問答


大きくなった町を飽きるまで散策する。
しばらくご無沙汰だった里は、以前訪れた時よりずっと活気に溢れていた。知った顔もちらほらと見え、「久しぶり」「元気だったか?」と他愛の無い挨拶を交わしては笑みが零れた。
旅の途中にここを紹介した者も、クチコミでやってきた者も、皆がこの里に馴染んでいる。

原生林に囲まれた里は、来るべき寒さに備えて冬支度の真っ最中だ。…と言うよりは、エルフ達の記念日が近いらしく、その祭りに使う飾りつけや楽器の準備で忙しいらしい。
ホビットやドワーフが細工物を楽しそうに作り、魔族たちは当日の料理に使うイノシシや鹿といった獲物を狩ってきた。
妖精はその特技を活かして、この季節には希少な花の蜜を運んでいる。当日の主役のエルフ達はというと、里のあちこちから歌声が聞こえる―――練習に必死なのだろう。

そんな中、恋人に言われていた店でお土産を買った。
「ここは本当にいい所ですねぇ」
お揃いのマグを慣れた手つきで包みながら、カウンターの主人が笑顔で言う。奥さんも横で笑っている。

―――とってもいい感じのご夫婦なの。きっと素敵な雑貨があるはずだから。

「ありがとうございました。またどうぞ」
にこにこと、夫婦は店先まで見送ってくれた。

―――ポップは最近行ってないから知らないでしょ。きっと珍しいわよ。その人達って…

「いらっしゃいませ!」
背後で再び上がった声に、ポップはちらりと振り向く。
雑貨屋は繁盛しているようだ。魔族の少女たちが夫婦に声をかけて店に入っていった。その後ろからは髭もじゃのホビットが笑いながらドアに手を伸ばしている。
店の夫婦は新たなお客に、先程と同じように明るく挨拶をしている。
ポップは口元を綻ばせる。
マァムの言葉どおり、夫婦は里ではまだ珍しい………人間だった。





「あれは、今頃ロモスか」
優雅にゴブレットを傾けながら、元大魔王が尋ねた。
「そうだろ。ひょっとしたら、もっと早くに行ってるかもな」
買ったばかりの本から目を離さずに、ポップは答えた。 この里に来るのに、もちろんマァムも誘ったのだが、彼女は残念そうに首を横に振った。ロモスに仕える彼女にも、ポップと同じで仕事がある。無理は言えなかった。
もうすぐチェスの世界大会があるのだ。今年の会場はロモス。毎年、多くの者が世界一の称号をかけて頭脳を競う、結構人気のある大会だ。今頃マァムはその準備をしているはずだった。

―――ダイのお祖父さんも参加するのよ。お城から島に派遣されてる兵隊さん達が、是非にって誘ったんですって。

とても嬉しそうに話すマァムの声が、脳裏に蘇る。
(うぬ)らも出るのか?」
「いやぁ、出てもすぐに負けるって。アバンの使徒の中で強いのは姫さんだけだな」
「ああ、そうだったな」
ポップの答えにバーンは苦笑する。彼は一度ならずポップやマァムとチェスをした事があるので、ポップの言葉の正しさを経験から知っていた。
駒の動きが読みやすいのだ。ポップはここぞという盤面では騎士ばかりを動かす傾向があるし、マァムは王を取られるという場面でも女王の駒を守ろうとする。ヒュンケルとは対戦した事はないが、ポップと興じているのを見たことがある。彼は兵士の使い方が絶望的に下手だ。…ちなみにダイはと言えば、ルールすらわかっていないので論外である。
「何で勝てないんだろうなぁ。俺、他のボードゲームなら結構いい線までいくんだぜ?」
癖を全く自覚していないらしい大魔道士の言に、再びバーンは苦笑すると、酒をあおった。
別に返事を期待していたわけでもないのだろう。ポップもちびりと酒を口に含み、読書に戻った。

