそよ」
逆に、自分にはそういう形の友人はいなかった…マァムは心の中で呟いた。
ランカークスとネイルでは村の規模が違う。前大戦のさなかに産まれたマァムには、同年代の友人という存在もいなかった。何より、村での立場というものが、彼女を『普通の子供』にはさせなかった……。
だがそれは結果論にすぎない事も、彼女は承知している。ポップを羨む気持ちはあるが、決して口には上らせないのが彼女の持つ公正さのあらわれだった。
「そうかぁ? あぁだから帰ってくるのイヤだったんだよ…昔の事とか、みんな面白がってバラしやがって……」
確かに、例のフレッドやサイガなどはポップと親しかった分、色々な逸話を披露してくれた。主に、子供の頃のポップがどんなだったかを。
「俺、根性なしだったからなぁ…。ちょっとしたことでも逃げてたし。……今でもそうだけどさ」
自嘲するかのような呟きがポップの口から漏れる。その横顔に、翳が差した。
「そんなこと…」
「今日だって、逃げてた。村に帰ったら、こんな感じで皆にからかわれるだろうなぁーって簡単に想像出来てさ。フレッドの奴が、パーティーするぞなんて言った時…嬉しかったんだけど、そこにお前がいたら、色々と情けない昔の事とか知られちまうんだって考えたら……怖かった」
「…どうして?」
「……あの時みたいに、愛想尽かされるんじゃないかって思っ…」
「バカね」
うつむくポップの頬を両手で挟み、マァムは自分の方を向かせた。
「自信を持ちなさいよ。昔はともかく、今のあなたは違うでしょう?」
「…マァム」
黒い瞳が揺れている。酔いにではなく、不安に。それは、最近では滅多に見なくなった彼の表情で。
「……そうね。出会ってすぐの時は、あなたはすぐに逃げ出す男の子だったわ。でも3ヶ月で、最も信頼できる仲間になった。しかもそのあと私は、3年間かけてあなたを見てきたのよ―――私に告白してくれた男性として」
愛想尽かすくらいなら、今頃ここにいるわけないでしょう?
呆れたように笑う。笑わなければならないと思ったから…。そんな気持ちは、彼には余計なお世話かもしれないけれど。
納得出来てしまった…彼があれだけ自分の同行を渋ったわけが。

変えられない、過去。

ポップが言った『あの時』は、マァムには心当たりがあった。今となっては遥か昔に思われるが、つい昨日の事のようにも思い出せる戦いの記憶……。フレッド達にも語ったロモスの攻防戦。ポップが言うのは、きっと、その直前の事だ。
あの時ほど、他人に対して腹を立てた事は無かった。あの時ほど、誰かに対して失望した事も無かった。

けれど、あの直後ほど―――誰かを見直した事もなかった。

「私は…自他共に認める鈍感だけど、目は節穴じゃないつもりよ?」
「……………。」
震えながら、自分たち『仲間のため』に、巨大な敵の前に立ち塞がった男の子を見た時。その時から、自分の中のポップの記憶が始まると言っても過言ではない。少なくとも、マァム自身にとってはそれが真実だ。
「自信を持って。…でも、もしそれが出来ないと言うのなら、私を信じて。私やダイや、おじさんやおばさん、フレッドさんやサイガさん…皆を信じればいいと思うわ」
「マァム……」
「皆が大好きな存在を……私が愛するようになった、『あなた(ポップ)』を信じて」

「うん………サンキュ」

掠めるようなキスのあと、照れたように笑うポップは、もう普段通りの彼だった。
居間のソファーにいるから、と着替えを持って出て行く彼にベッドを借りる詫びを述べて、マァムは横になった。
ベッド横の窓から見上げた空は、まだ黒く雨を降らせている。静かに。とても静かに……。










地が震えた。夜のしじまに響き渡る音は重く、大きい。

ポップは飛び起きた。
地震…ではない。様子が違う。では、一体……。
暗い居間。ランプまでは遠い。
「…レミーラ」
呪文で一階を明るくすると、彼は服を着ながら窓に走った。他の家も次々に灯りがついていく。外は、まだ雨が降っている―――この1週間降り続けだという雨が。
「…まさか」
「ポップ!」
厭な予感に呟いた時、二階からマァムが降りてきた。同時に玄関のドアを叩く音がする。
開けるなり駆け込んで来たのはフレッドだった。ポップの顔を見て、腰が抜けたようにへたり込む。
「ポップ、助けてくれ!! サイガが…!」
雨の中を走ってきたらしい彼が告げたのは、土砂崩れの報告だった。
「お、おれ、サイガの家で、あの後も飲んでたんだ。それで、帰ろうとして、そしたら、山が、崩れて…!」
お前、大魔道士さまなんだろう…?! 助けてくれ! 助けてくれよ…!! 何度もそれだけを繰り返す幼馴染の背中をさすってやりながら、ポップは沈痛な面持ちで「わかった」と返事をした。
「フレッド、村の皆を起こせ。それで、伝えろ。『サイガの家にありったけの鍬とモッコを持って集まれ!』って。いいな? …よし。…親父、頼む」
同じく寝室から降りてきた父親にフレッドの事を頼み、ポップは立ち上がった。マァムと視線が合う。頷きあって彼らは外に出、次の瞬間には消えていた。

