夢が告げる



(ここは…?)

彼は周りを見渡した。

広がるのは一面の焼け野原。
魔界ではよく見る光景だが、かの世界の空は、このように青くはない。

(地上か……?)

そう。かつて自分が求め、手に入らなかった太陽が照らすのは、いまだ地上界のみのはずだ。


煙が漂っていた。
覚えがある、鼻につくこの臭いは―――肉の焦げたそれだ。
不意に思い出す。

(そうだ。さっき、余はカイザーフェニックスを放ったのだ)

全てを焼き包む、紅蓮の炎の鳥。
ひとたび放てば、数十人からを丸焦げにするそれを受け、人間どもがゴミのように足元に転がっている。

彼は笑った。
みなぎる力。両の手に無尽蔵に集まる魔力。額には鬼眼の感触―――何故だかわからぬが、失くしてしまったものが全て自らの元に返ってきたのだ。

(すばらしい…!)

伸びをするかのように腕を上げようとして、そこで気づく。

右手を見れば、見慣れぬ一振りの剣を握り締めていた。刀身からは、いまだ乾かぬ赤い血が滴り落ちていて。
では左手が持つのは?



(…馬鹿な)



彼は呻いた。握り締めていたのは、豊かな桜色の髪。
敵だった自分にさえも優しく微笑みかける事が常だったその娘は、静かに目を閉じていた。
いまにも語りかけてきそうな表情だが、それは決して有り得ない事なのだと彼には分かっていた。何故なら、娘の首から下は、存在していないのだから。

「……そんな馬鹿な」

呆然と呟いたとき、足元で誰かが蠢いた。
ハッとして飛び退ると、骸だと思っていた青年が一人、血まみれの身体で必死に起き上がろうとしている。

「おまえ、は…!」

声がつまる。
何故、先程は気付かなかったのだろう。焼け焦げていても、その緑色の法衣と、煙に揺れる黄色のバンダナは、この戦場で場違いなほど鮮やかだというのに。

荒い息をつく青年の黒い瞳が、彼を見据える。
瞳を彩る深い深い怒りが、左手に持った首を見て―――


「どうしてだよ?! …バーン!!!!」


―――爆発した。































































「……ーン! バーン! しっかりして!!」

意識が浮上する。
最初に目に映ったのは桜色の髪の娘―――マァムの心配そうな顔。
涙さえ浮かべていた彼女は、次の瞬間、後ろを振り向いた。

「良かった! 目を開けたわ、ポップ!!」
「ほんとか?! おい、バーン! 大丈夫か?! 気分はどうだ??!」

どたどたと駆け寄り、わめくのは癖のある黒髪の青年だ。

相も変わらず喧しいことだ。

「―――…最悪だ。耳元で騒がれて、うるさい事この上ない」

言ってやれば、一瞬の間のあと、顔を見合わせて二人が笑った。
ほーと息を吐き、へなへなと崩れ落ちるようにベッドに顔を埋めるポップと、
「大丈夫みたいね。ホント良かったわ」
そう言って目元を拭い、微笑むマァム。

一体なんだと言うのだ。

訝しげにするバーンに、作業着姿の青年は力なく笑って説明した。


「お前、試作品の薬を飲んじまったんだよ」






しばらく前から、ポップが薬の調合をしていたのは知っている。この時期はキラービーの繁殖が盛んになるので、月のめぐみでも作っていると思っていたのだが、勘違いだったらしい。

ポップは、ズボンのポケットから二つの木の実を出し、ベッドのサイドテーブルに置いた。

夢見の実というものがある。食べて寝ると良い夢が見られるというもので、寝つきが悪い時の睡眠導入薬としてよく使われるものだ。
彼が見せた一つはそれだった。しかし、もう一つは夢見の実と形は同じだが、色がどす黒い。
「これは?」
聞いてやれば、ポップは力なく笑う。バーンはそれを見てなんとなく察した。つまりはこれが騒ぎの原因か。