暖炉の火が、大きく揺らぐ。

「あ、俺、この話知ってる」
ポップが呟いた。誰に言うでもなかったが、対面の男はしっかりと聞いたようだ。
「ほう? 魔界の説話集に貴様の知ってる話などあるのか?」
グラスを置いたバーンが、ポップの持つ本を覗き込んだ。
アルコールのにおいが、バーンの呼気から漂う。「酒くせぇな」と身体をそらしながら、ポップは自分も他人のことは言えないことは自覚していた。

ようやく終わった一つの仕事。貴族連中の利害調整のための調査は、色々なしがらみがついて回り、思い出すだけでもうんざりだ。
この里に来たのは、気晴らしのためだ。それは実際、充分に叶えられたのだと思う。そのせいか、浮上した気分のまま調子に乗って飲んでしまった。
自分は下戸ではないが、別段強くもない。だというのにバーンを相手に、くだらない話をグダグダと喋りながら飲み続けて、結局酒瓶はかなりの本数が空けられた―――しかも度の強いものばかりだ。マァムが見ればきっと叱るだろう。
里で唯一の酒場は、祭りの前の準備で客があまり寄り付かないらしい。豹のような顔立ちの魔族の店主は、祭りのために振る舞い酒を何樽も用意したのに、割に合わないとぼやいていた。こういう状況であるため、ポップとバーンの二人は上客として認定してもらえたようだ。店の一番奥の上席に案内してくれた。
暖炉のすぐ横は暖かい。縮こまった身体を伸ばし、テーブルにマァムへのお土産を置いて、二人は思い思いに注文したのだった。

「ふむ。竜の王の話か。なるほどな」
「え?」
もうそろそろ飲むのやめよう…と、全く別のことを考えていたポップは、バーンの言葉に本に視線を戻した。
「この話には人間も出てくる。勇者としてな―――だから貴様も知っているのだろう」
軽い酩酊状態のポップに、冷めた視線を向けながら、バーンは短編の内容を掻い摘んで話した。
「あ〜…うん。そうそう。一人で竜王を倒さないと駄目ってのが、凄くてさ。俺らはガキの時は毎晩親に頼んで話してもらうんだ」
昔を思い出し、ポップはへにゃっと笑う。



就寝前のわずかな時間に、ベッドにもぐりこみ、母の読んでくれる物語を聞く。
うとうとし始めた自分に母が笑いかけて、そっと囁いてくれる。

―――おやすみなさい。続きはまた明日…

その言葉と同時に、世界は長閑な闇の世界になる。
そして、次に目を開けた時には、既に朝になっているのだ。…平和な幼い日々だった。



「攫われたお姫様の事をさ、『この世に二人といない絶世の美女』って言われても、全然想像出来なくてさ。村で一番美人のお姉さんの顔とか思い浮かべてたよ」
「ほう」
薄く笑いながら、バーンはポップに相槌を打った。ぐびりとゴブレットの中を空けて、再びつぎなおす。ポップの分も。
「最後の戦いの前に、竜王が勇者に言うだろ。『自分と組めば世界の半分を―――』ってやつ。あの部分を読むときにな、"お母さん"は"子供"に聞くんだよ。『あなたならどう答える?』ってな」
バーンの笑みが深くなった。
「貴様らにとっては英雄譚か―――余や魔界の住人にとっては、いささか異なるな」
面白そうに語るバーンの台詞に、ポップはひんやりとした何かを感じた。どんな風に? と目だけで問う。
「タイトルを見ればわかるだろう」
あっさりと返され、ポップはどれ、と目次を見直した。

『愚かなる竜』

ただ一行。それだけのタイトルだった。
「…なるほど」
これは魔界で書かれた本なのだ。ならば、弱いはずの人間ごときに倒された竜など、語るのも愚かだという事だろう。
勝因無きはずの勝利はあっても、敗因無き敗北などは有り得ない。
この話の竜王とやらが勇者に敗れた理由を読み取り、教訓とするように…そんな意図が読み取れるタイトルだ。
「立場が変われば、見方も変わるよな」