激しい雨が降り注ぐ中を、マァムを抱きながらポップは飛んだ。石切り場の入口に、サイガの家はある。土砂崩れがあったのなら、地形は変わっているだろうからルーラは使えない。最速の移動手段はトベルーラだった。
メラミの呪文で辺りを照らし、石切り場を探す。だが、着いたそこは、ポップの記憶の中にある風景とはかけ離れていた。サイガの小屋があった場所は、泥と木で埋まり、見る影も無い。山の斜面にあった大岩までもが位置をずらすような、勢いの土砂…それにこの雨……。
「サイガ…」
数時間前まで、一緒にいた友人の名前をポップは呟く。
「サイガ!!」
今度は叫ぶ。やはり、返事はない。
「…っざけんな!」
何に対してか、怒りが込み上げた。ポップは目の前に広がる泥を睨みつける。この中のどこかに幼馴染が埋まっている。とにかく土砂をどかさなければ…! サイガの意識があろうと無かろうと、呼吸が出来なければ死が待つのみだ。
「ポップ、とにかく泥を掘りましょう! サイガさんを見つけないと!」
マァムが叫ぶ。頷き、泥から見えている小屋の柱に手を伸ばしかけた…その時、がさりと腰で音がした。いつも携帯している道具袋だ。フレッドの店でサービスしてもらったキメラの翼が顔を覗かせている。束でもらった5枚の翼―――。
「……! マァム、手伝ってくれ!」



「ここで最後よ!」
マァムが手を振るのを見て、ポップは頷いた。目を閉じ、集中する。
キメラの翼には魔力が宿る。それを利用して、五芒星の魔法陣を土砂の範囲に布いた。マァムがいま刺した箇所が最後の力点。五芒星は範囲の指定とともに、ポップの魔法力も増幅してくれる機能を持っている。
呼吸を整える。今からしようとしているのは、試したこともない呪文だ。だが、イメージすると同時にポップの脳裏で構築された魔法力の働きに、可能な事は確信する。問題は…どれほどの時間、効果が持続するかだ。

―――お前、大魔道士さまなんだろう…?! 助けてくれ! 助けてくれよ…!!

フレッドの悲痛な叫びが耳に蘇り、木霊する。自分の帰還をはしゃいでくれたサイガの人懐っこい笑顔が目蓋の内に浮かび、心の臓がきゅうっと縮まる気がした。不安を払うようにポップは一度頭を振り、深呼吸をして意識を研ぎ澄ます。
「…大いなる大地の精霊よ。我が願いに耳を傾け給え………」
敵に重圧をかける呪文―――ベタン。それは大魔道士マトリフが開発したオリジナルスペルで、今は弟子であるポップのみが使える呪文だ。効果は、大地の精霊に助力を願い、凄まじい重力を発生させるというものだが、勿論いまこの場で使うべき呪文ではない。
願う効果は、その逆だ―――。

人を獣を大地に立たせる力。草や木の根を深く深く地中に誘う力。それは大いなる恩恵。だが同時に枷。翼無きものは空への自由を諦める。力尽きたものは地に伏すしかない。雨は降るしかなく、土砂は滑り落ちるしかなく……人は埋もれるしかない。

……いまこのひと時、その枷を外し給え!!


「――――――っ!!」
声にならない叫びが、ポップの口を割って出た。押し付けるようにして地についた手から、魔法力が迸る。
 ……ヴン!!
五芒星が輝いた。本来不可視の光のそれは、ポップの魂の色に呼応してエメラルドグリーンの輝きで辺りを照らし出した。同時に、土砂がゆっくりと持ち上がり始める。
「ポップ!」
マァムの声がどこか遠くに聞こえる。村の方からたくさんの灯りが近づいて来るのが見えた気がした。どよめきが聞こえる。だが、そちらを確かめる余裕はポップには無い。集中を切らせば、土砂は再び落ちてしまう。
「マァム…たのむ。もって数分だ……!」
急激に吸い取られていく魔法力。恋人の返事は耳鳴りで聞こえない。だが、自分の声を聞き受けてくれた事をポップは疑わなかった。



村の人間総出で、軽くなった土砂をかきわけた甲斐があった。サイガは発見された。気を失っているが、丈夫な身体だったのが幸いしたのだろう。打撲だけで、呼吸もしっかりしているようだ。
「…………。」
発見の知らせを聞き、ポップは無言で呪文を解いた。表情は青い。そのまま前のめりに倒れそうになるのを、何とか堪えて立ち上がる。
「…大丈夫か?」
そばで心配そうに見ていたフレッドに「ああ」と彼は短く返事をする。
「初めて試した呪文だからな…。魔法力の配分がイマイチ掴めなくてさ」
言ってみれば、効果範囲全てのものにトベルーラをかけて浮かび上がらせるようなものだ。土砂の流れ落ちた部分は広く、いくら五芒星の力を借りても魔法力の消費は甚だしかった。普通の魔法使いなら30秒ともたないだろう。
なんの気もなしに、己の手をじっと見つめた後、ポップはフレッドを振り向いて笑う。
「俺の事はいいから、サイガの手当てに行ってやってくれよ」
「ああ。…その、ポップ」
「うん?」
フレッドは、表情を改めた。
「すまなかったな、大魔道士に見えないなんて言ってさ。…お前、本当に凄いよ!」
一瞬呆気にとられたあと、力無く笑って「早く行け」とポップは手を振った。
フレッドがサイガの元に走っていく。その方向にマァムがいた。村の者の誰よりも土砂を掻き分けてくれていた彼女の、ドロドロの服はその活躍の証だ。
目が合い、彼女が嬉しそうに笑う。思わずそれに見惚れたポップは、萎えそうになる足を叱咤して歩き出した。
「お疲れさん」
「お疲れさま」
ぱんと互いの手を打ち鳴らし、二人は笑う。その笑顔の合間に、マァムは彼の耳元で囁いた。



「ポップ、今日のあなた、格好いいわよ」



どうやら、そろそろ雨は止みそうだ。松明に照らされ皆に祝福される恋人達の姿を、雲の切れ目から月が眺めていた。


(終)



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