ゆずり葉の円環


 ポップの手から飛び立った小鳥たち。
 ハチドリのような小さな小さな彼らは、まるで、放たれたことが嬉しそうに見える。いまにも歌い出しそうで、軽やかに踊り出しそうで。
 だが、それは事情を知らない者が見ていれば、の話だ。

「精霊…」

 アバンはぽつりと呟いた。
 彼は、あの鳥を見たことがあるのだ。サイズは…もっと大きかったけれども。

 かつて大魔王バーンが得意とした呪文、カイザーフェニックス。それは実際には上級火炎呪文(メラゾーマ)なのだが、扱う者が大魔王という桁外れの魔力の持ち主であるため、炎が通常の火球ではなく火炎の精霊の姿を模すに至ったものだ。
 優美な火の鳥は全てを焼き尽くす地獄の業火で、アバンは自身も喰らったからこそその恐ろしさを身を以て知っている。持てる最大の力で放ったストラッシュにぶつけられたことで威力が弱まっていなければ、一瞬で燃え尽きていただろう。
 あの恐ろしい不死鳥に対処できる者など、彼は一人しか知らない。

 そう、いま目の前で小鳥を模した火炎呪文を披露してくれた、愛弟子だけだ。

 大魔王の奥義の雛型のようなその鳥たちは、けれども例の不死鳥の恐ろしさは感じなかった。その事に安堵していいのかどうか、とにかくアバンが僅かに息をついた直後だった。赤にもオレンジにも見える小鳥たちは楽し気に宙を舞い、それぞれの軌跡で用意されていた的にたどり着き、そして――

「なっ?!」

 ――小さな火種は一抱え程ある火球となって、的を燃やし尽くした。

 的が刀剣の訓練用の藁束で、よく燃える素材だとしても。
 火球の大きさが、一般的な火炎呪文(メラ)にしか見えないのだとしても。

 一定の戦闘レベルに達している者ならばわかるはずだ。

 普通の初級火炎呪文では、藁束だとしても半ばを焦がせれば良い程度。あのように、支柱となる丸太までが消し炭になるような事はありえない。
 可能となるのは、中級火炎呪文(メラミ)より以上の魔法力だろうということが。……そして、それが同時に複数発という凄まじさも。

「よっしゃ、成功!!」

 アバンの視界の隅で、愛弟子はガッツポーズを作っている。 

(あ、この子、自分のやらかした事がどれだけの事か、わかってないですね)

 アバンの背に冷や汗が流れた。

(これは…禁止するべきでしょうか…いや、ですが……禁呪じゃないですし……)

 禁呪の分類は大まかに言って二種類ある。
 一つは効果・威力が強大すぎて、人間の身体で扱えば、その生命を削ってしまうもの。もう一つは、人間の倫理で決して認められないもので、一般的には邪法と言われるものだ。
 その定義で言えば、確かにこれは禁呪ではない。後者でないのは勿論のこと、使用しているのはメラという初歩の初歩である呪文のため、魔法力の消費も大して多くないので術者であるポップにも負担はないとわかる。
 禁呪ではないのだが……

(マトリフ…どうしたらいいんでしょうね、こういう時って)

 先年、不帰路についた仲間にアバンは内心で問いかける。
 たぐい稀な呪文の使い手だった大魔道士マトリフは、オリジナルスペルも多数編み出していた。その強力な魔法で幾度窮地を救われたかわからない。
 特に極大消滅呪文(メドローア)は、凍れる時の秘法を自分が用いて自らもハドラーと共に時を止めてしまった事に、マトリフが嘆いて編み出してくれた呪文だ。
 それは今ではポップが受け継ぎ、三年前の大戦でその威力を遺憾なく発揮してくれた。

 ポップは自分の愛弟子であると同時に、大魔道士マトリフの遺弟なのだ。その彼が勇者ダイのために役立てるようにと開発した呪文を否定するのは難しいと言わざるをえない。

「どうですか、先生? これ、敵の意表を突けそうだと思いません?!」

 新呪文を披露してくれたポップは、成功したのが嬉しいのか、単純に自分に見せれたのが嬉しいのか、それともその両方か、とにかく満面の笑みでこちらに感想を聞いてくる。
 褒めて褒めて! という、無邪気な、少年の頃の…師弟二人で旅をしていた頃そのままの笑顔で。