「夢見の実と毒蛾の粉を混ぜたら出来たんだ」

バーンはひくりと引き攣った笑みを浮かべた。
「ほう…何故そんなものを掛け合わせた?」
まったく悪びれずにポップは答える。
「珍しい痺れ薬でも作れないかなあと思ってさ。敵に投げつけたら痺れさせたうえに眠気まで! ってなると、戦う手間も省けてラクラク逃げられるだろ。っで、これを砕いて粉末にしたのがアレなわけ」
親指で後ろを指す。
そちらに目をやれば、香草茶を淹れるマァムの傍らに、小さな袋があった。
バーンは目をしばたいた。その袋に見覚えがあったのだ。あれは確か、久方ぶりに頭痛を覚えたために飲んだ薬ではなかったか。そう………昨日の昼だ。そのあと念のために早めに床について……。

「思い出したか?」
青年がベッドに腰掛け直し、こちらの顔を覗き込む。ああと返すと、彼はペコリと頭を下げてきた。

「ごめんな。余分な袋が無かったもんだから、頭痛薬の袋を代用したんだよ。お前ぇが薬を飲むって言ってきた時、ちゃんと手渡してればこんな事にならなかったのに」
本当にすまねぇ―――そう言って、ポップは再び深く頭を下げた。隣に戻ってきたマァムが、やはり同様に謝る。その手には、温かな香草茶。
「私からも、ごめんなさい。ポップから袋を代用したって聞いてたのに、貴方に言うのを忘れてたの。伝えておけば貴方だって確認したかもしれないのに」

「……別に構わん。何も問題はないしな」

カップを渡され、バーンは二人に苦く笑った。
実際なにも身体に異常はない。痺れているわけでもないし、もう眠気も感じられなかった。そう告げてやれば、ポップはばつが悪そうに「あー…そりゃまあ、今はな」と呟いた。
「なんだ?」
何かまだ問題があるのか。目をやれば、ポップはぼさぼさの前髪を掻いて溜息をついた。





「すっげー悪夢を見るんだ、この実」




どうやら、夢見の実に毒蛾の粉の痺れを与える効果が加わるのではなく、毒素が夢見の実を変質させる方向に働いたらしい。
くしゃくしゃと髪を掻きながら青年は説明する。

「悪夢………」
「ああ。お前、物凄くうなされててさ。粉末は、吸ったら効果はめちゃくちゃ速く出るけど、そんなに長くは続かないんだよ。けど、飲んじまったら遅効性になる代わりに症状も重くなるから……」

ポップの説明を、バーンはもう半ば以上聞いてはいなかった。

「悪夢…か………………あれが……」

先程の夢が―――

三年前までの日常。血沸き肉踊る戦と勝利。絶大な力の前で、虫けらと見なしていた者達を踏みにじる事。あの快感が。









―――悪夢と思うようになった、という事か。









「バーン…どうした? 本当に大丈夫か?」

「まだ身体がだるいの?」

心配そうに見つめる二人に、バーンは笑った。

「いや、大丈夫だ」

そう。もう大丈夫だ。起き上がろうとすると娘が「もう少し休めば」などと言うけれど、これ以上あの悪夢を見ないためにも、さっさと身体を動かして気分転換するに限るだろう。

「それより、お前たちの方が大丈夫か? 少し眠ったらどうだ?」

どうせ一晩中、自分のことを看病していたのだろう。二人そろって酷いクマが出来ている。それを指摘した途端、眠かった事を思い出したのか、ポップが堪えきれずに欠伸をした。
「寝てこい。留守はしてやる」
笑いながら言ってやる。小さく感謝を述べて寝室に向かう二人の背中を見送り、彼はカーテンを開けた。

既に陽は高い。窓を開ければ、あの夢の残滓を吹き払うような風が、光と共に狭い部屋を満たした。少し冷めた香草茶を口に含むと、やおらハーブの清涼な香気が鼻から脳に通り抜ける。

「……大丈夫だ」

我知らずバーンは呟いた。二人が入った寝室のドアにちらりと視線をやる―――微苦笑と共に。




「良い夢を」




(終)



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