やんごとなき事情


静かなテランの夜だった。

久々に訪れた宿で、ようやく部屋の中に馬車の荷物を運び終えたポップたちは、思い思いにくつろいでいた。
以前にここを訪れたのは一年ほど前になるのだが、この宿の主人とその細君は、三人の事をよく覚えていた。それも当然で、大魔道士や聖拳女といった肩書を抜きにしても、ポップ達はテランのような国ではかなり目立つのだ。

テランは人口が少ない国だ。王都以外は街らしい街も無いと言っても過言ではない。三年前の大戦で世界を席捲した魔王軍すら侵略価値を認めていなかったほどだった。元々、占い師や吟遊詩人などの旅芸人を多く輩出する土地柄であり、定住する者が少ないという事もある。
戦後、余裕の出てきた人々が『神秘のテラン』を観光に訪れる事もあるが、やはり交通の便を考えれば王都に泊まる事がほとんどだ。このような小さな村にまで足を延ばす者は滅多にいない。
そんな中、ポップ達の前回の滞在は、優にひと月をこえた。その間、こまごまとした買い出しも宿の者に頼まざるをえなかったため、礼も弾んだのだった。そしてそのひと月強の宿の収入は、年間収入のおよそ半分に匹敵するほどの実入りだったらしい。

そんなわけで、村に着き宿に顔を出した時の主人の歓待ぶりは凄まじいものがあった。何しろ二部屋しかない小ささで、それでも開店休業が普通という宿なのだから当然なのかもしれない。今回は一週間ほどの滞在だと告げても、内心はどうだか知らぬがその笑みは崩れなかった。貴重な顧客の心を失ってなるものかと、それはもう事細かに世話を焼こうとしてくれる。
いま、目の前で湯気を立てているお茶もそうだ。
この程度の宿ならば、普通は、客が店の者にお湯をもらってきて自分で淹れるものなのだが、今回は荷物を運び終えた頃を見計らって奥さんが運んできてくれたのだ。そんなサービスはジパングの温泉旅籠以外で受けた事もない。
「あー…美味い」
砂糖をたっぷり入れた熱い紅茶を満足そうに啜りながら、ポップは宿の主夫婦の笑みを思いだす。
「……なんかさ、ここまでサービスされると、逆に困っちまうな」
以前は病人の治療をせねばならなかったために長逗留したが、今回は薬草の採取が目的なのだ。ここまで良くしてくれても、見合うだけの実入りがあるのかどうか。
マァムが「そうね」と苦笑する。
「まるでお城に呼ばれた時みたいね」
「だな。国賓あつかいだ」
式典等で各国の王城に盛装して行く時の、人々の様子を思いだす。

『御用がおありでしたら何なりとお申し付けください』―――深々と頭を下げる侍従や女官の態度と、宿の主人のそれは全く同じだ。

ポップは肩をすくめた。慣れない接待にはどうしても戸惑ってしまう。隣の部屋にいる元大魔王ならば、こういうサービスも傲然と受けるのだろうけれど。
「あの分だと、本当に何を頼んでも頑張ってくれそうだな」



名物の魚の香草焼きを頬張りつつ、ポップとマァムは先の会話を、隣の部屋から合流したバーンに聞かせた。
このメニューも実はポップが荷物を運んでいた時に喋っていたものだ。荷運びを手伝ってくれていた主人が、奥さんに伝えたのかもしれない。素直に驚き、礼も述べたが、下手にそのまま食堂で食べていると、奥さんに食器の上げ下ろしまで手伝われかねない雰囲気だったため、「気ままに食べたいから」と部屋で食べさせてもらう事にしたのだ。

「本当に至れり尽くせりだよなぁ…『この時季は魚の香草焼きが美味いんだよな』ってマァムに言っただけなんだぜ」
「………ほう」
「発つときに何かお礼をした方がいいわね」
うなずき、「そうだな」とポップは適当なお礼を考える。
(上毒消し草と火傷用の軟膏でも作って渡そうか。この辺りは蛇系・飛竜系のモンスターが多いし……)
二人の意見も聞こうと、思考に陥りかけた意識を戻すと、ワインを飲むバーンの表情が引っ掛かった。