「そうですねぇ。十指焔鳥弾(フィンガー・フレア・フィンチ)でしたっけ?」
「はい。バーンのカイザーフェニックスには全然及ばないけど、それなら数で勝負って思って。フレイザードの技を聞きかじりで参考にしたんですけど、あいつのよりは絶対に可愛いです!」
 にこにこと楽し気にポップは語る。アバンはフレイザードと面識はないが、確かそれは氷炎魔団の軍団長の名前だったはずだ。
「かわ…ええまあ、小鳥さんですもんね。確かに可愛いかったです」
 違う、そうじゃない。
 万人がツッコむだろうことにも律儀に答えて、アバンは軽く咳ばらいをした。
「その…メラなんですよね、本当に? 身体に負担はないんですか?」
「全然! もともと俺、メラ系得意だし。五指爆炎弾(フィンガ―・フレア・ボムズ)のメラゾーマ五発に比べたら、メラの十発くらいなんともないです」

 そう、十発。
 ポップは両手指にメラを灯して放ったのだ。
 
 確かに初級の呪文であるメラは消費する魔法力が少なく、十発程度なら軽く打てるという魔法使いも多いだろう。
 だが、並みの魔法使いでは連射するにも溜めが必要となる。威力を出したければ初歩呪文にも詠唱が必要となるだろう。
 そう……連射すら難しいのだ。『同時』は決して出来る事ではない。

(本当に…もともと魔法のセンスは光るものがあるとは思ってましたけども……)

 とうに自分の手から離れて独り立ちした弟子は、近頃とみに力をつけている。
 その才能の眩さ。炎の精霊との親和性は、大魔王に並ぶかもしれない。
 ただ、大魔王バーンが炎の精霊を従えたのだと感じた反面、ポップの場合は、炎の精霊に好かれているという風に感じる。気まぐれな彼らは、時に気に入った人間により多くの力を貸してくれる事がある。ポップの場合はまさにそれだ。

「そうですか。本当に、凄い魔法使いになりましたね、ポップ……」

 もう、それくらいしか言えることがない。
 お調子者の部分は変わらないというのに、それでもこの子は、もうその技術をひけらかすようなことは決してないだろう。
 ただ、親友の、最高の相棒の、ダイのためだけにその力を揮うのだ。

 若い時の自分と仲間たちを思い出し、アバンは懐かしさに目を細める。

 だが、ポップ本人に不安はなくとも、それを取り巻くだろう環境に思いを馳せれば、称賛ばかりとはいかない。
 その魔法の才能とセンスと技術に憧れる者、羨む者だけでは済まないだろう。妬む者や脅威と感じて危険視する者も出てくるに違いなかった。

「あなたにはもう、不要な忠告かもしれませんが…」

 それでも敢えて言っておこう、とアバンは口を開いた。
 ベンガーナに仕官しているポップが、常日頃、身の危険を感じるような出来事に悩まされていることはマァムから聞き及んでいるのだ。

 アバン自身は下級とは言え出自は歴とした貴族であるし、現在の地位は過分であるとの思いはあっても、功績と女王からの根回しと、何よりかつての重臣クラスが大戦で力を落としていたこともあり、問題は余り起きていない。

 マァムにしても、カール王国親衛隊長の任にあった父ロカと聖職にあった母レイラという、どちらから見ても一目置かれる立場であったことと、こう言ってはなんだが弱兵の多いロモスの地で抜きんでた実力者であること、そして本人の性質が慈愛という…孤児院や病院に多くかかわっている事実が警戒心を極限まで薄れさせている。

 ヒュンケルは複雑な立場だが、成り上がったという印象は皆無だ。もう戦場に出られないという事が広く知られており、逆にパプニカ女王レオナが彼を庇護しているという『弱者』として見られる事のほうが多い。

 ダイはというと、神々の遺産である竜の騎士という事実だけでもお釣りがくるが、更に亡国の王家直系である。本人に野心はなく将来女王の配偶者として迎えられることに異を唱えるような者は(あくまで表向きは)いない。

 ポップは……彼だけなのだ――出自に特筆すべきこともなく、頼れる家門・親族といった後見もなく、単に本人の資質としか言えない魔法の実力だけで世に立っているのは。彼だけが特に『成り上がった』と見られやすい。
 自らの才覚と努力だけで今の立場を掴んだ。誇るべきことである事が、目の曇った者には弱点として映るらしい。

