手のかかる大人たち


 ドアベルが鳴ると同時に明るい光がヒュンケルの目に飛び込んできた。
 道にも漏れ聞こえていた楽団の音色が一気に大きくなる。店の一角にピアノが置かれており、その横には低いステージ。アコーディオンとクラリネットそして数種の大きさの太鼓を巧みに操る男たちが楽しそうに演奏していた。
「こっちだ」
 弟弟子が自分を手招きし、店の奥へと進んでいく。
「おや、ポップさん」
「おっちゃん、いつもの二つね〜」
 目の前で弟弟子が片手を上げてカウンターの店主に注文する。豹顔の店主は心得たように頷いた。随分と気安い関係の様だ。
 大量のランタンが惜しげもなく吊るされた明るい店内は酔客も明るい雰囲気の者が多いようで、そこかしこから笑い声があがり、ステージの演奏に口笛が吹かれ、おひねりが投げられるのも見えた。
 オーザムの端、原生林とゴツ渓谷の境目にあるこの町にヒュンケルが来たのは久しぶりだった。こんな大きな酒場は当時は無かったように記憶している。

 夕刻にパプニカ王城を辞してすぐ、大図書館から出てきたポップにたまたま遇った。どこかやつれ、表情の抜け落ちたような青年が、ヒュンケルを目にした途端に泣き笑いのような表情になった。
 気になり、こちらが声をかける前に「よお」とポップはいつもの顔で笑った。さっきのは見間違いだったのかと思う程の素早い変わり身だ。
 そこからは早かった。「久しぶりだな、元気だったか」と返した次には「俺今から飯なんだけど、お前ぇは?」と訊かれて、いつの間にか瞬間移動呪文でこの町である。

 暖炉の炎の大きさにヒュンケルは目を細めた。
 大戦時、氷炎魔団に滅ぼされたはずのこの国の中に、これほど活気ある町が存在するなど誰が想像できるだろう。
「ここだぜ」
 その声でヒュンケルは意識を弟弟子に戻した。
「ポップ、ここにはよく来るのか? …お、おい?!」
 勝手知ったるという態でポップは最奥のソファ席に座った。何やら文言を呟いて宙にルーンを描いたかと思うと、【予約席】と書かれた素朴な手造りの三角柱を無造作にテーブルの端に寄せるのでヒュンケルは慌てたが、当のポップはきょとんとしている。
「お前、ここは予約席だろう?」
「は? …あ、あーそうか。言ってなかったな」
 何がだ、と聞き返す前にポップはへらっと笑って告げた。
「ここは俺の…俺らアバンの使徒関係者の特別席なんだよ。だからこれが置かれてる。いつでも座れるように」
 その言葉にヒュンケルは呆気にとられた。が、この里の成立の事情を思い出して納得した。

 この『隠れ里』は、前大戦より以前から初代大魔道士マトリフがその卓越した魔法力で結界を張って守っていた場所で、いわゆる移民の開拓村だ。
 世界中に散らばる住処を追われた者たち――それは例えば魔族やエルフやドワーフといった人間以外の種族であったり、魔王の影響から逃れることを望む魔物であったり、またはそれら種族を越えて結ばれた者たちやその子どもであったりする――が最終的に行き着くだろう場所であり、人間は許可が無い限り入村が叶わない。
 地形を利用して広範囲の結界が敷かれているというが、呪文の素養のないヒュンケルには詳しいことはわからない。ただ、五芒星と六芒星を組み合わせて作られたその結界を維持管理出来るのは、マトリフ師と同等以上の知識と技術を持つ魔道士でなければならないとなれば、彼亡き今、唯一の弟子として引き継いだ二代目大魔道士であるポップが、その管理をしているのだ。
「そう…か、なるほどな」
 ならば、ポップが里の者に顔が利くのは当たり前だ。
「そういうこと。それに俺、ここのおっちゃんの店がベンガーナの屋台だった頃からの知り合いだしな。里を紹介して、そんで酒場開くって聞いた時は嬉しくってさ、あん時ゃスライムレースの万馬券の半分をご祝儀にしたんだぜ」
 どこか自慢気に語るポップに、「お前、何やってるんだ」とヒュンケルは外套を脱ぎながら言った。
「いいじゃんか、あぶく銭なんて派手に使い切ってなんぼだろ。使い道だって祝い事なんだからよ」
「そうじゃない。ギャンブルなんてまだ早いだろうが」

「……おい」

 ポップの声が低くなり、ジトっと据わった目つきになる。
 ヒュンケルが己の失言に気づき、「お前なぁ」ポップの舌鋒が火を噴こうとした丁度その時だった。店長が大きなゴブレットを二つ、席に運んできた。
「この後、セットのつまみも二つお持ちしますね」
 ピンと髭をしごいて店長はポップに笑う。「あ、頼んます」と一瞬でいつものへらりとした笑顔を作って応えたポップは、視線をヒュンケルに戻すと数秒ねめつけて溜息を一つついた。
「まあいいや……。飲もうぜ」



