ダイの大冒険 SS
『番外編 天と地のはざまで』
そそくさと帰っていく使者の後ろ姿に、バーンはふんと鼻を鳴らす。
使者の態度は見慣れたものだ。一目で魔族とわかる自分と相対して、何も変化のない人間など極少なのだから。それでも、貴族社会の中では変わり者として有名なこの家には、魔族を居候としていることを周りに納得させてしまう空気が確かに存在しており、これまで彼の存在が問題になったことはないのだった。
使者は王宮からの者だった。
バーンは渡された書類をチラリと見遣る。ベンガーナ王の紋がくっきりと押されている封臘…それは、この家の主に対する王の信頼を表すのだろうが……。
(また、何ぞ厄介事を押しつけられるわけか…)
彼は、昨今の世界情勢を脳裏に浮かべた。ベンガーナだけに限っても、異変が起こった箇所は十を超える。
―――勇者ダイが魔界へと旅立って以降、世界はざわめいている。
魔界での戦の余波が、地上にも届いているのだ。勇者の魔界行を人々は知っており、それゆえに過敏になっている節もある。
森に棲む魔物たちの雄叫びを聞くたび、地震いが起こるたび、星が流れるたび、人間達は何らかの兆しではないかと怯え、肩をすぼめ、不安気に身を寄せ合う。
そんな世相では、かつて勇者と共に戦った仲間たちに地上の守りを期待されるというのも当然だろう。中でも勇者ダイの親友、大魔道士ポップに向けられる有形無形の期待は、傍から見ていても過剰なほどだった。
そのポップは、現在、部屋にて書類との格闘真っ最中のはずである。ここしばらくの彼の忙しさを知っているバーンとしては、更に懸案を増やしてやるのはさすがに少々哀れに思ったのだが……
(どのみち、無視できるものでもないのだしな……)
肩を竦め、バーンは二階へとのぼった。南に向かう明るいその部屋で、若い大魔道士は、溜息をつきつつペンを走らせているのだろう。
もとより他人のプライバシー等には関心が薄い元大魔王であるが、部屋の扉が全開になっているのには片眉を上げる。
開け放たれた扉からは、風が吹きこんできていた。
そよ風というには少々強いその風は、部屋に繋がるテラスからのもの。精緻な飾りの彫られたガラス扉も開ききり、まるで強制的に換気しようとしているかのようだ。
いや、「まるで」ではないのだろう。実際にポップは空気を入れ替えたかったのに違いない。
その証拠に、当のポップの姿は書類の積まれたデスクではなく、テラスにあった。
癖のある黒髪を風にかき乱されるのは一向に構わず、また、バーンが入ってきたことにすら気付いていない様子だった。手すりにもたれるようにして、ぼんやりと空を見上げている。
バーンは我知らず、唾を飲みこんだ。
遠く高く澄み渡った青空だけを、青年の瞳は映している。それは、彼が普段見せている、何か愉快な事を探しているような、悪戯を企んでいるような、そんないつもの瞳ではない。ただただ魂そのものまでもが、蒼空に吸い込まれてしまったかのように。
ざ ざ ざぁ
庭の大樹が風に揺れた。
「…おい」
ポップ、そう呼ぼうとしたとき、そっとバーンの手を握った者があった。
振り向けば、桃色の髪の女がバーンの後ろに立っていた。この家のもう一人の主、マァムだ。
彼女はバーンの手を引くと、部屋の入り口まで戻った。
「今は、放っておいてあげて」
小さく言う。
「…なに?」
マァムは緩やかにかぶりを振った。その柔らかな眼差しが、バーンの持つ書類の上でふと止まった。
「その書類…急ぐの?」
「…いや」
急に話を振られ、戸惑いつつもバーンは答えた。確かあの使者は、次の登城の時に返事が欲しいとも伝えていたはずだった。
マァムは頷いた。バーンの手から封を受け取ると、そっと胸に抱いた。音を僅かにも立てまいとしているのが、わかった。
「……………。」
無言でテラスの人物を見遣るバーンに、マァムは微笑んだ。
「ポップはね、いま、旅に出てるの」
「旅だと…?」
こくんとマァムは首肯する。
「ダイのところに行っているのよ―――心だけでも…。だから、邪魔をしないであげて」
本当は、今すぐにでも飛んで行きたいのだ。親友のもとへ。
剣を振るい呪文を炸裂させる戦いを繰り広げ、血で血を洗う日々を送っているだろう竜騎士のいる、魔界へ。