「気を付けて下さい。平和になったいま、ポップ、あなたの才能は妬まれるでしょうし場合によっては危険視されるかもしれません。そんな思いから貴方を排除しようという輩が出てくるかもしれない。…あなたの出自に目をつけて、貶めてくる者も…もう、出てきているのでしょう?」
 問いの形をとった確認に、ポップはただ困ったように笑った。
 ポップを己の権益を損なう者として敵視し、排除に動く者が既にいるのだ。そういう者たちが彼の魔法の実力を目の当りにすればどうなるか。
「敵対した以上、あなたに嫌われれば殺されるなどと飛躍した論理で、自暴自棄になって、更にあなたを排除しようと活発になるかもしれません」

(マトリフはどうだったのだろう)

 弟子を諭しながら、アバンが思うのはかつての旅の仲間だ。
 魔王ハドラーを倒したあと、しばらくパプニカ王家に仕えた彼は、その後、廷臣たちからの様々な嫌がらせに嫌気がさし、隠遁した。
 旅に出た自分は、戦後に数度彼を訪ねたが、その頃には彼は既に隠居暮らしだった。人間嫌いとまでは言わないが、数少ない友人知人以外とは全く関わろうとしないようになっていた。

(…彼も命を狙われたのだろうか)

 もう、彼自身から答えを聞くことは決してできない。
 公私にわたってアバンを支えてくれたあの偉大な老魔法使いは、自身のことをほとんど話さなかった。むしろ、アバンが悩みを打ち明けるのを待ってくれている立場だった――。

 ハドラー戦後、幼いヒュンケルを連れて旅に出ようと決めた時も。

 大戦後に故郷カールで裁判にかけられそうになった時も。

 ――けれど、アバンは何も相談しなかった。ただふと気が向いた態を装いマトリフを訪ね、彼の好きな酒を共に飲んだだけだ。

(ああいった時、何故か自分はブロキーナ老師の元に行こうとは思わなかった。訪ねたいと思ったのは、いつもマトリフだけだ…)

 ふらりと訪れるアバンに文句も言わず、ただマトリフは酒に付き合ってくれた。取り留めのない会話ばかりをするアバンを静かな目で見て、やはり取り留めのない言葉で相槌を打ってくれたものだった。
 ただその目が呆れるような、苦笑するような、そんな光をいつも湛えていた。



「…先生、ひょっとしていま、師匠のこと考えてます?」
「あ……」

 ポップの声にアバンは思考を現実に引き戻した。

「すみません、ポップ。…あなたの状況を考えてたら、マトリフはどうだったんだろうなと…思って」
「どうだったんでしょうね。師匠、俺にはそういうこと全然話してくれなかったんで。……ただ、」
 ポップは一度言葉を切った。どこか遠い目をして、彼方の空を見上げる。それはパプニカの方向だった。
「…ただ?」
 せかすつもりはなく、ただアバンは弟子の言葉の最後を反芻した。聞きたいような、どこか怖いような、けれど聞かねばならないという想いで。



「師匠は言ってました。『あとはお前らに任せる』って」



 だから、とポップは笑う。
「だから、もう、俺たちがとにかく頑張らないといけないなって。先生は生きててくれたけど、それでも、これからの事はこれからの俺たちでやっていくべきなんだって…俺だけじゃなく、皆そう思ってるはずです」
 朗らかな笑みで、彼は言う。

 師匠が全部背負って持って行きたいものがあるなら、もう、それでいい。
 話さなかったことは――話すべきじゃないと思ったのか、話したくなかったのか、それとも…話す価値もないことだったのか。わからないけれど、もう、それでいい。
 残してくれたものは大切に守って活用させてもらうし、やり残したことや伝えておきたかったことは、全部俺たちが引き受ける。

 だから――

「『終わり良ければ全て良し』なんて思わないですけど――それでも師匠は「そう」でしたから」


   俺にゃ女房も子どももいねぇが、息子みたいな弟子に出会えた。
   しかも、死んだと思ってた数少ねぇダチが、元気に生き延びていやがった。
   もう充分だ。これ以上を望んだりしたらバチが当たるぜ。
   先にいく。後からのんびり来い。



