ダイの大冒険 SS

『変わらないもの』




一年の大半が寒さに支配されるこの地方も、この時季にもなれば一斉に緑が生い茂る。
大地が短い夏を謳歌しようとするかのようだ。それでも深呼吸をすれば、吸い込むのは他の地方で感じるような草いきれではなく、色とりどりの花の香と清涼という他ない空気。
ぐっと胸を張り、腕を頭上で伸ばす。そうして軽く筋肉をほぐすと、同時にここ数日のささくれ立った気分もほぐせた気がした。
いい加減気持ちを切り替えよう、と内心で呟く。話を聞きたがる親友の態度は当たり前のものだ。こんなくさくさした気分のまま一日中いるなんて、ダイにも悪いではないか。

「……まぁ、こんなとこだ」

先日のパプニカでの騒動の真相をせがまれるままに話し、あらかた説明が終わると、ダイはどこかポカンとした表情になった。
「わかったか?」と確認すると、ダイは「うん」と頷いた。あっけないその反応に、おや? とポップは意外に思う。
親友の性格からして、怒りに震えるのではないかと想像していたのだ。何せ、先日パプニカで逮捕された貴族を首魁に『組織』の連中は、自分たちの悪事を隠すために魔族に扮する事までしていたのだから。
その当日はさすがに喧々囂々の騒ぎとなり、ポップとダイは会うことすらかなわなかった。ようやくその騒動からポップが解放された今日、ダイと一緒に里へと出かけると、詳しい話をせがまれたのだ。
何しろ、当日ダイはパプニカにいたのだから騒動は目の当たりにしている。だのに、いつもならば一番にダイに色々と話してくれるレオナは騒ぎの渦中におり、とても話しかけられる雰囲気ではなかっただろう。ヒュンケルや、アポロを筆頭とするパプニカ三賢者も同様で、ダイ一人の為に時間を割いてもらうわけにもいかなかったはずだ。
騒ぎの中にはポップ自身もマァムも、更にはチウやクロコダインといった、普段はデルムリン島に住む仲間もいた。事件解決に協力したためで、本来は他国人である自分たちでさえ対応にてんてこ舞いだった。
そんなわけで、ダイとしてはこの数日、蚊帳の外の気分をずっと味わってきたはずだ。何とか詳細を知ろうとするのは当然だった。
別に隠す必要もないので、ポップは乞われるままに事件の概要を語った。だが、先程気持ちを切り替えようと思ったばかりだというのに、己の語った内容を思い出すと、怒りが再燃しそうになる。
わずかに眉を寄せた彼の表情を、ダイは自分の反応の薄さの故と取ったのだろう。少し慌てたように「えっと」と言う。
「わかったんだけど…」
「けど? 何だよ?」
少々語尾がキツくなったのは否定できない。だが、ダイの次の言葉でポップの苛立ちはうやむやになってしまった。

「ポップは凄いね」

至極あっさりとしたその言葉は、称賛ですらなく、単純に事実の確認をしたといった風で。今度ポカンとしたのはポップの方だ。
「……は?」
何故そこで自分のことになるのか。ポップにはわからなかった。確かに犯罪の解決に関わりはしているが、今回は彼の十八番である魔法を使う場面も特になく、仲間と一緒に少々立ちまわっただけなのに。
だが、ダイは「だってさ」とポップの困惑などお構いなしだ。
「だって、その『組織』って大きかったんだろ? それに、当たり前なんだろうけど、バレないように物凄く計画も練ってあったんだろ?」
それは先程ポップが語った内容の通りだ。頷く彼に、ダイは続ける。
「それだけ大きな組織なら、黒幕って中々わからないって思うんだ。なのに、割り出すって凄いよ」
「ああ…そういう事か………って、あれ?」
親友の言葉に納得しかけて、引っ掛かる。自分は事件のあらましは語ったが……
「俺が割り出したって、言ったっけ?」
言ってないはずだ。だが、ダイは笑う。
「え? だって、ポップだろ、そういう役割は」
当然だろうという風に、ダイは黒い目を瞬かせた。まるで、あらかじめ知っていたかのように。
その言葉にポップは内心で手を上げる。親友のこういうところは本当に敵わない。
「まぁそうなんだけどな。……実際、大した事はしてねぇよ」
肩をすぼめて告げる。謙遜でも何でもなく、本当に大したことは何一つしていない。この件でポップが主に使ったのは、魔法力でも腕力でもなく、舌先三寸なのだから。
「所詮は欲にまみれた連中だったってことさ。言葉一つで片が付いたからな」
首を傾げるダイに、ポップはにやりと笑って見せる。

「人間は、信じたい事だけを信じるもんだから」

ポップが取った策は単純なものだった。捕えた下っ端をわざと逃がしたのだ―――偽の情報を手土産に。
例えば、どこで検閲があるか。どんな人間がそこに向かうか。こちらがどの程度の規模で動いているか。賊を捕えた部屋の外で仲間と会話をしてわざと聞かせ、そうしておいて夜中に見張りを甘くする。
当然のように、賊はまんまと逃げおおせ、手柄顔で巣穴に帰り、自慢気に持ち帰った情報を伝える。無論、尾行がつけられているのだが、遥か上空から獣王遊撃隊のメンバーに見張られているなどと気付くはずもない。
手土産に持たせた情報の九割以上は真実だ。というか、真実になるようにポップが演出しておいた。偽の情報はごく僅か。

