ダイの大冒険 SS

『とある昼下がり』




 それは、実に長閑な昼下がりだった。



 飾り気のないマグにコーヒーを注いで差し出すと、レオナはちらりと視線を向けたが、また俯いてしまった。

「声をかけてくれれば良かったのに」
 施術着から着替えて椅子についたマァムが言うが、レオナは「だって」と呟いた。

「だって、二人とも、その…い、忙しいみたいだったし…」

 ポップは首を傾げた。今日は昼から患者はほとんどいなかったし、いたとしても小さな怪我ばかりだったはずだ。今迄にもレオナがそういう時に訪ねてきた事はあるが、そういう時はキッチン兼ダイニングで勝手にくつろいでくれているのが常だった。  それが今日は何故か玄関で突っ立っていたのだ。『気を利かした』バーンが教えてくれるまで、ポップもマァムも全く気付かなかった。
 マァムも同じ疑問を覚えたのだろう。
「忙しいって…レオナ、一体いつ来てくれたの? 私たち二人とも今日は結構暇だったんだけど…?」

「い、いつって…ついさっきだけど…」

「正確には15分前だな、姫」
 その声に、玄関横のソファーに目をやれば、バーンがにやりと口角を上げるのが見えた。
「ちょっとバーン?!」
 慌てるレオナをおいて、ポップとマァムは顔を見合わせた。
「15分前って…」
「そんなに前に来たのかよ?」
 それはまた随分長い事待たせてしまったようだ。ダイと会った後の残りの休憩時間を利用したとレオナは言うが、もう残り時間も少ないのではなかろうか。

「ち、違うのよ! 別にこっそり二人を窺うとかそういうのじゃあ…!」

 何故か必死に言い募るレオナに、さらにポップとマァムの疑問は深まるばかりだ。
 15分前と言うと、自分たち二人は―――

「ただ、その、カーテンの向こうで見えないから! 二人っきりでどういう事してるのかわからなかったし! じゃ、邪魔しちゃいけないだろうし!!」





 つ…と筋にそって滑らされる指。
 少し荒れた、それでも柔らかさを失っていない指の腹の感触に、ポップは熱い息を吐く。
 それはポップを強く押すかと思えば、時には揉みにかかり、そして、弱く優しく添わされる。

 男であるポップよりもずっと強い腕力を持つマァムは、本気を出せば拳で巨岩も砕くことが出来る。
 その彼女がこうして優しく柔らかな動作をするのを見るのは、ポップにとっては大きなギャップを感じさせるものであり、また、一種の感動めいた気持ちにさせてくれる儀式のように感じていた。

「ぅ…あ…!」
「痛い?」
 指の動きに思わずポップが呻くと、即座にマァムは動作を中断して問いかけてきた。
「いや…大丈夫…すんげー気持ちいいわ」
 優しく気遣ってくれる彼女に文句など言えるわけがないし、気持ちいいという自分の言葉は間違いなく真実だ。
「本当に? 無理ならやめておくけど…」
「本当だって」
 答えながらポップは、顔が見えない状態で良かった、と安堵していた。
 行為自体ももちろん気持ちいいのだが、マァムが自分の為にしてくれているという事実が、何よりも嬉しく有り難く、天にも昇る心地というのはこういうものなのだと思う。故に、今現在のポップの顔はしまりなく緩みきっている。恍惚という表情の見本のようなものだ。
「マァムにこんなにしてもらってんのに、無理なわけねぇじゃんか」
 だから、もう少し続けてほしい。
 少し振り向いて、目で告げる。マァムがくすっと笑った。

「わかったわ。じゃあ…」

 再び触れてくる指先が、熱い。同じだけポップの吐息も。
「ん…そこ…」
「ふふ。ポップここが好きよね。首のところ」
 少しからかうような彼女の声に、うん、と素直にポップは頷いた。
 無防備な状態をさらけ出して、マァムに身を任せるこの状態は、至福の時間だ。だから、ついつい子供の様に『お願い』してしまう。
「…なぁ、頼んでいい?」
「なぁに?」
 対するマァムも、こういう時には特に優しい。別にポップは恋人に母親の像を求める男ではないが、聖母の愛情に包まれるのが癒しでないはずがなかった。