 チーズ各種とハムの厚切りに揚げ芋が二皿ずつ、そしてエールのビンが二本テーブルに置かれ、店長が去ったのを見送ってポップはゴブレットから口を離した。
「ヒュンケルお前さ、俺のこと何歳だと思ってんだ?」
「……すまん。もう18だったな」
 ヒュンケルは素直に謝った。別に各国にギャンブルに関して年齢制限があるわけでもないが、一応成人しか立ち入らないのが不文律となっている。だがそれを措いても18歳ならば立派な大人だ。一人前の男が子ども扱いされて嬉しいはずがない。
「わかってんなら良いけどよ……ま、年齢差は変わるこたないもんな。あんたが俺らアバンの使徒の兄貴分なのは事実だし」
 揚げ芋を咥えながらさらりと言われた言葉に、ヒュンケルはむせた。エールの泡がわずかに浮き上がったのに気付いたのか、ポップが「大丈夫か?」と問うてくる。
 揶揄われたわけではないのだろうことはわかっていたが、ヒュンケルは弟弟子の顔をまじまじと見つめてしまった。
 そして気付く。もうそろそろ四年近く前になる大戦時の記憶が鮮烈なためか、15歳当時のイメージが強いこの青年は、それでも確かに『青年』であって、少年期などとうに卒業した大人の顔になっていた。当時まだまだ成長期にあった体つきは自分と余り変わらぬほどに伸びて、かっちりと幅広くなり、丸みが残っていた顔はシャープに、何よりも表情が変わったように思う。

 そもそも、当時のままならばこうして酒場で二人、差し向かいでエールを飲んだりしているはずもない。

「何だよ、さっきから俺の顔見て。俺、そんなにガキっぽいか?」
 問われて「いや」とヒュンケルは首を横に振った。
「逆だ。もうどこから見ても大人だ。子ども扱いなど出来んな、と思っていた」
 ビンを取り、ポップのゴブレットに足してやる。先程の詫びのつもりだった。ポップもそれがわかったのだろう、黙って注がれていた。
 明るい店内に響く軽快な曲の調べ。ふと店内を見回し客層を見れば、多種多様な姿の者ばかりで、人間もちらほらと混じっている。その光景はヒュンケルにふとかつての地底魔城での幼い日々を思い出させた。

 骸骨剣士の父。ドラキーやオークの友人知人。優しく温かな彼らがいつも身近にいてくれた。時に自分も酒盛りの輪に入り込み、旧魔王軍の活躍を聞いて菓子をもらって喜んでいた懐かしいあの頃――。

