カエルと紫陽花


 雨垂れがマントの裾にかかり、ポップは眉を顰めた。
 カールの王城を出てぶらつこうかと決めた途端の大雨である。
「せっかくのデートなのによぉ」
 ぶつくさ文句を言う彼に、マァムは苦笑する。
「仕方ないわよ。お天気はどうしようもないわ」
「まあなあ…。…ラナリオンで畠の辺りだけに雲集めちまうか?」
 範囲絞ってさあ、と軽く言うポップをマァムはねめつける。
「何言ってるのよ…今のあなたがそれをしたら、そこだけスコールになるじゃない」
 以前、旱魃に困っている地域で気を利かせたつもりが、大変な事態になりかけたのは記憶に新しい。日照りでひび割れた大地に大量の雨は、逆に洪水を招くところだったのだ。
 ポップがラナリオンを唱えたのは知られていないために誰に非難されるわけでもなかったが、天候の急変と堤の状態に不安がる村人たちに「大魔道士様と聖拳女様が励ましてくれた」と感謝されるのは、所謂『マッチポンプ』じみて非常に罪の意識を感じる事だった。
 以来ラナ系は余程のことが無い限り封印している。
「野菜や小麦が根腐れしたら大変でしょ。絶対にダメよ」
「わかってるって。冗談だよ」
 ポップはマァムの頭をぽんぽんと軽く叩いて、笑う。
 口は出さないが、彼にしてみれば、ラナリオンは思い出深い呪文なのだ。
 まだ大魔王を倒す旅に出て日も浅い頃の、親友と共にライデインの訓練をするために――いま横にいてくれるこの娘を助けたい一心で契約した呪文だった。


 雨脚は緩んできたが、まだやむ気配はない。
 城門のすぐ横、衛兵の詰め所の軒下はそこそこの広さはあるが、ずっと立っているのは暇なものだ。最初の内は、時折同じように傘をもっていない住民が駆け込んできては小休止後に走り去っていくという事が何度かあったが、そのうち通りから人が消えた。皆が家の中や商店に避難したのだろう。
 戦場とはまた違う、気配はあるのに静かな――息を潜めなくて良いのに沈黙をもたらす、そのひと時。

(平和だなあ…先生と旅してた時みてぇ……)
 貴族の御大尽なら馬車を呼びつけるのだろうが、そのあたり、この二人はどこまでも旅慣れた庶民の感覚でいるので発想自体がなかった。どちらともなく他愛のない話を振っては盛り上がり、少しの沈黙をはさむのを繰り返していた。

 白い雨の向こう、跳ね橋の横に青や紫の紫陽花が咲き誇っているのをぼんやりと見つめて、ポップは何故だか親友と兄弟子の顔を思い浮かべた。おあつらえむきに、紫陽花の横には近所の子どもの忘れものだろうか、黄色い如雨露が落ちている。
(今日はダイは…パプニカにいるんだったか。あっちは晴れてるかなあ……)
「あら」
 マァムがふと下を向いた。
「どした? お…」
 二人の足下にカエルがいた。親指ほどの大きさのアマガエルだ。カールの王都ほど大きな町では珍しいが、すぐそばに堀があるのだから不思議な事でもなかった。
「可愛いわね」
「そうだな。村なら見飽きるくらいいるけど」
「ランカークスはそうなのね。ネイル村はこのサイズの子より、フロッガーの方が多いわ」
「だな。あそこまで行くとモンスターだもんなあ、可愛くはねえな」
「最近は食べないけど、足が美味しいのよ。ささ身に似てる味なの」
「え…マジで…? カエルって食えるのか……」


 ケロ!
 

 食用ガエルの話になってきたことで身の危険を感じたのか、マァムの爪先に乗っていたアマガエルは大きく鳴いて雨の中に戻っていった。
「…あーあ」
「食べたりしないのに……恐がりねえ。誰かに似てるわ」
「ぅおい」
「綺麗な緑色だったし」

 くすくす くすくす。可愛い顔が悪戯っぽく笑う。

「馬鹿。……オレはお前に食われるのは大歓迎だっつうの」
「…?! ちょ…!」
「昨日の夜だってよお」
「ポップ! 往来で何言ってるのよ!?」
「誰もいねえじゃん」


 ――だからこんなことしても、誰も見てないだろ。


 二人の影が重なってしばらく、雨が止んだ。
 ケロと再び鳴き声がして、ちらりとポップは薄目を開けて視線をやる。
 あのアマガエルは、通りのケーキ屋の紫陽花の上にいた。

 赤い紫陽花だった。

(お前…わかってるじゃねえか……)



 その後、真っ赤な顔で上目遣いに睨んでくるマァムに、満面の笑みでポップはケーキ屋に誘った。
 『大勇者オススメの渦巻きケーキ』という珍しい形のケーキを見つけ、それをパプニカの皆へのお土産に決めたころには外はすっかり晴れていて。
 平和なその日、二人はデートを満喫したのだった。



(終)






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