「だから――先生ものんびり平和を楽しんで下さいよ。師匠は…師匠とロカさんは向こうに行っちまったけど、レイラさんだって老師にだってのんびりしてほしい。俺らに十五年もくれたんだし。こっから何年平和をもたせられるかは、俺ら弟子の領分だ」

 訓練場に吹き込んだ風が、先のポップの新技で燃え落ちた藁束を二人の近くに運んだ。
 焼け焦げたニオイ。
 黒い灰。
 その種のものが、この師弟に想起させるものは、やはり戦場だ。

「ポップ…」
「もう、魔王は…ハドラーはいない」
 ハドラーという固有名詞を出されたことで、アバンはピクリと肩を揺らした。
 それは大魔王バーンに蘇らされた彼の宿敵であり、魔軍司令として彼の弟子たちを苦しめた相手であり、最後は…武人として高みに上り、勇者ダイと正々堂々戦って納得して散っていった魔族の名。

 そして…アバンを勇者にしたかつての魔王の名だ。

「先生は、ハドラーがいなかったら、そこまで強くなる必要なかったでしょう? 戦う力なんて隠したまま、大好きな料理とかモンスターの研究とかで名前が売れてる学者さんだったはずだ」
「………。」
「俺みたいな奴と違って、先生は何にでも才能があって、何でも伸ばしていける。でも戦いの才能だって伸ばすことは楽しいのに、ひょっとしたら一番向いてるのに、平和な世界じゃそれを実践できる機会なんてない――それは非常の才だから」
「…それは」
「もし魔王がまだいたら、全力でぶつかれるのに。そのために磨いた力なのに、魔王がいなくなったら示した実力のせいで遠巻きにされる」
「ポップ、それ以上は」
「でもそんなこと、先生は夢想することだって許されない。先生は……『勇者アバン』だから」


   ポップ、お前ぇは生まれた時から平和だったろう。十三になるまで村の中で平和に暮らせた。モンスターが暴れることなんざ稀なことで、大人たちだけで対処できた。
   暮らしも困らなかったろう? 復興に向けての特需で、どの国も、武器や道具を作ればちゃんと運ばれて売れる。努力して働けば働くだけ豊かになるってのが保証されてたはずだ。
   親は子に『良い子にして、真面目に働けば良い暮らしが出来る』って、真っ直ぐに目を見て言える。
   お前もそれを信じて――まあ…お前は、不真面目なとこのあるお調子者だったかもしれねえがな?――それを正しいと信じることの出来る環境で育ってきたはずだ。

   わかるだろう、ポップ。それが『平和』だ。

   それがアバンの奴が勇者として地上にくれたものだ。アバンが望み、目指して、魔王ハドラーを倒して得てくれたものだ。
   アバン自身の安寧を諦めて、な。



 師マトリフの問わず語りをポップは思い出していた。言われたのは一体いつだったのか、大戦後のはずではあるが思い出せない。
 ただ言葉の一つ一つが、耳に残って消える事がない。
 最初は、不思議だった。先生は安寧ではなかったのか。平和を皆と共に喜んだのではなかったのか。勇者として故国に凱旋したのではないのか…そう、自分たちのように…ダイが行方不明の現在(当時)では、そう仰々しいものでもなかったけれど……と。
 そこまで考え、ポップは思い至ったのだ。自分は勇者が魔王を倒したという事は事実として知っていたが、その後の勇者が帰郷して褒め称えられ厚遇されたという話は一度も聞いた事などなかったのだという事に。


   オレがパプニカ王家や貴族の連中を嫌っているのを知ってるだろう? ま、別にあの姫さんは嫌っちゃいないがな……
   アバンは何も言わねえさ…言わねぇんだよ、あいつは昔から。
   ハドラーとの決戦の前にはもう、勝ってもそうなるんじゃないかって予想していたようだったが……
   二度も世界の危機を救ってくれた、カール王国が誇るべき大勇者――その通りだ。それでもな、色々言う奴は絶対に出てくる。
   フローラ姫…いまは女王陛下か。あの女王様がどんなにアバンを守ろうとしても、きっとな。
   そして、そのアバンは、姫を守りたいのさ。
   勇者だからな。愛する女を守るためなら自分から身を引く奴だ。

