「マァムは?」
「『姫さんのそばにいて励ましてやれよ』って言っといた」
「…そうか」
安堵の笑みを浮かべたヒュンケルを一瞥し、ポップはぽそりと呟く。
「…あいつが今回モノになるかよ」
ヒュンケルは、うなずくだけに留めた。わざわざ言葉にする必要はない。ポップの気持ちは痛いほどにわかる。

この戦いの敵は、モンスターでも魔族でもない―――人間なのだから。

マァムの性格上、どのように割り切ろうと、その力を発揮することは出来ないだろう。
武闘家である彼女の闘い方は、多対一にも充分通用するが、その場合、手加減は命取りになる。それに、そういった戦い方は士気にも影響する。彼女に前線に出てもらうわけにはいかない。
いや…むしろ彼女は割り切って闘えた事など一度もないだろう。相手が人間であろうと魔に属する者であろうと、その実力を出し切れた事など、一度たりとも無いに違いない。その姿勢は人によっては甘さと映り、時には優柔不断と誹られるが、彼女を心の聖域に住まわすヒュンケルにしてみれば、戦であるから他人であるからといって、非情になれる自分の方がむしろ異常なのだと思えた。
他者の痛み・苦しみを、己に置き換えて考える―――それは心ある者がそうでない者と別けられる一種の境界だとヒュンケルは思っている。ならばまさしくその心の働きこそが、マァムの例えようも無く気高い美徳であり、同時に限界であるのかもしれなかった。
無論ポップはわかっている。だからこそ、姫……このパプニカの正当なる女王の元に、彼女をいかせたのだ。マァムの心を守るための措置であると同時に、それは彼女にとって相応しい役割だった。ポップにとってダイがそうであるように、レオナ女王はマァムのとっての親友だ。『友の苦境に側にいて励ます』―――それは慈愛の使徒の名を傷つけるものでは決してない。


ポップは地図上に印をつけていく。敵陣と自陣。いま書き込んだのは、各敵陣の指揮者の名前か。
一体どこから、この短時間でそこまでの情報を仕入れたのか。ヒュンケルは呆れにも似た驚きをもって、ポップの情報を目で追った。急な宣戦布告で情報が錯綜する中、ポップの情報収集力は大いに助かる。
だが、ある一点の書き込みを目にした瞬間、彼は眉を顰めた。
「ポップ」
「うん?」
丁度全てを書き終わり、ポップは顔を上げた。
「まぁこんなとこだ。兵の運用さえ間違えなきゃ負けることはねぇよ」
「そうか…だが一つ訂正箇所があるな」
わずかに硬くなった声音に、ポップは「え? なんか情報間違ってたか?」と空とぼけた声を出す。自然な感じだが、黒い瞳はわずかに逸らされた。
ヒュンケルはパプニカ近衛師団の本陣を指で押さえた。
ポップの辛そうな表情を見て、感謝と謝絶がない交ぜになった想いが、ヒュンケルに苦笑を浮かべさせた。
「ここに俺の名前はいらない」
「…っでも」
「俺の名前は、ここだ」
彼の指が改めて押さえた場所は、前線―――それも最も熾烈な戦いが予想される部隊だった。

ポップは何も言わない。ただまっすぐに髪と同じ色の瞳をヒュンケルに向ける。

「俺が戦わなくてどうする。こういう時のために俺は存在しているのだから」
「………………。」
「皆、俺が戦わないなど許さないだろう。たとえ本陣で指揮をとった方が役に立つのだとしても、それが出来るのはもっと時が経ってからだ」
「……でも、お前は……っ!」
叫びだしそうになったポップの言葉を、ヒュンケルは強い口調で遮った。

「誰より俺自身が、それを許さない」

帯電したような空気に、小さな溜息が漏らされる。
「……わかった」
しばしの沈黙の後、ポップは肩を上下させた。
「もう何も言わねぇ。『ヒュンケル護衛官が、前線に出て、戦う』。それをもとに策を立てて良いんだな?」
確認を取るかのように区切って発せられた言葉に、「ああ」と間髪入れずに答えは返される。
ポップの目がすぅっと細くなる。そこにいるのはもう、先程までのくるくると良く変わる表情の所有者とは別人だった。

「お前、全力で何分戦える? 騎馬でだ」
「…四十分が限度だな」
「わかった。三十分だな」
「……すまん」
「黙れ、死にたがり。半時間、こいつら率いて何とかやり過ごせ。馬は―――」

その脳が回転している音までが聞こえてきそうな硬い表情で、彼の唇は澱みなく、ヒュンケルがこれ以上望むべくもない策を紡いでいく。





『書きかけno.1』(以前は拍手御礼SSの中に入れていた『法と想いと』です)と似たような話。
ただこの話は、ポップの「軍師」的なところを書いてみたかったって理由の方が強いんですけどね。結局中途半端なままです。

パプニカで内乱が起こった設定。