不可能事項



久々に互いに時間が取れたその日。
散歩がてらに外に出て、近況や他愛の無いバカ話をどちらともなく話しては盛り上がって。

ぽっかり出来た静かな時間。歩き続けて少し滲んだ汗を冷やすかのように、風が吹きぬけていった。

一体なにがきっかけでそんな話をしようと思ったのかは、ダイ自身にもわからなかった。
ただ、ぽつりと呟く。




「もしオレがさ、人間に絶望したりしたら……父さんみたいになるのかなあ?」




ダイのその言葉は、ポップを振り向かせるのに充分な力を持っていた。


「……なんだって?」


風吹く丘の上で、緑衣の青年はちらりと周りを見回した。
人影はない。今の親友の台詞を聞いたのは自分だけだろう。詰めていた息をさりげなく吐いて、「お前さぁ」と少年に向き直る。

「そういう質問を急にするなよ。いくら俺が大魔道士サマでもすぐには答えられねえぞ」
「いや、質問っていうか…」

彼は少し言葉を探すかのように上目になり、ぽつりと続ける。


「なんか、ふと思ったんだ」


見上げた空は、突き抜けるように、青い。


「…ふと、ねぇ」


二人はしばらく無言のまま、空を見つめた。




ざ ざ ざ  ざ   ざ   ざ   ざ    ざ     ざ




風が、大股で歩いていく。一面の緑野が波立った。

先に沈黙を破ったのは、少年の方だった。


「なぁ、ポップ。もしそういう事になったらさ、オレを止めてくれよ」


青年はダイを見る。物騒なことを言ってくれた年下の親友の、言葉にも表情にも悲壮感はなかった。ただ、穏やかに。笑みさえ浮かべている。

「ダイ……お前…………」

何があった、とは訊かない。訊いても答えはわかっているからだ。この三つ下の親友は何もないよと答えるだろう。
実際に何も無かったのかもしれない。ふと色んな未来を思い浮かべてしまう事などよくある事だし、口に出すというのは、それが仮定でしかないと割り切っているからこその行為なのかもしれない。
…けれど何かあったのだとしても、やはり答えは同じだろう。そして、例えその答えに嘘を嗅ぎ取ったとしても、自分もまた敢えて聞き出そうとはしない。
若干十二歳で勇者と称えられるようになったこの親友は、己で耐える事・人にも頼るべき事…その一線の見極めをキチンとつけれられるのだから。

「………。」

無言のままのポップに、ダイは焦れた風も無く言葉を続ける。

「こんな事、お前にしか頼めないから」

「………。」



ダイと心で深く繋がる存在は、ポップの他にも大勢いる。その多くは人間であり、彼が心底愛するパプニカの若き女王も例外ではない。
それでも、それは父親―――バランにとっても同じだったはずなのだ。
戦いに明け暮れたバランにとって、つかの間の休息を得る場所は人々の住む地上であり、愛した女性は、人間の国の王女であった母―――ソアラだった。
何よりも、そもそも父を育てたのは他でもない、人間の夫婦だ。


その厳然たる事実を、一瞬で黒く塗り潰すほどの、凄まじい絶望と憎悪。


ダイは拳をキュッと握り締める。
父の紋章と共に、その記憶も受け継いだ為、時折自分は父の歴史を夢に見て知っている。


優しさは容易く怒りにさらわれる。砂上に作られた城の如く、波にさらわれ掻き消える。


…そんな父の生き方を止められたのは、結局のところ、信念をかけた戦いだった。ならば、もし自分が同じような憎悪に身を任せる事があった場合、止められるのはただ一人しかいないではないか。





竜の騎士の力を持つ自分を止められるのは、相棒である大魔道士ポップだけ。





それは誰しもが頷くだろう事実。

けれど、渋い顔をしながらも頷いてくれるだろうと思っていた当の親友は、緩やかに頭を横に振った。

「無理だな」

たったひと言。それはそれは当然の如く涼しい顔で言い放つ。

「俺はお前の頼みなら、出来る限りの事をしたいと思ってる。でもそれは無理だ」
「…なんで?」

簡潔な答えで依頼を却下してくれた親友にダイは尋ねる。
実力的に、無理ではないはずだ。純粋に力だけで言えば、戦士である自分の方が勿論上だが、戦いとは力だけで勝敗が決まるものではない。
師に『切れ者』と讃えられ、魔法力と呪文のセンスにおいては他の追随を一切許さない当代随一の大魔道士である親友が本気を出せば、暴走した自分を止める事は決して不可能ではない。

そう言えば、ポップは掌をぽむと頭に乗せた。

「バーカ。んな事を言ってるんじゃねぇよ」

がしがしと髪を掻き回され、うわとダイは悲鳴をあげる。
三年ぶりに再会した時、もう少し縮まっている事を期待していた身長差だったが、自分が伸びた分とほぼ変わらずポップも背が伸びていた。
すらりと高くなった親友に、いつかは追いつきたいと心のどこかで思いながら、それでも十二歳の時と変わらぬ高さで彼を見上げ、変わらぬ扱いをされる事が心地いい。

その変わらぬ暖かい手と、明るい声のまま。

「お前がそんな風になる時には、俺はもうこの世にはいねぇんだよ」

何でもない事のようにポップは告げた。




「え……………?」




風の音が急に止んだかのように、世界が静寂に満たされた。
髪を掻き回していた手が、静かに頭から離れる。ダイの目はそれを追ったが、それだけだった。身体も喉も、魔法に掛かったかのように動かない。
くすりとポップは笑う。

「だって、お前が人間に絶望するって事はさ、俺にも絶望するって事だろ」

俺にも―――その部分を親友が口にした時、ダイには聞こえた。『俺にさえも』と。



「ならそんな俺は、生きてても仕方ねぇ」

お前に絶望されるような俺なら、生きてる意味がない。



「だから、ダイ。俺はお前を止められねぇよ」

だから、ダイ。お前が最初に殺す人間は、俺なんだよ。



ざわ、と風が吹く。

「ポップ……」

ようやくそれだけを、彼の名だけを、掠れた声で呼ばう。

優しい目元のまま、黒い瞳は自分を見つめている。

呼吸することさえ困難に思えるような張り詰めた空気は、先程の風に押しのけられたようだった。ほぅと身体の奥から息を吐き、ダイは笑う。

「どした? 何かおかしいか?」

ううん。とダイは笑顔のまま首を振る。
「おかしくなんかないよ。…わかっただけ」
「わかったって……何が?」
不思議そうに首を傾げる親友に、ダイは笑う。









「オレ………人間に絶望する事なんて、ありえないみたいだ」









微かに苦く笑った彼に、くしゃりと再び頭を撫でられる。


「そうか。そりゃあ何よりだ」
「うん」




青空の下。吹き渡る風のように、軽やかな二人の笑いが緑野を満たしていった。



(終)







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