ゆずり葉の円環 あとがき


 アバン先生をとりまく仲間と弟子と宿敵の関係性。を山ノ内なりに解釈して書いてみました。
 安定のポップが進行役です。
 いや、最初は、もっと爽やかに明るい話にしたかったんですけども…でもポップも大人になってるし、山ノ内が夢見てる分めちゃ成長してるし、逆にアバン先生は安定という名の停滞を余儀なくされて燻ぶってるのではないだろうかと思うのでこういう話に。

 実際、マトリフさんは凄くアバン先生を心配していたのではないかなと思うんですよね。友情の前には年齢差とか関係ないけれど、それでも歳の差からくる人生の味わい方というものは、やはり大きな違いがあるのではないかと思いますので。
 ブロキーナ老師は完全に隠者として仙人のような生き方をされているので、また別枠。アバン先生としては、老師のような生き方が一番ラクではないかと思うのですが、柵(しがらみ)が多くて、さらにその柵をこそ愛しているし愛したいという先生なので、その生き方を選べない。
 人間に生まれた以上は、人間として人間の輪の中で生きていきたいというのが根本にある人なのだと思うのです。が、それを全うするには全力で人生を楽しむことがもう出来ないという矛盾。

 きっとハドラーが生存していたりしたら、たまに手合わせとかしてる未来もあったと思うのですよ。なのに、そうじゃなく、かつての魔王は宿敵なのに、先生にさっきまで戦ってた弟子ら未来のことを託して死んでしまいましたので。もう、先生の心の中は嵐が吹き荒れていたのではないかと思います。
 凄くありきたりな言葉で言うと、不完全燃焼のまま。 

 ポップなんかは、自分が人間代表みたいに疎まれたり畏怖されたりを徐々に経験していく過程で、先生のそういうのを敏感に感じ取るのではないでしょうか。
 ただ彼は先生やダイ程には強い使命に捕らわれていないので、『勇者』じゃない『先生』に懐いて甘えて、先生のこれからの人生の中でそっちに重きを置いてもらえればラクになるんじゃないかな〜という回りくどい方法を取っています。弟子としては先生に面と向かっては烏滸がましくて言えないし、先生は言っても多分頭ではわかってるから。
 と計算もしてるけど無意識の領域。
 ただ、師匠がしてたこと(心配とか無言の激励)を、自分も出来るようになろうと。自分にとっての勇者はダイだけど、師匠の勇者は先生だもんなという弟子心。
(あと…最悪の事態を想定するのも魔法使いの性だろうということで、ああいう裏も書いときました。すぐに見つけた方は鋭い。)


(21.04.13UP)


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