「出来たら、その…クチのさ…」

 くすりと笑む声。
 マァムがゆっくりと覆い被さる。ぎっ…とベッドが軋んだ。




「…ああ。成程な」
 自分たちの会話と状況を思い起こしてから、レオナの上気した表情を見れば、この妹弟子にしてパプニカ国王陛下たる少女が何を考えたのか、何となくポップにはわかってしまった。
「ポップ?」
 対するマァムはきょとんとポップを見上げる。そんな彼女にポップは『綺麗な笑み』を返すにとどめた。いいんだ、わからなくて。それがマァムなんだから。
「姫さん、気を遣ってくれたんだな。ありがとよ」
 もっとも、レオナにはポップのその笑みは色んなものを含んで見えただろう。まぁ実際に含んではいる。

 15分前と言うと、自分たち二人は―――マッサージの施術真っ最中だった。

「…………は?」

 実に間の抜けた声だ。いつも理知的なこの少女が、こんな声を出すのは初めて聞いたな、とポップは思う。
 微かにくぐもった音が聞こえ、ふと玄関脇を見れば、バーンはいまや声を殺すのをやめ、遠慮なく喉を鳴らして笑っていた。
 ポップは内心で肩を竦めた。おそらくバーンはレオナが何をどう勘違いしたかわかった上で、15分という時間放置していたのだろう。ひと言「マッサージの施術中だ」とでも言ってくれれば誤解などすぐに解けただろうに。

 ―――とは言え、ポップは特にバーンに腹を立ててはいない。「こういった事」でいつもからかわれるのはポップであり、レオナはからかう側なのだ。たまには立場の逆転を味わうのも良いだろう。

「いやあ、武神流の『気』の操り方って凄いだろ。それを治療に特化した方法で活用できないかってマァムが思いついてさ」

 過剰回復呪文となるマホイミではなく、逆に通常のホイミよりも弱い回復呪文を指先や掌に持続させ、筋肉痛の箇所やツボの刺激をして疲労を回復するというこの方法は、実際にやってみると思った以上に効果があった。ポップやマァム自身が実験体として己の疲労部分に試したのだ。
 ジパング方面に広く流布している鍼や灸といった治療方法と組み合わせれば、傷病者の早期回復に役立つ事は間違いが無いと思われる。
 そんな説明をにこやかにポップは語る。

「そうなの! ホイミさえ使えれば、普通の町医者でも充分なことが出来るようになるかもしれないのよ、レオナ!」
「そ…そうなんだ。素晴らしい…わね……」

 マァムの慈愛の笑みを前に、言葉少なく相槌をうつレオナの心境は、ポップには手に取るようにわかった。勿論、指摘はしない。そっとしておいてやるのが友情というものである。

「さっきも首の上の方のツボをマァムについてもらってな。三日前に口の中を噛んじまって口内炎が酷かったんだけど、一発で治るんだな、これが」

 レオナが消え入りそうな声で「…そのことだったの……」と呟いた。
 ポップはまだ一応は湯気を立てているマグを、ずいと彼女に押しやった。
   
「姫さんも、今度ダイにしてやれよ」

「…ダイ君に……」
 恨めしそうな視線をポップに向けるのも一瞬の事。コーヒーの湯気の向こうに愛しの勇者の面影でも見ているのか、レオナは何やら計画を立て出した。ぶつぶつと呟いている。
 マァムがにこにこと出してくれたお茶受けを礼を言って頬張りながら、ポップは親友の近い未来を想像して口の端を上げた。


 それは、実に長閑な昼下がりだった。


(終)





久方ぶりの更新となりました。
お待ち下さった方々に、心よりの感謝を<(_ _)>

御安心下さい。『わきみち』は全年齢推奨サイトでございます(笑)

(2013.09.19拍手にUP 2016.04.05 サイトに再掲)