「いい店だろ」
「ああ」
 答えなど求めていないだろう問いだったが、彼は深く頷いた。
 アバン先生に手を引かれ地底魔城から出て人間の町に初めて入ったとき、行き交う者が皆人間だったことに驚いた覚えがある。皆が同じ顔に見え、同じ言葉を話していた事が酷く衝撃的だった。
 翻って今現在の自身の環境を思い、ヒュンケルは苦笑した。地底魔城の中で唯一の人間として生きていた自分が、パプニカの王城で、人間の群れの中で、群れの王に仕えて生きている。それがヒトの本来の生き方だとわかっていても、馴染むのには非常な努力がいった……。
 特殊な成り立ちであるはずのこの隠れ里が、自分のような者にとっては原風景だとは奇妙なものだ。
「ラーハルトとかおっさんとかとも来たことが無かったのか? 俺、ちゃんと皆に入村用のパスを渡したと思うんだけどな」
「いや……来たことはあるんだが、俺は一人だったし、まだこの店も無かった頃で移民全体が少なかったな。二人は訪れているのかもしれんが、今日のお前のように誘い合わせてという事は今迄なかった」
 いつの間にか揚げ芋を食べつくしたポップが、チーズを摘まんでいる。彼の問いに答えてヒュンケルは揚げ芋を口に入れた。まだ揚げたてのそれは熱く、それでいて塩味がきちんと感じられる。どういう塩梅なのだろう。衣がふわりと軽くていくらでも手が伸びる。
「旨いな、これは」
「ああ、この店、つまみだけじゃなく料理全般が美味いんだよ。だからよく来るんだ。バーンも連れてくる事多いぜ」
 ポップが口にした名前は、かつての大魔王で現ポップ宅居候の名だ。
「…バーンを、か。…その……」
 問題は無いのか? と問う前にポップが口を開いた。
「住民の中には魔王軍にいた奴も何人かいると思うけど、里のルールは『過去を問わない』だかんな。名前と態度で気付いても誰も何も言わないさ」
 何でもないように話すと、ポップはエールを一気に呷った。間を置かず、手酌で二杯目をどんどん注いでいく。
「そうか。いや、それも気になってはいたが、お前は…」
「俺は?」
 黒い瞳が、言い淀んだヒュンケルを見つめた。続きを促すような眼差しは、けれどそれまでの飄々とした風を纏ってはいない気がした。
 問いを中断した理由はヒュンケル自身にもよくわかっていない。ただ、何かが続きを紡ぐのを拒ませていた。
 だから当たり障りのない話題を口にする。
「いや…お前の仕事は忙しいんじゃないのか? 今日もそんなに飲んで大丈夫なのか?」
「はあ? お前、さっき俺の事を『子ども扱い出来ない』って言ったばっかだろ?!」
「だがお前、ペースが」
「大人だよ、俺はもう。仕事だってしてる大人! 酒くらい好きに飲むくらいは大人だっつーの!!」
 鼻息荒く言うが本気で怒ってはいないらしい。
「おっちゃん、エール五本追加で。あとライスとスープと魚料理のオススメも二つずつな!」
「ポップ?!」
「うっせ。今日はもともと食って帰るつもりだったからマァムにもそう言ってあるんだよ。昼は食ってないし、帰ったって飯はねえんだから今ちゃんと食うだけだ。ここのは美味いし安全なんだよ、文句あんのか?!」
 早口でまくしたてられる。弟弟子の何かのスイッチを押してしまったらしいとヒュンケルは気付いたが、
「あ…もしかしてお前今日はエイミさんが飯作って待っててくれてたりするのか?」
 急にもとの静かなテンションに戻って気遣ってきたりするので、調子が狂う。
(これは…かなり付き合わされそうだな……)
「大丈夫だ。彼女は宿直だし、俺も今日は外で食べるつもりと言ってあった」
 思えば、この弟弟子とは大戦中からずっと、会話をして自分が主導権を握れたことはないのだ。こちらが長兄役を務めようと気を張っていたころは、まだ反目しつつも意見を聞いてくれたが、いざ大戦後にそれぞれの国で勤めるようになってからは、職務の違いもあり逆に普通に会話をするようになってきていたように思う。その状態でこれに会話で振り回されなかったことなど無いのではなかろうか。
(以前に服屋で遇った時と言い、まるでつむじ風だなこいつは…)
「んじゃ問題ないな! おっちゃん、エールもう一本追加で!」
 自分のゴブレットを腕ごと持ち上げて追加注文をするポップ。
 諦めてふと、ひょっとして自分はこの六歳下の弟弟子に懐かれているのでは――? という疑問が浮かんだのをヒュンケルは慌てて打ち消した。





 互いの国での仕事の話や、物価、売れ筋の商品、ポップがマァムと共に渡り歩いている無医村やスラムでの出来事、それらの復興状況、ダイの勉強の進み具合、最近ダイが剣を教えているというパプニカ軍内での評判、レオナのとった施策、カールでポップたちがアバンのもとを訪問した事――などなど。久しぶりに話す内容は多岐にわたった。

「先生、今でも料理してたぜ。部屋に専用台所つくってもらっちゃってさあ。俺ら、フローラさまと一緒に特製シチュー食わしてもらったんだ」
 嬉しそうにポップは語る。マァムと二人で個人的にフローラ女王の第二子懐妊を祝いに行った際に師に振舞ってもらったという特製シチューは、ヒュンケルの記憶にある『修行を頑張った時のご褒美』の一品だろうか。
「そうか。先生のシチューは俺も覚えている。確かに旨かったな」
「そうそう。えーと、『無添加・新鮮・栄養ばっちり、安心安全なアバン印のシチューですよ』ってな」
 師の台詞を真似るポップ。何故かポーズまで脳裏に綺麗に再生されて、ヒュンケルは苦笑した。
「…変わらんな、先生は」
「家でも作りたいからレシピ聞いたらさ、『残念ながら守秘義務がありまして』って冗談言われたよ。まずお子さんに伝えるんだってさ」
 へらりと青年は笑い、カールでの話を続けた。プライベートな弟子としての立場で訪れても、やはり王族となりどこまでも公人であるアバンにはポップ達の前で話せない事柄も多く、少し寂しそうに謝られたという。
「先生が悪いわけじゃねぇのにな」
「そうだな…。俺たちも…誰しも皆そういうものだろう」
 実際、ベンガーナで貴族の利害関係に奔走しているらしいポップとてそうだろう。女王であるレオナはもちろん、ロモスで将軍位にあるマァムも。
 ヒュンケルとて軍務に関わっている。アバンの使徒同士でも、言えないことは多い。
「そ、だな。秘密に出来るのは平和の証拠って思うしかねぇんだろな…」
 ヒュンケルは頷いた。きっと先生は、目の前の弟弟子と同じ表情をしていたのだろうと思いながら。