……何が正義かなんて、わからないもんな

呟き、彼はついでもらった酒を飲んだ。やめるべきだと一応理性が忠告するが、つがれる時に断らなかったのに残すのは悪いだろう…などと言い訳する声も同時に生まれている。
ゴブレット自体は小さいものだが、何杯飲んだだろう…。少し手元が覚束ない。
バーンはそんな彼をじっと見ていた。

「ふん…もう空だな」
バーンが瓶を揺らし、店主を振り返る。
「もう無いか?」
「宜しいのですか?」
赤くなったポップの視線の先で、店主が少し困った顔でバーンに応えていた。猫科らしい金目が、ポップを見る。
「彼は、随分酔ってますよ」
「構わん。余が飲みたいのだ。何しろ、こやつの家では安酒しか飲めんからな」
ドサクサに紛れて余計な事を言われた魔法使いは、「しばらくこいつには消毒用のアルコールしか出さねぇ」と心中で不穏な決心をしたが、実際には睨むにとどめた。
「ごゆっくり…」
店主が新たな1本を持ってきた。「どーも」と軽く礼を言うポップとは対照的に、バーンは鷹揚に頷いただけだ。店主も、バーンに対しては殊更に態度が改まる。単に客に対する態度ではない。もっと何か…恐れのような…いや……「畏れ」か。

3年前までのバーンを知る者も、この里には多い。たとえ知らずとも、何か感ずるものがあるのだろう。

様々な種族が暮らすこの里は、一種独特の雰囲気がある。訪れるたびに、ポップはいつも大魔宮の空気を思い出すのだが、それをバーンに言った事はない。ただ、バーンは里をかなり気に入っているようだった。
(普段はウチの居候だけど、こいつ本当は王様なんだよなぁ…古巣に帰った気分になるのかねぇ……)
ぼんやりと、バーンが飲む姿を見ながら思う。

泰然とした振る舞いは、実に自然だ。それでいて、杯を傾ける姿は絵に描いたように決まっている。他者にかしずかれる事に慣れており、またそれが当然だと思ってしまうような雰囲気をバーンは兼ねそろえている。たとえごく普通の着流しにターバンと言った格好でも、バーンが着ると大店の主人に見える。……根っからの庶民である自分とは、大違いだ。

石になっていた彼を治療して、そのまま身柄を預かったのはそう前の事ではない。それでも流石に毎日顔を突き合わせていたら威厳も何も関係なくなってきた現在、こうして二人でこの里に来ると、改めて考えさせられる―――バーンは『王』なのだ。

「なんだ? 余の顔に何かついておるのか?」
訝しげな表情で、バーンがこちらを見た。「いや」とポップは苦笑する。
「何でもねぇ。王様なんだなぁって思っただけだよ」
その言葉にバーンは口の端を上げた。
「こんな力の無い王がいるものか」
自嘲の混じったその言葉のあと、ふとポップは寒気を感じた。思わず横を見る。……暖炉は変わらず赤々と炎を養っているのに。

「…だが、そうだな。もし余がまだ魔王だとするならば、その前にいる貴様は、さしずめ勇者だな」

「へ?」
一瞬きょとんとした表情になったあと、ポップは「何言ってんだよ」と笑う。
「何で俺が勇者なんだよ。勇者はダイだろ。俺は単なる魔法使いだ」
だが、バーンは笑わない。
「物の譬えだ。魔王の対におるのは、第一に勇者であるのでな」
「…………。」
これは…なんだ? バーンは何を言いたいのだろう?
彼は黙った。我知らず唾を飲む。奇妙にザワめく感触が背筋にあった。
ふ…とバーンが視線を緩めた。―――微笑と言ってもよい表情で。
「ポップ、先程の話だが、貴様は母親に何と答えたのだ?」
「…え?」
急に変わった話に、ポップはついていけずに戸惑う。言葉足らずだったかと、バーンは繰り返した。
「竜王と勇者の問答だ。貴様の母親も多分に漏れず、幼い貴様に問うたのだろう?」