   俺やロカ、レイラも結局は政事から離れた。
   俺は嫌がらせに嫌気がさしたからだが、とどのつまりは皆同じだ。欲のない事を示すことが安寧で……身を護る術だと思ったからだ。
   だが……いま思えば、もっと関わっておけば良かったのかも知れねえ……
   …後悔とはまた違うんだ。夢想しちまうのよ。もっと上手いやり方があったんじゃないか。もっとあの世界で力を付けてれば、アバンの奴も助けてやれたのかも…ってな。

   アバンはなあ――本当に、人間が好きなんだよ。



 ためいき交じりに師マトリフが呟いた最後の一言が、ポップの胸を突いた。
(先生は…ダイと同じなんだ……)
 心の中で呟き、己の出した解に大いに納得したのを覚えている。
 先に先生が止めようとした言葉だって、全部、ダイの事を考えた時に思い至ったのと同じことだ。

 ダイのような、竜騎士という人ならざる奇跡の存在、とまではいかないのだとしても。
 あの強くて賢くて明るくて、いつもおちゃらける先生は、大概の分野で規格外で…人間の常識の範囲を軽く逸脱している人なのだ。
 そう…強さだけではなく、性格も。
 欲が極端に少ないのだ。何も願わないわけでもないだろうし、先生本人に言えば『世界平和を願う事は壮大な欲でしょう』とでも言って笑うのだろう。だけども、それにしたって『皆のためにしたい事』だ。

 人間のために、人の世のために、自分も人間だから、人の輪が大好きだから。

 少し前の、先生の背中にくっついていただけのポップならば、それを「先生は高潔だなあ」「かっこいい人格者だ」なんて思うだけで済ませていたのだろうけれども――いや、実際はそれで良いのだろうけれども。そう。実際はそれで済ませれば誰も悲しまないのに、先生をそう理解するのは親しい者だけだというのが問題なのだ。
 真実欲のない人を、人間は理解できない。敬い尊ぶならまだマシで、理解できぬ異物として排除にかかる者もきっといるから。

「先生は…もっと…色々自由にしていいんだって思うんですよ、俺は」

 宿敵はもういないのに、魔王はもういないのに、勇者としての責務だけは残り、その重さはいつまでたっても先生を捕まえたままだ。
 たとえば復興のためにその実力を100パーセント発揮したとして、魔王軍の残党との戦闘に必死に戦ったとして、返ってくるのは感謝に先立って畏怖の眼差しなのだ――いつかのベンガーナで、ダイがヒドラを倒した時のように。
「先生がどんなに望みのままに生きたって、誰も傷つくことなんてないってのに。でも先生は…わかってるから……」
 誰よりも秀でてるから、そう畏れられる事がわかってしまって。だからいつだってお道化て、おちゃらけて、伊達眼鏡に付け髭までして、実力は常に抑えて、隠して……爪どころか翼までも窮屈に抑えなければいけない巨きな優しい鳥。
 飛ぶことを耐えるのは、どれだけつらいだろう。



「師匠は先生のこと、何も言わなかったでしょうけど、きっと心配していたと思います――友人ダチだから」



 アバンは弟子の言葉に空を仰いだ。
 あの老大魔道士が旅立って行った彼方は、どこまでも澄明な青。
「そうですか…マトリフ……心配かけちゃいましたねぇ……」
 黄金色の光が目に沁みる。
 ポップが伸びをするふりをしてそっぽを向いてくれたので、アバンは静かに眼鏡を外して光に痛んだ目を拭った。

「…ポップ、ありがとう。貴方の状況を心配していたのに、逆に私のほうが心配されてしまって…もう年ですかねえ」

 弟子は苦笑した。
「先生は、まーだ老け込む年齢じゃないっしょ。そんな事言ってたら逆に老けますよ? 俺らにはまだまだ『先生』が必要なんですからね!」
 黒い瞳がきらきらと光ってアバンを見た。
「ほら。俺、こんな事が出来るようになったって、破邪系の呪文は先生に一から教わらないと中々出来ないですし」
 ぼ・ぼ・ぼ、とポップの右手指に小さな三羽の火の鳥が生まれる。空に掲げられた青年の手から飛び立って向かう先は、全てを照らす大いなる
 まっすぐに恋うように飛び続けるのかと思えば、三羽はいつしか混ざり融け合い精悍な猛禽の姿を取った。強い姿だというのに優しさを感じるのは、きっと放った愛弟子の性格をそのまま現わしているのだろうなと、アバンは自由な鳥を眩し気に見つめて思う。