 ヒュンケルは基本的にパプニカから出ることはないが、ダイが兵士に剣の指導をする際に補助することもあると話せば、随分と喜ばれた。
 ダイの指導は感覚的な所が大きいのだが、せっかちさとは無縁なので悪いところを指摘して時間をかけて一つ一つ問題点を解決していっているのだそうだ。以前より断然兵士たちの練度は上がっている。
「あいつやるなあ。先生に師事してた時は、スペシャルハードコース三日間即席仮免繰り上げ合格なのに、教えるの向いてるなんて凄ぇな」
 のんびりコース一年以上在籍の挙句に繰り上げ仮免合格者だった魔法使いが自分を棚に上げて感心するのに、ヒュンケルは満腔の同意を示した。
 実際、ダイの指導は上手くいっている。元より兵士たちから全幅の信頼が捧げられているが、最近はそれが本当に顕著になってきていて、自分たちにしてみればダイがごく自然と自分の居場所を獲得出来ていることが喜ばしかった。
 中には普通なら名人と言われるほどに仕上がった兵もいる。それを言うとポップは一頻り驚嘆したあと思案顔になった。
「なあ、その兵士、大地斬とかも教えて伸ばしてやれよ。凄い逸材じゃねぇか」
「アバン流刀殺法をか?」
「そうそう。強い事に憧れるのは男の性だろ。二人でアバンストラッシュまで段階的に見せてやればさらに頑張るんじゃないか?」
 他にも触発されて奮闘するやつが出てくるかもしれないし――などという提案に、ヒュンケルは苦笑を返した。
「それならダイに任せるべきだな。俺には少々荷が重い」
「何で? 身体があれでも、型くらい教えてやれるだろ?」
「ああ。だが…」
「お前、空の技も問題なく使えるようになったんだから、アバンストラッシュだって」
「ポップ」
 ヒュンケルは静かに頭を振った。

「わかっているだろう? 俺は、たとえあの技を打ったとしても、アバンストラッシュとは言わん」

 ポップが、ぐ、と言葉に詰まる。
 あれはアバン先生の――そして勇者を継いだダイが振るう為の技だ。
「魔道に堕ちた俺が継いでいい剣ではない」
 言い切った時、黒い瞳に傷ついた光が走ったのが見えた気がした。

「そんなの…関係ないだろう」

 ぽつりと呟いた時のポップの表情に、大戦時の頃の面影が重なったような気がしてヒュンケルは目を見開いた。
 先程あれだけ大人びたと感慨にふけったばかりだというのに。
(いや、そうか…。こいつは、何も変わっていないんだな…)
 立派に成長した。大人になった。外見も、中身も。
 それでもポップの本質は何一つ変わっていない。
 だからこそ、自分は彼にかつてと同じ面影を見るのだろう――

「魔道に堕ちたなんて…。だって戦争なんだ。お前はあっちで育ったんだから…」
「ポップ」
 再度ヒュンケルはポップを止めた。

 ――愛情深く真っ当に育てられた人間が持つ、その情の深さゆえに。



 ランタンの明かりは店内に影を作らず照らしている。たまに聞こえる酔客の話し声や楽団の音も変わらず耳に届く。
 だが、こちらには誰もが驚くほど興味を示さない。入店時にポップの知り合いが何人もいたにも関わらず、だ。
 訝しんで、ふとヒュンケルは気付く。ソファ席一帯を、ごくごく薄いエメラルドグリーンの膜が覆っていることに。
「これは…」
「…人払い用のまじないだよ。レムオルの簡易版だ」
 対面から小さく応えがあった。
(最初にルーンを描いていた、あれか…)
 合点がいって意識を戻すと、ポップは疲れた顔をしていた。「なあ」と言う声にも疲労がにじんでいる。
「…ヒュンケル、お前ぇがさ、飲み始めのときにむせたのも、バーンの事で黙ったのも、同じような理由なのか…?」
 問われ、ヒュンケルはぴくと肩を揺らした。

 『あんたが俺らアバンの使徒の兄貴分なのは事実だし』――そう言われてむせたのは。

 『いや、それも気になってはいたが、お前は…』――自分が言いかけて止めたのは、どんな言葉だったのか。

「そうだな…根は同じだ」

 先生がいない分、長兄役を務めようとはしたものの、かと言って妹弟弟子たちに兄貴分だと認めてもらいたいなどと烏滸がましい事を思ったことはない。魔王軍の敵…しかも師を憎む軍団長として出会ったのだ。許されて仲間と認められただけでも奇跡なのだと思っている。
 償いきれぬ罪を犯したのだから、せめて後輩の役に立ちたかった。捨て駒になってでも彼らの道を切り開ければそれでいいという意識だった。――これは現在でも変わらない。

「俺はお前に、兄貴分などと言われて良い存在じゃない」
「…っ」
「そう思ってもらえる事には感謝と喜びしかない。俺とてお前たちのことを大事な弟弟子だと、仲間だと思っている。だが」
 自身をむやみに卑下はしない。過去にとらわれて歩みを止めることはすまい。アバンの使徒として生きるということは自身の誇りの拠り所であり命題だ。
 けれども過去が消えるわけでは、ない。
「だが、お前がそう思ってくれるという事実だけで、お前を危険視し傷つける輩が必ず出てくる。それは当然のことだ」