我と手を組めば 世界の半分を 勇者よ 貴様に与えよう

「………んなの、昔のこと過ぎて…覚えてねぇよ。…でも、」
「でも?」
「『はい』って答えた時の結末なら、ちゃんと知ってるぜ」
無理矢理に青年は笑った。パチパチと暖炉の中で薪が爆ぜる。だと言うのに、背を流れる汗は冷たい。
「真っ暗闇の世界しか手に入らねぇんだろ? で、答えを悔やんで再び闘おうとしても、勇者には力が残ってねぇ……だろ?」
牽制のつもりだった。この先までをバーンに言わせたくなかった。
いや…違う。
ポップがこの先を聞きたくなかったからだ。いまや二人の席の周囲は空気が変わっていた。
「ああ。『契約』とはそのようなものだからな」
弄んでいたゴブレットを置き、腹の上で緩やかにバーンは両手指を組んだ。ゆったりと座るその姿は、まさしく王者の威厳を持っている。どこにでもあるソファーが眩い玉座に見えるのは、錯覚というには余りにも生々しい幻視だった。
「覚悟定まらぬ者が言霊を弄せば、違約の罰が下される。もし竜王と心底手を組む気でおったならば、力衰える事など決して起こり得ぬ」
「そう…なのか?」
聞くな! 聞くな!
心の中で理性が叫んでいる。頭の芯がぼうっとする―――酒のせいばかりではないのは、わかっているのに。
「契約が締結されておったならば、竜王も勇者も、互いに更なる力を手に入れたはずだ。だが、言を違えた者は相応の罰を喰らう。自らの力一切を、相手に奪われるのだ」
愚かよな―――そう言って、バーンは笑った。久しく見なかった、魔王の笑み。

「ポップ」

名を呼ばれ、びくりと震える。そんな彼に、魔王は優しいとも言える声音で告げた。





「余と手を組まぬか?」





静かな店内に、バーンの声が響き渡った。大声を出されたわけでもないというのに、その声は、ポップの脳に陰々と響いた。
息を飲む。張り詰めた空気。先程までグラスを磨いていたはずの店主は、一体どこにいるのか……捜したくても視線すら外せない自分自身にポップは愕然とする。
「何を…言って……」
咽喉が渇く。あれほど酒を飲んだというのにカラカラだ。
早く、早く笑わなければならないのに。冗談を言うなよと、流してしまわねばならないのに。
そんな彼に構わず、バーンは続ける。

「流石に今は余も、地上を破壊するなどとは言わぬ。地上も捨てたものではないからな。貴様が望むなら、共存という形を探すのも良いかも知れぬ。…だが、今の世界では、それは叶わぬ事だ」

「……そ…んな事…ない」
「ほう?」
呻くようにようやく声を絞り出したポップに、バーンはくつりと嗤う。

「連日、書類を睨んでいる貴様の顔を見ておれば、とてもそうは思えぬが?」
「…っ!?」
息を飲む彼に、「機密文書はテーブルに出したままにせぬ事だ」とバーンは笑う。
「前回は北森のグリズリー掃討の検案書だったな? たかが、いち貴族の別荘を建てるために提議されたのだろう? その前はデルムリン島のキメラの一斉捕獲…だったか? どちらも廃案にするのに貴様は駆け回っていたな。その前は…」
「やめろ…」
拳を握るポップ。だが、その声は弱々しく震えている。
「…休みを取るなら他にも場所はあるだろう。何故貴様はこの里を選んだ?」