「……どうしたんだよ、バーン?」
「…何がだ?」
切れ長の目が、ポップをちらりと見た。
宿に着いた頃から、バーンはほとんど喋っていない。しかもどこか不機嫌そうなオーラが出ていないか。
元々口数は多くない男だが、別に寡黙と言うわけでもなく、最近ではポップ達との会話に普通に入ってくる。特に今日のように久々に馬車泊から解放された日には、誰だってそうだろうが、もう少し明るくなるものだ。それが―――
「いや…なんか…こう………」
「…気にするな。こちらの事情だ」
言い淀んだポップに、バーンの返事はにべもない。どうやら自分が不機嫌な気分でいるという事は隠すつもりもないようだが。
「疲れたの? 今回は移動が長かったから、身体に障ったかしら……大丈夫?」
マァムが心配そうに声をかけた。もうすっかり回復したと思っていたが、人間風に言えばバーンは病み上がりだ。いくら魔族の強靭な肉体でも、馬車に揺られ続けるという事に疲労が蓄積したのかもしれない。
彼女の偽りのない労りの念に、バーンは黙っていては話が飛躍すると思ったのか「違う」と短く答えた。
「そうなの? 本当に大丈夫?」
「無理すんなよ? メシ食ったら早めに寝た方がいいぜ。久々のベッドなんだしさ」
それでもなお心配してくる二人の言葉を彼は煩わしそうに聞いていたが、ポップの台詞の最後に、ひくりと引き攣ったような笑みを浮かべた。

「……このような宿で夜に寝られるわけがなかろう」

不機嫌さに満ちた嗤いに、ポップは眉を顰めた。
「おい、そんな言い方ねぇだろ。そりゃ、お前の昔の生活にかなうわけもねぇけど、おっちゃんも奥さんも滅茶苦茶サービスしてくれてるんだぜ?」
そもそも、料理も調度品も、ポップとマァムが各国での拠点としている小屋等とそう変わらない。宿住まいがイヤだと言うのなら、リンガイアでも宿でひと月以上を過ごしたはずだ。
「一体何が気に入らねぇんだよ?」
睨みつけて言えば、バーンの金眼が妖しく光った。
「そうだな…客にとことん尽くしてくれると言うなら、いっそ宿全体を改装してもらいたいものだ」
「はあ?!」
想像以上に大掛かりな話にポップは絶句した。マァムもぽかんと口を開けている。
「か、改装って…お前、何言って……」
「特に壁だな。ドアもそうだが薄すぎる。もっと厚くすべきだ」
鼻を鳴らしながら、バーンは続けた。その表情からして、不機嫌さの原因は、本当に宿の造りにあるようだ。
ポップ達三人が泊まればほぼ満員の小さな宿とは言え、改装などと言い出せば金額は馬鹿にならない。バーンの言う壁の補修だけでも、本格的にやれば5万ゴールドほどは必要になるだろう。無論、客へのサービスの範囲を軽く超えている。そもそもこんな小さな宿がすぐに出せる金額でもない。

「か…壁って…そんなに薄いか?」
マァムに確かめると、彼女は「私だって、わからないわよ」とかぶりを振った。それはそうだ。前回ここに泊まった時も、この同じ二人部屋だったのだ。バーンも同じく隣の部屋だった。二部屋しかないのだから、部屋を交換しても話は同じ事だ。
「そんなに寒いかしら…暖炉も普通だと思うんだけど」
「ああ…バーンの部屋だってちゃんと備え付けてあるしな」
まぁ安宿ではあるし、隙間風が入ることもあるのは前回の宿泊で経験済みだ。ネズミが空けたのだろう穴もある。
比べて、リンガイアの宿はさすがに城塞都市というだけあって頑丈な造りをしているし、他国で拠点としている小屋も、錬金釜を扱う関係上、柱や壁はしっかりした物件を選んである。
そういう点では、確かにこの宿の壁はちょっと薄いのかもしれないが……
「けどさ、それくらい我慢しろよ…ここには一週間くらいしかいねぇんだから」
薬草の採取の関係でこの村を選んでいるわけだが、きっと明日になれば、上やくそう等の薬を求めて、他の村からさえも自分達を訪ねて人が来る。また、バーンだけを他の設備の整った宿に預ける事は不可能ではないが、万が一、彼が魔族である事について騒ぎ立てる輩がいれば…等々を考えると、一人にするのは色々と面倒なのだ。
だが、ポップの言葉にバーンは冷めた視線を向けた。
「寒さなど、問題にしとらん」
「え…でも……」
「…だから、最初から気にするなと言っておるだろう。余の事情なのだからな―――貴様らに強制は出来ん」
納得したわけでもなく半ば投げやった態度で、バーンは空になったグラスにワインを注いだ。
わけがわからず、ポップとマァムは互いの顔を見合わせて首をかしげる。
中断していた食事がそろそろと再開し、そのままこの話題は終わったかと思われた。