 バーンの事については、かの大魔王がポップとマァムのもとで共に暮らしているのは当然知っている。たまにパプニカで見かける事すらあるほどだ。
 だが、二人がバーンと共にいるのを見ていつも覚えるのは「不安」だった。バーンが再び牙をむくという意味ではない。
 ポップらが人々に忌避されるのではないか、という意味での恐怖だ。

「ましてやバーンが大魔王だと知られれば、実際の脅威かどうかなど関係ないだろう」
 だから、尋ねようとしたのだ。「お前は大丈夫だったのか?」と。「罵られることはなかったか?」と。黒い瞳の視線の剄さに飲み込まれはしたけれど。

「けど……そんなの、立場の違いじゃねぇか」
 ぽつぽつと弟弟子が語る。
「お前ぇが…ラーハルトやおっさんやヒムも、人間を襲ったのは戦争だったからだし…俺だって、魔物たちを沢山殺してきたんだ……」
 それは以前もパプニカ城下でポップが言っていたことだった。
 察するに、この弟弟子はいま考察したからではなく、いつもそのような認識なのだ。
 公正であろうと、公平であろうとして。大魔道士の冷静さで全てを見つめて。
「人が殺されて良かったなんて思ってるわけじゃねぇ。でも、お前ぇも皆も良い奴ばっかりなんだ。なのに…!」
 拳が作られる。普段着のために珍しく手袋をしていないその両手指を彩るのは、酔いから浮き出てきた多くの裂傷と火傷のあとだ。魔法使いゆえに、攻撃呪文を打たせぬよう、敵が手を狙う事は多かったろう。痛飲していたので、かなり酔いが回ったのかもしれない。
 傷の一つがドクンと大きく脈打ったのが見えた。

「なにが『お可哀想に』だよ。『裏切者』?『人外』? テメーらの方が人非人だろうが!! ふざけやがって…!」

「…ポップ?」
 静かに激した弟弟子の不可解な言葉にヒュンケルはたじろいだ。
 感情のままポップの全身が薄緑の魔法力を発している。癖のある黒髪がゆらゆらと風もないのに持ち上がっていた。
 いつも明るい光を宿す瞳には、本人が自覚しているのかどうか、涙さえ浮かんでいる。
「落ち着けポップ、急にどうした? 何があった?」
 最初から浮き沈みの幅の大きな妙な調子だったが、仕事で疲れての故だとばかり思っていた。自分と飲んで愚痴を吐き出せれば落ち着くだろうかと考えていたのだが。
 静かだった声は、萎んでいたのではなく溜め込んでいたのかもしれない――瞋恚を。
 テーブル上のゴブレットが、かたかたと細かく震えたている。
 常の飄々とした態度とも、戦闘時に見せていた冷静な様子とも全く違う、尋常ではないその怒りの態に、ヒュンケルはポップの肩を強く掴み、揺さぶった。

「落ち着け。酔ったのか?」
「っ…酔ってねえよ!」
「だったら、ちゃんと話せ。魔法力を引っ込めろ」
 あえて突き放した言い方をすれば、ポップはばつが悪そうに目を逸らせた。
「あー…またやっちまった」
 小さな声で愚痴り、ぐじっと目元を拭う。
 こういう場合、自分が見ていてはまた色々面倒が起こりそうだと察し、ヒュンケルは店主に水を頼もうと立ち上がった。

 ふと、二人で声をあげていても、人避けの膜は破れはしていないことに気付く。
 聞かせられる内容ではないからありがたい事なのだが、それと同時にヒュンケルは思う。

 ポップが一人苦悩している事に、誰もが気にも留めず明るく笑っている――その煌びやかな悪意の無さ。それが逆に、この弟弟子の陥った状況の暗喩のようだ、と。





「さっきは悪ぃ。取り乱した」
 冷水を飲み、ポップが一息ついて謝罪した。
「いや…」
 ヒュンケルは聞かされた話を脳裏で反芻する。
 ポップが語った話は、自分やラーハルト達という元々魔王軍にいた者ばかりでなく、人間の希望である勇者――ダイにまで及ぶものだった。

 異質なものを排除したがる人間の性と、それを基に引き起こされた暴虐の悍ましさ。
 
 伝聞でも耐えがたい悪口雑言をダイに向けた相手に、ポップは忍耐力の限界を迎えたのだという。さもありなん、親友、相棒、どんな言葉もこの大魔道士と勇者を表現しきることは出来ないというのに、それを貶されてしまえばどうなるかは自明だ。
「その男は、お前を仲間に引き込もうとしたわけか? ダイも?」
 疑問を口にする。ポップは少し考えてから「多分な」と点頭した。
「多分?」

