本編SSと拍手小話の裏話3

名前
これもUPした日付が不明……。管理人として、作者として、自分がとても駄目な奴な気がしてきた。
とりあえず、再掲したのは2008年の9月6日です。何故再掲かというと、あとがきにも書いている通り、書きたい事が書ききれておらず、一度UPしたにもかかわらず書き直したからです。
そもそも山ノ内はかなり『読む人間』なので、自分の書いたSSだろうがUPした後だろうが、何度も読み直します。そのたびに自分の未熟さ加減がわかって溜息が出るのですが、メリットとしては誤字脱字をかなり防げるということ(それでもたまにチェックした箇所から見つけて甚だヘコみますが…)。なので、見つけ次第バシバシ訂正していくのが常なのです。誤字脱字だけじゃなく、変な言い回しや重複した表現なども訂正しまくりです。後々の作品ですが、『問答』なんか、ラストが初稿からえらく変わってますね。

でも、一度リンクを切っていわゆる「工事中」状態にしてまで書き直したのは、これだけです。…これだけにしたい(泣)

とにかく「書けてなかった」これに尽きます。そして、恥を忍んで書き直した甲斐があったと思っています。むしろ書き直す前がどんなんだったか覚えてないくらい、改善されたなと。
名前と称号の意味とか受け止め方に関しての、レオナのレクチャー。当初はこういうテーマじゃなかった筈なのですが、書き直しているうちに、どんどん筆が進んだのです。
筆が進む……もちろんPCの事なのでタイプが乗るとでも言うべきでしょうか。この状態になった時は、山ノ内の中の法則として、決して止まってはイケナイのです。自然に打てるという事は、その流れが山ノ内の中で「最も良いもの」として確立しているという事で、すなわち「書きたかったもの」に他ならないからです。そしてもちろん、この流れに任せて書き上げた話が気に入らなかった事は一度としてありません。
当然の結果として、当初書き直そうと思っていた「『慈愛の使徒』としか見てくれない人々」から呼ばれる名前と、「自分を知ってる人」から呼ばれる名前には、明確な違いを見せるマァム―――というのは流れてしまいました。大筋では変わっていないのですけれどね。

書くべきテーマを間違えたという未熟さ全開のSSですが、勉強させてもらったと思っています。本編の流れの一つにある、『肩書きと自分自身』というものが、マァムの抱える苦悩として形に出来ましたし。当初のテーマも内包できる形に書き上げられたのが嬉しかったです。

読み返すと、最近のSSに比べて随分と文字数が少ないですね。これは、短くまとまっていて良いのか…それとも、描写が簡潔に過ぎて駄目なのか……(-_-;) どっちにしても当面書き直す予定はないのですけども。
それに、読者様にも指摘されましたが、かの小野不由美先生の名作に随分影響を受けていますね。もう少し自分の文章で表現するべきだろ。…と当時の自分に言ってやりたい。



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