狭間の記憶



「オレは、人間を沢山殺した」
「…そうだな」
「オレがダイになったら…違うな…ダイが戻れば、復活すれば……魔法使い、お前の仲間もお前も、諸手を上げて喜ぶんだろうな」
 若い竜騎将の口元に浮かぶのは皮肉な笑みだ。
「……否定はしねぇよ」
「そして、オレは消えるんだ。ディーノは消える。記憶喪失とはそういうものだと聞いている」

 よくある記憶喪失は、喪失していた記憶が蘇った途端、それまで失っていた間に暮らしてきた日々の記憶を忘れてしまう。まるで復活した意識がそれまでを取り返そうと第二の人生の記憶を喰らうように。
 ダイに起こった記憶喪失は、父である竜騎将バランによる竜の紋章の共鳴によって起こされたものだ。一般に言う記憶喪失とはワケが違うため、その法則が当てはまるかどうかはわからない。
 もしかしたら「勇者ダイ」の記憶を失った後の、この「竜騎将ディーノ」としての記憶は残ったまま…それこそ「『ダイ』の記憶を持ったままのディーノ」が生まれるのかもしれなかった。
 この場合は、ダイの人格はもう戻らないのだろう――あの純真な、太陽のようだと皆が思っていた、輝かんばかりの笑顔を持つ少年は戻らず、その頃の…12歳までのデルムリン島でのあたたかな思い出と、勇者ダイとしての人間を守る気概に溢れた、仲間との辛くとも楽しい闘いの思い出を持ったディーノがいるだけだ。
 そしてそれは、ディーノにとって地獄かもしれない。

 ポップは沈痛な思いに目を伏せた。
 本人が言うようにディーノは既に大勢の人間を殺している。父バランの期待に応えるために。そしてその行いを楽しんでいた――確実に。
 父親の行いに疑問を持つようになり、自分で考えるようになってくれて…そこまではいい。
 だがゴミの種族だと教え込まれてきた者たちが、自分と同じように感情を持ち、自分と変わらぬ事で喜びも悲しみも感じる存在だったと認識すれば。母親の仇というだけで種族ごと嫌悪し滅ぼすことを楽しんでいた自身がどう見えるかは明らかな事だ。
 ましてや純粋な竜騎士である父親と違い、ディーノの身に流れる血の半分は人間なのだから。

 全ては憶測だ。想像の域を出ない。
 「ダイ」の記憶が戻れば普通に、ディーノの記憶が綺麗さっぱり消えてなくなるのか。
 それともディーノの思い出が消えずにダイが蘇るのか。
 それとも…ダイの記憶を持つディーノが生まれるのか。

 どの可能性もあるし、もっと別の事態になるのかもしれなかった。何しろ記憶という繊細なものを扱って、思い通りの結果が出せる者などいないのだから。

 ポップ達、人間にとっては「ダイ」が戻ってくれたほうがいい。
 当たり前だった。
 目の前で奪われた、希望。皆の太陽だった少年。ポップにとっては弟弟子であり、親友であり、誰よりも大切な存在だったのだ。
 もう一度会いたい。会って抱きしめたい。同じ道を歩きたい。
 けれども――

「その方がいいんだろうな…オレが消えて、ダイが戻るなら……ディーノが消えるなら、お前らにもダイにも…世界にも」
「……。」
「父の所業もオレの過ちも……魔法使い、お前らには関係ない。勇者ダイには無かったことだ。オレを『説得』しようなんて事で、お前らはずっと王たちに睨まれてただろう。そんな不審も取り払える」
「……知ってたのか」
 『敵』の状況を調べるのは当然だろうから、驚きはしないが。

 ディーノの顔にあった笑みが、す…と閉じられた。
「…オレはオレの罪ごと消える」
「ディーノ…」
「そのつもりだ。残りたいとは思わない。ちゃんとダイに返す」
 でも、とも、それで良いのか、ともポップは言えなかった。
 目の前の若い精悍な竜騎士が震えている理由が、わかるからだ。誰にも怯まず、どのような攻撃にも魔法にも堂々と向かってきたこの青年が、初めて恐れ、逃げたいと思っているのだ――自分の罪から。

 ディーノにとり、消えることは…死ぬことは救いなのだろう。

「わかった」
 頷くと、ほっとした顔をするディーノを見て、ポップは遣る瀬無くなる。
 記憶がどのような形で戻るかなどわからないが、それでも、こうも望んでいるのならばおそらくディーノは消えるのだろう。自身の身体のことだ、ディーノには確信があるのかもしれない。

「…なら手向けをやる」
「え…」
「オレの名をやる。お前…親父さんに言われたんか知らねえが、オレらを誰一人として名前を覚えなかっただろう?」
「魔法使い…」
「ほらな。ま、お前がそれで呼ぶのオレだけだったから、悪くねえとも思ってたけど」
「…すまない」
 呆然と告げられた謝罪。その気の抜けた表情は、かつての友とよく似ていた。


「オレの名前はポップだ」


「ポップ…」
「ああ。お前が、ディーノが、ちゃんと向き合って作った、人間の、ダチだ」
 言い含めるように、告げる。決して「ディーノ」が忘れないように。
「友達……ポップ…」
「お前というダチがいたことを、オレは忘れない。ダイがお前になっても、お前がダイになっても……何度お前がオレを忘れても」


「オレは何度でもダチになってみせるから」


「ポップ……!」
「だから安心しろ」
 そう告げてポップは笑う。消える友に、せめて得たものがあるのだと、名を捧げてもらえるだけの意味がある生だったと伝えるために。
 ディーノは震えていた手を一度握り…再びほどいた。
「……友人が出来たら…未練ができたと言ったら…」
「お?」
「ポップは困る、よな?」

「……ダチが増えて困ることってあるのか?」

 ディーノの顔がくしゃりと歪む。「ダイ」の事をこそポップは求めているはずなのに。それでもそのように言ってくれるのか、と。
 次いで彼の胸に去来したのは、嬉しさと、感謝と、そして…友となってくれた魔法使いに告げる事の出来ない――告げるべきではないだろう想いだった。
 しがみ付きたくて、求めたくても、消える自分が告げてはならない。
「友達でも…充分だ」
 名をくれたのだから。
「ディーノ?」
「……何でもない」


「この想いだけは…残しておきたいと…思う」


 その涙で濡れた笑みが、ポップの見た『ディーノ』の最期の顔だった。

(終)







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