「ああ。多分としか言いようがねぇんだ…。なんかチグハグでな」

 ポップは言う。一大犯罪組織の黒幕だったその貴族は、何度もポップを呼び出して己の商売に噛ませようとしていたのだ、と。まるで善意で提案しているのだとでも言いたげだったのだという。
「その割には馬鹿にしてくるんだけど、な。それでも、ダイに協力させることであいつが世間に認められるだろう、とか。俺が組織壊滅に関わってたのを知ってた口ぶりなのに、その事を忌々しいと思ってるだろうに、それでもしつこく誘ってきた事とか」
「……ふむ…確かにチグハグだな」
 とは言え、この場で話し合って解明するような資料も何もない。
 空になったゴブレットを置き、店主オススメの、鯛の薄切りソース掛けを口に運ぶ。新鮮な魚はパプニカでも食せるが、森と渓谷の村で海の魚を干物以外で食べられるとは思わなかった。
 ちら、と弟弟子を見れば、こちらも酒を止めて同じものを食べている。これ以上飲ませるのはどうかと思っていたので、少し安心した。
「それにしても、本部がパプニカにあったのに、真の黒幕はベンガーナにいるとは」
 呟けば「隠蔽工作とか隠れるのが巧い奴だったから」とポップが返した。憎々し気に眉を顰めている。余程に腹に据えかねたのだろう。
 実際にヒュンケルも聞く限りで十二分に嫌悪感を覚えている。大人しくなった魔物達の大量捕獲と殺害に加え、人身売買をする際には実行犯たちに魔族に扮して暴れるように指示を出していたというのだから、好意など抱きようが無い。

「スムグル男爵なんかは隠れ蓑だったみたいだぜ」
「! 彼も一味だったのか?!」
 それはヒュンケルも知るパプニカ貴族の名だ。確か、以前、魔族や魔物の市街地立ち入りを禁止する法を通そうとしていた。だが、この件で逮捕されたとは聞いていない。
「いや、男爵は何も知らない。ただ危機意識が高すぎるだけのおっちゃんだ。とりあえず魔物嫌いってことで使われちまったみたいだな」
 ポップは脇に置いた鞄からメモを出した。「パプニカでの裁判の記録とかを調べてた」と何でもない様に言うが、ならば、今日パプニカの大図書館から出てきたのはそのためか。

「ポップ、お前…ちゃんと休めているのか?」

 問えば、へらりと笑う。
「俺は、仕事以外はしたい事をしてるさ」
 軽いのに揺蕩うような、捉えどころのない笑み。

「俺よりヒュンケルはどうなんだよ。…怪我とかしてねぇの?」

 料理の無くなった皿を行儀悪くフォークでつつきながら、気遣う眼差しが向けられた。おそらく以前パプニカ城下で遇った時の事を考えてくれているのだろう。
(面倒くさそうにする割に、不甲斐ない兄弟子の面倒まで見ようとしてくれなくていいんだがな…)
 おそらく、先に話してくれた事件の顛末からずっと、この大魔道士は自分を気にかけていたのだ。
 だからこその、今日の少々強引なこの席だろう。流石にもう長い付き合いだからわかる――わかる事が出来るようになった。
 それがこの男の、何よりも有り難い、情なのだ。
 慈愛の使徒であるマァムのような、全てを受け容れて包み込み安心させてくれる母性的な愛情とは、また少し違う。勇者であるダイのような、明るく温かな頼り甲斐でもない。

 いつの間にか、気付けば清水のように沁みこんでいて、気付く前の自身には最早戻りたくなくなるような、情け深さ。

「何も問題ない」

「……っ」
「心配してくれるのは本当に嬉しいのだが、それでも敢えて言う――何も問題はない」
 自分だけでなく、元魔王軍に属していた者全てに、何も問題などない。
「お前が気にしなければいけないような事など無いんだ、ポップ」
 重ねて言う。決して納得などしないのだろうけれど。

「俺は…役に立てねぇか?」
 小さな問い。
 ヒュンケルは「馬鹿な」と息を吐く。変な所で自己評価が低いのも変わっていないようだ。

「ポップ、お前は俺たちをよく知ってくれている。だからこそ先のように護ろうと弁護しようとしてくれるんだ。」

 ――そんなの、立場の違いじゃねぇか
 ――お前ぇが…ラーハルトやおっさんやヒムも、人間を襲ったのは戦争だったからだし…

「それだけでいい。それだけで充分なんだ。お前や仲間たちがそう思ってくれている――魔に属する事情があったのだと、立場があるのだと、そう考えようとしてくれる人がいる。それだけで俺たちには充分に有り難いんだ」

 あの大戦で、氷炎魔団長フレイザードや妖魔学士ザムザのためにすら建てられた墓があるという事実。
 怨親平等を理想に掲げるその姿勢。

 それだけで、自分たちは息が出来る。

「俺たちだけに心を砕くな。お前は『人間』なんだから」
「そんなの、それはお前も一緒じゃ」
「違う」
「…!」
 遮られ、ポップが言葉を呑み込む。

「別に自虐で言ってるんじゃない。事実だ。俺はどちらでもあって、どちらにもなり切れない。だが、お前は『人間』だ。そしてその貴族もまた、『人間』なんだ」

「ダイを探していたころ、お前は沢山見ただろう? 破壊された村や町を。騒ぎを起こせない俺たちの班よりも、更に多く立ち寄って、苦しみ嘆く人たちを助けて復興を手伝ったはずだ」
「あ、ああ」
 戸惑い頷く彼の黒い瞳を、ヒュンケルは正面から見据えた。