ここは理想郷。隠れ里という名の、密かに存在する楽園。虐げられた者達が涙を拭う場所。
大魔道士が施した結界に守られて、住人達は安堵する。「ここにいれば安全だ!」と。
―――けれどそれは、一歩外に出れば、数限りない迫害が彼らを待ち受けている事の証左。希望は絶望の影にしか存在しない。

「やめて…くれ……」
魔王は、憐れな者を見る目をした。
「………どうせ飲むなら毒のない酒の方が美味であろうが」



かつては勇者ダイと、今と似た問答をした。その時は、竜騎士を部下に欲しかった。地上を破壊した後に天に攻め入るに、神の遺産である竜騎士を手に入れておきたかったからだ。
結局彼の答えはノーだった。例え人間に捨てられても、人間を捨てる事をしなかった。

今回の問答の相手は、3年前、最後まで自分に抗した大魔道士であり、人間の善性を固く信じている青年だった。名声ゆえに公事に携わり、人間世界の汚泥に引きずり込まれそうになっている彼が、どんな答えを返すのか純粋に興味がある。
そして、同情も。
理想に苦しむのは、若さゆえの特権かもしれぬ。だが、大魔王たる自分に勝ち得た者が、クズのような輩に使われ苦悩するのは、見ていて腹立たしかった。魔界に生まれ育った身からすれば、力を持つものが権を握るのは当然の事―――だのに、ポップは動かない。

「さぁ、ポップ…」

最早自分は大魔王ではない。ポップが自分の手を取ろうと、自分に力が戻る事は有り得ない。今現在の魔法力で、言霊にそこまでの力を込める事はかなわないのだから。だからこれは、『竜王問答』の真似事にすぎぬ。
……だが、おそらく冗談では済まないだろう。

一度手を取ってしまえば、けして青年は言葉を翻さない―――それは予想を超えたバーンの確信だった。

人の正義を守るために犠牲になる者達の嘆きを、ポップとマァムの二人以上に聞いてきた者はいないからだ。
バーンは知っている。この里の住人は、かなりの数が彼らの紹介で訪れた者達だという事を。そして、時に異端のためにこそ東奔西走するポップ達をこそ、人間社会が異端視する事も。

『地上も捨てたものではない』―――自分にそう言わせた青年が、理想を叶える姿を見てみたい。それはきっと自分が魔界で築いた王国とは随分違ったものになるだろう。
『竜王問答』は、その切っ掛けにすぎない。悩み、迷う青年の手を、ほんの少し引いてやれば良い。

元大魔王はすぅっと目を細めた。固まってしまった青年に手を伸ばす。

覚悟を決めよ ポップ (うぬ)は魔王に相応しい

「…余と手を組め」

世界の広さと深さを知り、『より良き世界』の図案が胸の内にあるのならば。
動けば良い。力を振るえば良い。そうすれば理想は疾く叶えられる。人間の影で泣く者達の涙も、早々に乾くだろう。
その道の先には、魔界に光をもたらす可能性もあるかもしれなかった。





「俺は……」
言葉が出ない。
目の前でバーンが手を伸べる。取れば……取ればどうなる?

大戦を経て世界を巡り、知った事・思った事は数あれど、願いは一つに収束していった。
聞いてもいないはずの友の声が、頭の中で木霊する。

    地上の人々すべてがそれを望むのなら……オレは……

「俺は…っ!」
ポップの声に力が戻った。握り続けた拳をほどき、伸べられたバーンのそれを見つめる。

親友が口にしたという台詞を、冗談として笑い飛ばせるような世界。

自分はそれが欲しかった。異種族への差別など存在しない、平和で明るい人間社会。あいつがどこにも行かなくていい世界…ダイが笑顔で暮らせる世界が、ずっとずっと欲しかった。

その為には、どんな事だってしてみせる……!

―――流石に今は余も、地上を破壊するなどとは言わぬ。地上も捨てたものではないからな。貴様が望むなら、共存という形を探すのも良いかも知れぬ。

バーンの言葉は甘い。飲み込めば、この店の酒のようにとても美味しいはず。たとえ毒杯であっても、登城する都度受けてきた酒よりは…きっとマシだ。
『貴様が望むなら』―――ああ、望むさ。望むとも! 