―――が、

いそいそと奥さんが食器を下げて部屋から出ていく。こじんまりした背中を見送ったあと、マァムが思い出したように立ち上がった。
「お湯をもらえるかどうか、聞いてくるわ」
「へ? ああ、そうだな」
最近ずっと沐浴ばかりだったからか、盥いっぱいのお湯への期待があるのだろう。嬉しそうに笑ってマァムは奥さんを追って部屋を出ていった。
部屋に残されたのは男二人だけだ。
ポップは元大魔王に視線を移した。
「なあ」
「…なんだ」
「さっきの…あんたの事情ってやつ……聞いちゃだめか?」
またその話か、という表情をしたバーンに、ポップは続けた。
「だってさ、俺らが気付いてないところで、あんたが困ってるっていうのは…」

いつになく真摯な青年の態度に、バーンは内心で溜息をついた。普段はマァムの優しい態度に隠れて気付きにくいが、ポップはかなりの人情家だ。仮にもかつて敵だった相手なのだから、放っておけばよいものを。
だが、この分ではこちらが話すまで延々と尋ねてくるのだろう。こちらとしては気を遣ってやっているつもりで彼に話さなかったのだが……寧ろ逆効果だったのかもしれない。
(この際だ…こ奴には言っておくか……)
その方が後々の事を考えてもいいかもしれない。

「……問題というのはな、音だ」
「音?」
きょとんとするポップ。
「騒音というわけではない。単なる話し声なのだが、な」
こんな村でうるさい音など、あっても犬の遠吠えくらいだが、勿論そんな事でバーンが眠れなくなることなどない。
問題は………。
「話し声?」
ポップの確認に、バーンは頷いた。
次に彼が口にしたのは、まるで世間話のような気軽な口調。
「………貴様もさっき言っていたが、今日は久々のベッドだな」
「あ、ああ…それが?」
急に変わった話の内容に咄嗟についていけず、ポップは怪訝な顔だ。そんな彼に、バーンは言い放つ。
―――実に深い笑みで。



「さぞかし、嬉しかろう。好いた娘と二人きりの部屋なのだから」



「………え…?」
硬直した青年を横目で見つつ、バーンは鼻を鳴らす。だから言わずにおいてやろうと思ったのに。聞きたがったのは貴様だ、余は悪くない。
「ちょ…お前……それって……………」
青くなったり赤くなったりと、実に忙しいポップの顔色をバーンは丁重に無視する。
「余は魔族ゆえ、耳が良くてな。身体の構造ゆえ、聞こえてしまうのは不可抗力ではある。だがおかげで、前回の滞在はかなりの頻度で身体が痒くなったわ」
「……前回…の……」
呟き、ポップはうつむいた。肩が震えているのは、当時の事を思い出しているのかもしれない。
バーンにしても、約一年前の記憶には色々と思う事がある。段々と笑みが引き攣っていくのは無理のないことだった。
「そんなわけで、この宿程度の壁では少々困るというわけだ」
……………前の…バーンに……聞こえて……
ぶつぶつと何かを呟く青年を見やる元大魔王の目は、実に楽しげだ。彼はこの話が、実に良いからかいのネタになる事に、今更ながらに気付いたのだった。いつもはポップに口で勝つのは難しいが、このネタならば魔法使いにマホトーンである。
せっかくの機会だ。日頃の(+約一年前の)仕返しをさせてもらおう。
「どうした? 貴様が聞きたいと言うから正直に話したのだがな?」
「……………。」
「何なら、もう少し気の利いた口説き文句でも教えてやろうか? 洗練された睦言なら、余の蕁麻疹もマシかもしれん。まぁ、とは言っても―――」
……………い

「―――貴様らが一週間ほど慎んでくれれば、余は何も困りはせんのだが?」










「いらんことに、気ぃ遣ってんじゃねぇぇ!!!」










部屋に駆け戻ったマァムが見たのは、倒れ伏したバーンと、綺麗に穴の開いた隣室との壁だった。
惨憺たる光景の中、ただ一人泰然と立っている恋人に、彼女は恐る恐る近づき問うた。
「…何が、あったの?」
「――――――やんごとなき事情って奴がな」
「………そう」

いっそ清々しいとさえ言える空気をまとっているポップに、それ以上マァムは何も尋ねなかった。何故だか、責める気も起らなかった。
宿への謝罪や修繕の件など、考えねばならない事は山積みだ―――バーンの事はポップに任せて措くとしよう。

(分厚い壁にしてもらった方がいいかしらね………)

払わねばならない修繕費用はいかほどか。頭を抱えながら、彼女はそんな事を考えた。
静かなテランの夜だった。


(終)



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