「俺やクロコダイン、ラーハルト、ヒム、そしてバーンも、あの苦しみと嘆きを与えた者だ。俺の今の主君は、俺の侵攻で父親を失った身寄りのない女性だ。
 ――忘れるなポップ。俺たちへの情でお前の依って立つ所を間違える事はあってはならない」



 一人一人と関わって、共に怒り、共に嘆き、共に笑い、時には命までもを懸ける。
 もう自分たちにはそれは充分だから。
 お前の情けは染み渡っているから。
 だから弱い人間たちにこそ、嘆いている者にこそ、それを向けてやってくれ。

「……それで、良いのか?」
 不安を双眸に宿しながら、ポップは俯き聞いていた顔を上げた。「ああ」とヒュンケルは頷く。
「俺たちは、大人だからな。自分のしてきた事の責めくらい負えなくてどうする」

 地上において、力無き者を蹂躙していいという正義はないのだから。

「……………大人、か」
 ポップは笑う。奇しくも今日飲み始めた時の最初の話に戻って来たようで。
「ああ。お前も大人だ。だから俺たちはいいから――ダイを守ってやれ」
 15歳なんて、まだ子どもなんだから。

 数瞬ののち、にっと口角を上げたのは、もういつものポップだった。

「そりゃあ、当たり前だろ。俺だって15歳の頃は、随分と兄貴分に守られたんだから」

 





 テランの片隅、ポップが定宿にしているという小さな宿屋を、夜更けにヒュンケルは訪れた。
 自分たちアバンの使徒関係者が緊急時に所在不明にならぬよう連絡網をレオナ女王の発案で作ってあったわけだが、まさか初めて使う目的が、酔いつぶれた弟弟子を送り届けるためとは。

「お帰りなさい…ええっ? ヒュンケル?」
 宿に入れば、扉の正面には既にマァムが待っていた。自分を見て驚くが、すぴょすぴょと太平楽に寝息を立てるポップを見て、すぐに状況を把握して彼を抱き上げる。俗にいうお姫様抱っこだ。

「まったくもう…」
「ん〜〜…あ、マァム? あれ?」
「ポップ、起きなくていいからしっかり寝なさい。…運んだげるから」
「……さんきゅ…」

 仲睦まじい恋人たちの姿を、ヒュンケルは目を細めて見送った。奥の部屋に二人は消え、ややあってマァムが玄関に戻って来た。
「ありがとうヒュンケル。連れて帰ってくれて」
 食事をするスペースなのだろう場所で、マァムはヒュンケルに椅子を勧めた。薬品の匂いが彼女の手から漂っていた。
「だいぶ飲んでいたから、明日に残るかもしれん」
 マァムは桃色の髪を横に揺らし、微苦笑を漏らす。
「いいのよ。ポップはこのところちゃんと寝れてなかったから……お酒の力でも熟睡できるのならそれで良いの」
「やはりそうか」
「…なにかあった?」
 眉を曇らせたマァムにヒュンケルは頷く。
「感情の起伏が激しかったり、魔法力を暴走させかけたりと、どうにもおかしいと思っていた」
 もともとポップは、自分などよりはずっと感情表現が豊かではあるが、それでも冷静沈着を旨とする魔法使いの彼にしては妙だった。

 暴走しかけた時の事を掻い摘んで話せば、マァムは「やっぱり」と呟いた。

「この前、ベンガーナの王都に仕事に行ってから、ずっと塞ぎ込んでたのよ。それまでも調べものやパプニカの事件に協力した時の報告とかで疲れ気味で……それがベンガーナのムーカ伯爵を訪ねてから顕著になったわ……」
 訥々とマァムは語る。
「ダイやヒュンケル貴方たちの事を酷く言われて…『あれは呪詛だ』とまで言ってたの」
 物騒な単語にヒュンケルは喉を上下させた。
「…呪詛、か」

 ――あんな呪いみたいな強い想いが、世界中に根を張ってるんだよなぁ……ポップはマァムにそう呟いていたという。

「『深く強く、浅く広く、世界中にダイ達を排除したがる根があるんだ。あいつは人間を好いてくれるのに。皆、良い奴ばっかりなのに』って……」
「………。」
「伯爵は捕らえられたけれど、そこからも休みを返上して調査記録なんかを睨んでいたわ……」
 つまりは、ほとんど休んでいなかったと言うわけだ。
 マァムとて彼女自身の仕事があるし、さらにそんなポップに代わり、薬造りや診療の役割も引き受けたのだろう事が薬品の匂いでわかる。ポップほどではないが、彼女もオーバーワークなのが見て取れた。

