ふるいきず



 静かな夜に聞こえるのは互いの息遣いだけ。
 先程までの二人して貪り合うような、熱を奪いあい与えあうような、そんな激しいものではなく。ただ幸せな、余韻を味わう静かな時間。

 抱きしめてくる恋人の背や肩に自らの腕を回して、マァムは彼の広い骨格を辿る。
 当たり前だが、女の自分と比べるとずっと大きな彼の身体に、ふと冒険に出てすぐの昔を思う。

 当時は自分とほとんど背丈も変わらなかった。
 しかも僧侶戦士としての訓練を受けていた自分と比べたら、彼は魔法使いということもあってか本当に男性としては華奢な部類の体格だった。
(それが、たったの数か月の間にどんどん成長しちゃったのよね…)
 あの年齢の男性というのはそういうものだと頭ではわかっていても、大戦後、頭一つ分も彼の背が高いことに気付いて、改めて異性なのだと認識した時は色々と感情が爆発しそうになったものだ。
 そんな事を思い出しながら、指が彼の左腕の付け根にきた時、辿る動きは止まった。

「ポップ…この傷って…」
「ん? どうした?」
「この傷…なんだか変わってる…三角みたいな…ううん、周りにも…何か…筋ばしった……」
 微かな違和感。ほんの僅かの、肉の盛り上がり。
「え…そんな形になってんのか?」
 意外そうに言われ、マァムは頷いた。本人も知らなかったのかと少し驚くが、肩の裏など確かに普段は見ることもないだろう。
「そっか…じゃあダイには見られないように気を付けねぇとな…」
「ダイ…? どうして?」
 どうしてそこであの子の名前が出るのだろう? マァムが首を傾げると、ポップはひっそりと笑う。

「ダイの親父さんの、紋章閃が貫通した傷だから」

 月の光に照らされて、それはとても冷ややかな、まるで蝋人形のような作り物めいた笑みだった。
 マァムは知っている。ポップがこういった表情をする時は、ダイに関することで、強い痛みを覚えている時だと。


『あの時俺が、あの手段を取ったことを後悔はしてないし、最善だったって言いきれるさ。
 でも…多分、俺がああした事で、ダイから永遠に【父親】を奪ったんだ――生きている間の、和解を。
 こんなこと…あいつの前で言ったらめちゃくちゃ怒るだろうから、言わないけどな……』


 いつだったか、ぽつりと彼が呟いた言葉がマァムの脳裏に蘇る。
(そうね、きっとその傷跡を見れば、ダイは悲しむわよね…。あなた達は、ずっと一緒。誰よりもお互いを大切にする半身なんだもの……)
 それは大切なこと。相手を気遣い、見せなくていいものは隠しとおして、優しさで守ろうとする。
 きっとそういう行動も、ある意味で勇気ある行いなのだろう。
 誰に何を言われても、どんなに非難されたとしても、この恋人は勇者のためならば、どんな罪をも背負おうとする。
(いっそのこと、全てオープンにして笑い飛ばせるくらいになって欲しい。大事なのはこれからどう乗り越えるかでしょう――って、少し前までの私なら、ポップに言ったかも…)
 だってそれは、ポップが背負わなくていい罪悪感だから。
 マァム自身が嫌なのだ。そんな事でポップがダイに罪を覚えるのが。

「ポップ」

 抱きしめる腕に、少しだけ力を込める。
 自分だって成長した。
 言葉も願いも、かけるべき時がある。今はまだ――その想いは伝えない。伝えてはいけない。

 修行とは言え、あの時期にその場にいられなかった事は、マァムの中で密やかに疵となっている。
 きっと何も出来なかった。きっと足を引っ張った。それは理解している。
 それでも、その辛さを、悲しみを知っている者にしかわからない世界があるのだ。マァムは決してそこに入る事が出来ない。

「つらいこと、思い出させてごめんなさい。あなたが――生きていてくれて良かった……」

 だからその事実だけを伝える。

「私…あなたと今一緒にいれて、幸せよ」
「マァム……」
「あなたの傷は、あなたがそれだけ必死で頑張ってきた証よね」

 それを治療したのが私じゃないのが悔しい。そう告げるとポップは――

「そっか。これ、オレが頑張った証か」

 ――泣き出しそうな顔で、笑った。








 このあと若い二人は、再び「頑張る」ことになったが、それはまた別の話である。

(終)







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