大魔道士の名は伊達ではない。ポップの呪文ならば魔界の高位魔族にも確実に通じるだろう。また、その頭の回転はどんな苦戦の最中にあってもダイたちの佐けとなるだろう。
なにより、大魔道士ポップ以上に、勇者ダイの力を引き出せる者などいない。彼ら二人は、半身とでも言うべき、息のあった相棒なのだから。
「それでもポップは、行かない。…行けないの。地上に留まることを、彼は…自らの役目と課したから」
マァムはバーンに静かに告げる。金の眼が彼女を強く見下ろした。
「…いつもか?」
「え? ううん。時々よ。今週は特に忙しかったから…」
「そうではない」
ほんの少し、バーンの眉根が寄っている。怒っているのではないだろう。二年以上も共に暮らしてきたマァムは解っている―――人の心の機微に対して、自身の中に無いものを見出した時、元大魔王はこの表情を見せるのだという事を。
「そうね……疲れた時は、いつもああして青空を見てるわ」
青い空は…ポップにとって、ダイそのものなの……
呟けば、バーンは今度ははっきりと顔を顰めた。
ざわ ざわ ざざあぁ
テラスの向こう、一際高く伸びた枝が、青い虚空に大きく揺れる。それはさながら……
「自ら道を決めた者が、未練がましいことだ」
元大魔王が独りごちる。その言葉にマァムは軽く目を瞠った。彼とて人の弱さを充分に知っているだろうに、それでもなお言うのは、それだけポップに何かを見ているのだろうか。
静かに彼女は頭を振った。
「違うわ」
胸の内に、この五年間が去来する。
この五年もの間、ずっと側でポップを見てきた。当然、バーンの知らぬだろう表情で青空を見上げるポップの姿も。
二年と少し前まで、彼の目には青空は亀裂が入って見えていたはずだ。眩く禍々しい閃光がダイを拉っした時のままに。
あの頃のポップを知っているからこそ、マァムは思うのだ。いまのあれは、未練ではない。半身と共に在れないことに耐えつつ、心だけでもと願う姿を、少なくとも彼女は未練がましいとは思わない。
緑樹が青空に向かって伸びることを否定など出来るわけがない。
「あれでこそ、ポップなのよ」
そう言って、彼女はふわりと笑った。微かに寂しさが見え隠れする、そんな微笑。
バーンがやはり不可解なものを見るような眼をしたが、ややあって「そうか」と頷いた。
「貴様も、強いな」
囁くような小声にマァムは一瞬ぽかんとし、次いでクスクスと笑い出す。
「ええ。ポップはここにいるもの」
力強く伸びる大樹は、同じだけしっかりと大地に根付いている。
どれだけ遠くに旅立とうと、それが旅である以上、ポップは必ず『ここ』に帰るのだ。
ほんの少し寂しさもあるが、それすらも含めて、彼女は夫を愛している。
勇者が必ず姫君の元に帰るように、大魔道士ポップの心も、いま少しすれば必ず帰ってくることを、マァムは知っている。
だから不安はない。だから強くあれる。
ダイの愛する地上に。共に守るべき大地に。愛する人々の元に。
ここに―――自分のいる場所に。
(終)
以前、本編で『最後の許可』をUPした時も書いておりますが、この話は原作から5年後以降の話となりますので、【番外編】と銘打っております。
ポップはダイが魔界に戦いに行ったとしても、付いて行かないんじゃないかと、山ノ内は思っております。
それで、以前の『最後の許可』がダイの立場からの話だとすれば、今回はポップの側の話。
身体を二つに分ける事が出来るのならばいいですが、そんな凍れる時の秘法みたいなチートは使わないとすれば、居残り組のポップはどんな感じでダイの不在の間を過ごすだろうと想像すると……こうなりました。
古今和歌集の中に、このポップと同じような歌があります。一緒に付いていけないなら、心だけでもと願うのはごく普通の事だと思うんですよね。
それだけ大事な相手で、大事だからこそ、自分の持ち場をしっかり守って遠くから支える。―――そんな信頼関係が、ダイとポップの二人にはあるんじゃないかと思うのです。
あと、拍手SSにUPした当時は誰も突っ込まなかったけど、一番書きたかったのは、最後の方のマァムの心情の中にある一文字だったりします。
ポプマファンとしてね!!(・∀・)
ここまでお読み下さり、ありがとうございました。
(2011.11.02UP '12.02.06 再掲)