「でも、もう大丈夫ね」
 ヒュンケルに伝えながら、ふっとマァムの愁眉が晴れる。
「わかるのか?」
「ちゃんと元の『気』に戻ってたもの。ヒュンケルのお陰だわ。ありがとう」
「いや、俺は何もしていない。ただ、誘われた店で飲んで話を聞いただけだ」
 礼を言われて困惑し、否定するが……
 マァムはくすくす笑う。

「それで貴方の前であんなに寝こけられるのなら、よっぽど貴方に助けられて楽になれて、嬉しかったんだってことよ?」

「…そうなのか?」
「きっと、そうよ。だってポップは基本、見栄っ張りで意地っ張りなんだから」
 優しくあたたかな微笑み。かつて自分を改心させてくれた、ポップが今も昔も焦がれ愛し続けてやまないその笑み。
 普段、ポップと一緒に暮らしてる彼女が言うのだから、そうなのかもしれない。ならば自分はちゃんとあいつの助けになれたのか、と笑みが浮かぶ。
 今日の疲れが癒えたら、またしばらくは絶対にあいつは自分を『兄貴分』とは呼んだりしないのが想像できる。それでいい、そのほうが安全だとポップに言ったのと同じこと思い、それでも心配されて頼られもされたという事実をどこか喜んでいる自分に呆れる。自分が踏み込んでいいのは、同門の兄弟弟子というところまでだろうに。

(俺などでは、あいつの真実の支えにはなれない……)

 そういう点では、慈愛の使徒であるマァム――彼女は人間の善性をわかりやすく伝えてくれる存在だと、ヒュンケルは思う。

「……マァム、頼みたいことがある」
 首を傾げた彼女に、ヒュンケルは請うた。

「ポップを繋ぎとめておいてやってくれ」

 あいつは、人情家だ――どこまでも情が深く、その為に自分たちのような元魔王軍の者でも懐に入れてしまう。その事にどれだけ皆が救われているかなど言うまでもない。

「だが、過ぎれば俺たちのような立場の者を守るために間違うかもしれん。それではいけないんだ。
 あいつ…ポップは真っ当な人間だ。いや、真っ当な人間のままでなければならない――あいつ自身のためにも。ダイのためにも」

 ――人間全体のためにも。

「だが、俺たちでは、時にあいつにとっては魔への誘い水になりかねない。公事に携わる姫でも、いや、譬えダイでも、これは無理だろう。あいつは親友のダイの苦しみを最も理解するせいで、分かち合う方に流れるだろうからだ」

「………そうね」
 マァムの静かな応えは、既にそういった事が何度もあった事を示している。
「すまない。どうか、頼む。」
「わかったわ。任せて。…でも大丈夫よ。ポップは、何たって大魔王にあんな啖呵を切ったくらいだもの」

 深い笑み。
 春風のような空気をまとう彼女は、考えてみれば誰よりもポップと共に過ごしてきた。

「ヒュンケル、ポップは貴方たちに沢山関わるのと同じくらい、普通の人とも関わってきているわ。
 だから、大丈夫。揺れ幅は確かに大きいし、深く傷つくこともあるけれど、それでも同じだけ癒されてきたのよ……人間の善さに」

 大丈夫よ――にこやかに自信をもって言いきられ、ヒュンケルは肩の力を抜いた。彼女の胸元でアバンのしるしが赤く仄かに輝いている。彼女のこの包容力があるならば、きっとポップは再び傷を癒せるだろう、と安心できる優しさに満ちた魂の輝きだった。

「とりあえず明日は急患以外は完全オフにして、目一杯甘やかすことにするわ。そうね、好きな料理をいっぱい作ってあげて、欲しがってた本を買って、村の子らといっぱい遊ばせるの」

 にこにこと語られる明るい予定に、ヒュンケルも笑う。 
「そうか。宜しく頼む」



「今日はありがとう、ヒュンケル。こんなに遅くまでポップに付き合ってもらって。――本当にありがとう」
 辞去を告げると、宿の外にまで見送りに出てくれたマァムに礼を言われた。
「気にするな。…ポップの事を頼む」
「それは勿論だけど…。でもヒュンケル、ポップはいつだって貴方の事も凄く頼りにしてるのよ。それを忘れないで?」
「…ああ」
 それはわかっている。決してそうとは互いに言う事はないのだろうけれど、ちゃんと絆を感じている。
「俺とて、出来る限りの事はするさ」

「大切な『弟』だからな」

 するりと己の口から出た言葉に驚く。いやこれはと弁解しかける言葉は、しかし永遠にその出口を失った。
 弁解など、誰の為にするのだ。ずっとそう思ってきていたのに。
 誰に隠す必要があるのだ。いま、この場で。

 ――弁解など意味がないほどに、とうに自分は踏み込んでいたのだと、やっと気づく。

 キメラの翼の光の繭の外、マァムがとても嬉しそうに笑っていた。


 
(21.01.11UP)


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