バーンがにぃと笑う。蟲惑的なその笑み。
彼は言う。
「歓迎するぞ、大魔道士ポップ。貴様はアバンの使徒…『正義の味方』だからな」



俺の『正義』は、どちらにある?



ポップはバーンに手を伸ばす。己の行為が、まるで他人事のように観察できた。
じりじりと、時間はコマ割のように流れる。距離が1ミリ縮まるたびに、彼の頭の中でやるべき事が整理され、『未来』が色鮮やかになっていく。

我と手を組めば 世界の半分を 勇者よ 貴様に与えよう

幼い頃に、母が枕元でおどろおどろしく読んでくれた、竜王の声を思い出す。
バーンの手とは、もう指が触れるか触れないかの距離だ。ああ、こんな事で好きだった物語をなぞる事になるなんて………

勇者が得たるは 暗闇 絶望に塗り込められし 闇の世界

竜王の問いに諾意を示した勇者は、どうして絶望したのだろう? いやしくも勇者たる者が、中途半端な覚悟で、敵の手を取ったりするだろうか?
それは、ふと脳裏に浮かんだ疑問だった。
自分は…自分ならばそんな事はないはずだ。きっと夢を叶えてみせる。邪魔者を排除して、国や社会のルールを根本から作り変えて。人間であろうとなかろうと、皆が笑顔で暮らせる世界を。

色鮮やかな理想郷が目の前に見えた気がした。もう誰も隠れ住まなくともいい、楽園が。
実現すればきっと皆、喜んでくれる。そうだ……みんな…………みんな……………?

皆が迎えてくれる。幸せだと笑っている。
けれど、その笑顔の中にポップが一番見たかった二人はいない。黒髪の少年は項垂れている。そして、桃色の髪の娘は――――――泣いていた。



「……やめとく」



重ねられる寸前、ポップの手は止まった。
バーンは目を丸くする。よもや、ここまできて青年が考え直すとは思わなかった。
「……理由を聞こうか」
その質問に、ポップは微苦笑する。どことなく頬が紅い。
「竜王に『はい』って答えた勇者がさ、真っ暗な世界しか手に入れられなかった理由が…わかった気がしてな」
「………なんだ、それは?」
再び問うてやれば、ポップの苦笑が更に深くなった。ぽりぽりと頬をかく。





「きっと、お姫様に泣かれたんだよ。……誰が笑ってくれたって、好きな娘に泣かれたら、そんな世界…絶望と同じだ」





呆気にとられたバーンは、不意に手ではなく腕を掴まれ、引かれた。目の前にポップの顔がある。

「力で支配しなくたって…、俺達はきっと世界の全てを持ってる」

青年はにっと笑った。その目に、先程まであった迷いは存在しなかった。
「他の方法だってきっとあるんだ。だからバーン…」



マァムが泣かない方法を考えようぜ?



深い苦笑をもらすポップの、黒い瞳が輝いている。
それは、闇の中を照らす月にも似て。

「それは…命令か?」
試みに問えば、彼はゆるりと頭を横に振った。

俺は、ダイが笑える世界を、マァムが泣かずにすむ方法で作りたいから―――

「命令じゃない。頼んでるんだ、バーン」

―――手伝ってくれ、バーン

それは、絶望の中に存在する希望。まるで、この里のように。
夜闇に道を指し示す太陰は、けして太陽ではないけれど。
かそけきその光が、それでも確かに見えていなかった道を照らし出したのをバーンは感じた。細く長いその道を…!

「大魔王たりし余に『頼む』…か……」

なるほど…。余と、貴様との―――それが違いか……

数瞬の間を置いて、腹の底から愉快そうに笑いながら元大魔王は頷いた―――「諾」と。



(終)



入口へ  あとがきへ