 炎の鳥は蒼空にゆったりと弧を描き、一際大きく輝いて…大気に解けた。

 見惚れ、知らず詰めていた息を吐く。「村の子どもらに見せたら受けるんですよ、これ」とアバンの横で青年が笑う。 

 ポップはいっかな変わらない。勇気を奮い起こせるように成長しても。背が自分と並んでも。これほどの卓越した呪文の才を手に入れても。自分のことを『先生』と呼んでくれる時の表情は、いつまでも共に旅をしていた家出少年の頃のままの輝きで、それでもどんどん進んでいく。

(そうか……まだ…続くんですね……)

 かつての魔王が、自分の腕の中で逝ったあの時――一つの円環が閉じたのを、確かに感じた。

 アバンを勇者にした魔王に、一度は勇者として勝利し、その15年後、復活した彼に敗北した。メガンテを放ってまだ生きているということは、もう一度戦う機会が巡ってくるのだと思い、再戦を誓って自らを高め……けれどそれは果たされなかった。
 まだ幼いと言っていい次代の勇者である弟子ダイ魔王ハドラーに打ち勝ち、ハドラーは満足して逝ってしまった。

 ハドラーはきちんと完結させた――だというのに自分は終われなかったのだ。閉じた円環に感情だけが入り込めずに、ずっと……魔王のいない勇者を続けている。

 けれど

「次は、マァムも一緒につれてきますよ。その時に、あいつ『先生に僧侶系の回復呪文のコツを聞きたい』って言ってたから、教えてやって下さい。俺じゃやっぱり攻撃呪文に偏ってて…それに人体の造りとかは先生のほうがずっと詳しいし」
「あとダイも『先生と剣の練習したい!』って。あいつ、あんまり剣士と闘った事ってないんですよね。それこそヒュンケルくらいで…だから、先生に教えてもらいたいって」
「あ、そうだ。あの時の先生の特製弁当、ヒュンケルが食べれてないから、先生また作って下さいよ。絶対あいつ自分からは言わねえけど、前にその辺の話してた時に『大魔宮で弁当?! さすが…』って興味津々だったし。素直に食べたいって言えばいいのによ。
 そうそう、姫さんも食べてみたいって思ってるんじゃねえかな。生まれた時からああいう立場だから、あんまり毒見されてない食事ってしたことないらしいんですよね!」

 ポップの淀みなく綴られる言霊に、アバンはただ微笑む。



『素晴らしかったぞ、おまえの残した弟子たちは…! オレの生き方さえ変えてしまうほどにな…!!』



 脳裏に蘇った宿敵の声に、アバンは笑みを深めた。

(勇者であっても、そうじゃなくなっても……)


「いいですよ、いつでも来てください。あぁでも連絡もらえた方が嬉しいですね。ご馳走作れますから!」
「やった! 俺、また先生の料理食べたかったんですよ!!」
「おや、いまの貴方には最高の料理を作ってくれる人がいるでしょう?」
「えっ?! いやそりゃマァムのは最高に美味いですけど! 先生のだって人類最高峰でしょ!」

 惚気ながら自分をおだてるという器用なことをしてのける弟子。慕ってくれる明るい笑顔に、アバンは安堵する。
 昔からすんなりと人の心の内に入り込んでくる子だった。
 自分が考えたような懸念は、きっともう一部では始まっているのだろう…。それでもこの子の明るさと強さがあれば、そしてマトリフの薫陶厚いこの子のことだ、きっと乗り越えていける…そう思えた。

 訓練場から城へと向かう道すがら、「身体には重々気を付けてください」とだけ伝える。
 ポップは素直に頷いて苦笑した。
「はい。…もしベンガーナに居づらくなったら、その時は先生とこで正体隠して働かせて下さい」
「ポップ…」
「俺、子守り得意ですから、シッターにでも雇ってくださいよ」
 少ししんみりした直後に「子守り??」意外な職を提示されてきょとんとするアバンに、ポップは笑う。

