形見という祈り



 朝が訪れ、むにゃとポップは目を開ける。
 カーテンから差し込む光はいつも通り明るくて、小鳥たちがいつも通り賑やかで、村はいつも通り大人たちの忙しい声が飛び交っている。
 でも、いつもよりは少し遅くまで寝ていたんだなというのはわかる。お日様の高さが少し違って、お父さんが鎚を振るう音がもう聞こえているから。

 つまり、今日はポップは御寝坊さんなのだ。

 理解した途端、くうとお腹が鳴った。急いでパジャマから着替えて一階の台所に降りると、お母さんがいた。
「おはよう、ポップ」
 いつも通りの優しい顔でお母さんは笑う。何だかそんな、いつもと同じだという当たり前の事が凄く嬉しくなって、ポップはお母さんに抱き着いた。小さな身体はまだまだお母さんのお腹くらいまでしか届かない。エプロンに顔を埋めると、ポップの大好きなベーコンとバターの匂いがした。
「あらあら、甘えん坊さんね」
 優しい手がポップの頭を撫でてくれる。
 嬉しい。あったかい。安心する。
 この前から気に入ってつけだしたバンダナが乱れるのも構わず、ポップはお母さんのお腹にしがみついて離れようとはしなかった。
 息子のその様子を見て、母は言う。
「ポップ、昨日のこと、まだ恐いの?」
 優しい声にポップは一瞬何のことかを考え、ああそうか、自分はまだ恐かったんだと気づく。

 昨晩遅く、ポップは中々寝付けなかった。窓から見上げる真っ暗な空が、静かな夜が、村で立て続けに起こった不幸事を思い起こさせ、そうして彼は『死』について考えだしたのだ。

 人は死んだらどうなるのか。どこへ行くのか。

 生き返ってきた人がいないから、その答えを正確に知っている人はいない。神父様やシスターは神の御許に行くのだと言うけれど、それだって誰も見たことはないのだ。神様なんてポップは会った事もない。知らない人のところに行かなきゃいけないなんてイヤだ。ずっとお母さんとお父さんと三人一緒がいい。
 何にもわからないのに、知らない事ばかりなのに、なのにいつか死ななければいけないことは決まっているだなんて。
 考えれば考えるほど恐くなって、夜中だというのに赤ちゃんのように泣きだしてしまったのだ。

 泣き声に驚いて部屋にやってきたお母さんとお父さんに、かわりばんこに頭を撫でられ、抱きしめられて。
 お母さんと少しだけお話をして。そうしてやっと眠りについたのだ。

 お母さんのお話で、凄くほっとして、深く頷いて、そうして眠ったのに。

 死んじゃうのはやっぱり恐いよ。嫌だよ。だっておれは弱いから。
 お父さんみたいに強くないし、お母さんみたいに賢くないし。
 痛いかもしれないし、苦しいかもしれないんでしょう。
 お別れなんて悲しいもん。ずっと一緒がいいよ。

「なんでえ。まだその話してんのか?」
 一仕事終えたお父さんが、鍛冶場から帰ってきて笑っていた。
「本当に、お前は男の子なのによくそんなに言葉が出るなあ。口から産まれたみたいだな」
 笑いながら、お父さんは大きな手でポップの頭をくしゃくしゃと撫でてくれた。

 お父さんに頭を撫でられて。
 お母さんに抱っこされて。
 うん。おれ、これがいい。ずっと皆一緒がいい。

「大きくなるまで父ちゃんが守ってやるさ。大丈夫。何も怖がることなんかねえよ」

「あらあら、ほどけちゃったわね」
 お母さんが、優しい手つきでバンダナを取り、髪を梳いて、

「ポップ。約束よ。ポップが強くなるまで、怖がりさんがなおるまで、お母さんもずっとポップを守ってあげる」

 きゅっとバンダナが結び直された。

「でもなあポップ。守ってもらってばかりじゃ駄目だぞ。お前も強くなって、いつか誰かを守ってやるんだぞ。男の子なんだからな」

 自分が誰かを守らないといけないなんて、想像できない。だって自分は弱いのに。痛い事とか悲しい事は大嫌いなのに。そんな勇気ないのに。
 でも…
 でも、このままじゃダメなのはわかってる。知ってるよ。
 やっぱりお母さんが言ったみたいに、一生懸命に生きるしかないんだって。
 いまのおれにはムリだけど。
 いまはそんな勇気、ないけど。

 お母さんが結んでくれたバンダナをつんつんと引っ張りながら、ポップはお父さんを見上げた。大きな、力自慢の、強い強いお父さんの顔を。


 いつか強くなったら。大きくなったら。
 いつか、人間は絶対に死ななきゃいけないんだったら。
 いつか、おれも、誰かを。


「うん」


       ※※※※※

「おれが死ぬところを見ても、まだとぼけたツラしてやがったら…うらむぜ……」

 ああ、ダイ、嘘だよ。ごめんな。おれがお前を恨むわけねえじゃねえか。
 はは…こんな時まで軽口が出るなんて、やっぱりおれ、口から先に産まれたんかねえ。

 風が巻き起こる。生命力を攻撃へと変換するその高まり。先生の時のように。
 あいつの手にあるバンダナが煽られ波打っている。

 そのバンダナ、どうかずっと持っていてくれ。もしも、これで思い出さなくても、さ…それを見て思い出してくれたら……って、難しいことは無しだ。
 形見は、さ。お前に持っていて欲しいんだ。
 ダチだから。


 おれはいま、笑えているだろうか。


「おれの冒険は…ここまでだぜ……!!」


 これからは、それがお前を守ってくれますように。





 その日、テランで轟音が響き渡った。
 青天を切り裂く閃光と共に。

(終)







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