「先生とフローラ様とのお子さんですよ。カールのお城が子どもの声で賑やかになるくらい、頑張って下さい!!」

「ンなっ! 何を言うんですか?!」
「先生こそ腰に気を付けて下さいね!」
「そんなところまで、マトリフに似ないで下さい!!」

 けらけらと笑いながら、逃げる真似をして宙に浮かび、ポップは両手指を光らせる。
 今度は鳥の形ではなく、小さな小さな火花。
 空に向かって放たれたそれらは、爆裂呪文だったらしい。ぽん・ぽんと上がる小さな花火を見て、城内の何人かが窓を開け楽しんでいるのが見えた。
 一つだけあらぬ方向へ落ち、ネズミ花火になってしまったのはご愛敬といったところだろう。

「まったく、あの子は…」
 ネズミ花火に驚いて逃げたのだろう誰かに「すんませ〜ん」と謝っている声を聞きながら、アバンは乞われて外していた髭を付け直した。


 休憩時間はそろそろ終わる。


 手を振る弟子に自分も振り返して、アバンは執務室に向かう。

「さて、頑張っちゃいますか…!」



 その背を押すように励ますように、通路に吹き込んだ風は強く、暖かかった。


 
(21.04.13UP)


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「すんませ〜ん」
 逃げていく男に声を投げかける。
(知らねぇ顔だな…)
 ということは先生に付けられた方の細作だろうか。ひょっとしたら自分に付けられた新しい担当者かな。まあさすがにカールまでは付いてきていないだろうから、先生の方だろう。
(先生が全然気にしてなかったんだから、刺客ってことはないんだろうけど…)
 やっぱり先生はどこまでも『勇者』なんだなあ…と思う。ああいう手合いも『守りたい人々』の中に入っているから、だから警戒が薄いのだろう。
 基本、泳がすだけで自由に監視してもらってはいるが、ポップにとっては気分のいいものではない。先生が「鍛錬中に危険があってはいけませんから」と人払いをしてくれたお陰で、会話が聞こえる範囲ではないだろうから良いけれど。
(ま、なるたけあっちには向かなかったら、唇も読めねえだろ)
 ハドラーの事など、誰にも聞かせられない。特にここはカール王国。かつて女王陛下を魔界の神の贄にしようとした魔王の話など、思い出話にも出来ないのだから。

 さて、先程の男はどの陣営に報告するのだろう。

 先生の政敵ならば、大魔道士が訪ねたことをどう受け取るだろうか。師弟の絆を重視する輩ならば、先生に戦力が増強されると恐怖するか。それとも……大魔道士というベンガーナの戦力に対抗させるために、先生の実力をもっと発揮してほしいと望むだろうか。
 前者はあまり歓迎できないので、ネズミ花火で脅したのだ。
 主観の入らない報告などないから、『調子に乗ってる弟子を抑える抑止力として、先生の力が必要』という認識になるのではないかと思うのだが。
(うまくいけば、先生ももう少し羽を伸ばせるんじゃねぇかなあ…)

 執務に戻る師に手を振れば、師も振り返してくれた。
 昔と変わらぬその心安さと朗らかさが嬉しい。

(師匠…俺が出来るのはこんな方法だけどさ……)
 まだまだ自分は、黙って共に酒を飲むだけであの人を励ましたり慰めたりを可能にするには、貫目が足りない。
 あの問わず語りは、ただ自分に静かな雪のように降り積もった。師匠にそのつもりがなくとも、自分は受け取り、継いだのだ。

 譲られたのだと、そう思った。

 勇者ダイの魔法使いとしての物語を自分は生きたい。アバンの使徒として生き続けたい。
 ならば、大魔道士の遺弟として、勇者アバンを支えることも……頑張らねば。
(ま、一人じゃねえから、何とかなるだろ)

   あとはお前らに任せる   

 暖かな風に黄色いバンダナが揺れる。
 ポップは目を細め、恋人の顔を、親友の顔を、兄弟子と姫君の顔を思い浮かべた。

 それは、これからも共に、師を慕い敬い守る仲間の笑みだ。

 18年の昔に、師が囲まれていたのと同じだけの、ぬくもりと思慕を。今度は自分たちが返すのだ。

 去り行く師の背中に一礼して、彼はカールを辞した。



 こうして、円環は重なり連なってゆくのだろう。


(終)