秀逸な言葉の罠は、真実の盃に一滴の嘘を垂らせばいい。相手が望む味の、一滴の嘘を。

「上手く仕掛ければ、情報一つで集団全体を壊せるもんなんだよ」
「そういうもんなの? 悪い事をしてるって自覚があるからこそ群れてるのに?」
情報一つで簡単にヒビが入るものだろうか? 親友のもっともな疑問に、ポップはチラと笑う。
「欲得で群れてる人間は、いつだって他人を疑ってるもんだからな……どんなに強い結束だって言っても、裏切りが出たと思えばすぐに崩れるもんだ」
言いつつ、ポップは、ふと遠い目をした。

強大な敵を前にして、非力な魔法使いであるポップが戦場で生き残ってこられたのは、敵の裏をかく戦い方をしてきたというのが大きい。敵の望みを見抜き、その流れ通りに事態が進んでいるかのように錯覚させて手玉にとる。「場」を支配するというのは、そういう事だ。
戦後、この戦い方は、政治に関わることで更に磨かれた。心理戦こそが大魔道士ポップの本領発揮と言っても過言ではない。

人は、信じたい事柄を…もしくは信じやすい事柄を信じようとする。数多ある情報を取捨選択し、己に都合のよい事だけを真実だと思い込もうとする。…そうして己を保っていく。

若い大魔道士が経験から得てきた、それは答えだった。何も、悪党相手に限った話ではない。
少し前までの彼自身が、身を以て味わってきたのだから。
たった一つのだけ情報を頼りとして、ようやく前を向くことが出来る―――そんな状況を。
絶望的な状況の中での微かな可能性を信じることで、何とか進んできた。心が折れそうになるたびに、剣の宝玉の輝きを確認した3年と言う日々。
ダイが帰還し、いま噛みしめているこの幸せな温もりの中でも、時折、得も言われぬ不安に駆られる事がある。心の一部は荒んだままだ。おそらくは一生涯、癒えることはないだろう。

「……あいつらは皆、こう思ってた。『他人なんてどうでもいい』ってな。だからこそあんな酷ぇ罪が犯せるわけだけど―――そうして俺やマァムやチウ達が現場に乗り込んで大暴れして、何人かは捕えられた。そんなヤバい状況で『どうやら組織のボスは裏切ったらしい。組織を売って、一人だけ助かる気でいる』なんて噂が流れたらどうなる?」
「あ…」
ダイは絶句する。そんな噂が流れれば、疑心暗鬼に陥った者たちは我先にと仲間を売るだろう。自分が心の奥で考えていた裏切り行為を、上位者が率先して行ってくれたのなら、心理的な抵抗は消える。意図的に流されていた他の情報がホンモノであるなら、尚更、疑う事などあり得ない。
「あとは、芋づる式だよ。簡単だったぜ」
ダイは納得と同時に、感嘆する。この目の前の親友の知恵に。
昔から頭の回転の速い彼だが、ダイが見てきたのは戦場での作戦がほとんどだった。3年前のそれが戦術レベルでの事なら、いま、ポップが何でもない事のように口にした内容は、状況そのものを作り出し変えてしまう戦略レベルの話だ。
高い鳴声が空に響く。
巣に帰っていく鳥の群れが、頭上に一瞬大きな影を落とした。
里への道に戻るため、のんびりと丘を歩いていたが、話し込んでいる内に空はどんどんと黄昏てきている。夜が近い。
「……やっぱりポップは凄いよ」
ポップは答えずに、茜色の空を見上げている。その目が、遠く見つめているものは何だろう。
「…………オレじゃ、そんな事は絶対に出来ないもん」
アバン先生に頑張る決意は伝えたけれど、それでも。
様々な壁を知れば知るほど、どう動けば良いのかわからなくなるのだ。身体を鍛え剣の腕を磨いて、大魔王打倒を目指していた時とは全く違う戦い方が必要で……、けれどダイは、いまだ戦い方を学ぶ地点にすら立てていない。その自覚がある。
果てが無いと思える道。ポップはその道を歩いている。一緒に歩くことは不可能に思えるほど、最早その距離は開いている。ダイが3年間足踏みをしていたからだ。
(ポップだけじゃない、よね……)
心中でぽつりと呟く。ダイがようやく歩こうとしているその道を既に歩んでいるのは、ポップだけではない。レオナもマァムも、ヒュンケルもアバン先生も、ラーハルトやクロコダインとてそうだ。彼らは既に何らかの形で政治に関わっている。
皆は、積極的にそういった話をしようとはしないが、それでも苦労しているのは伝わって来るものだ。
(オレ、甘やかされてるよなあ……)
「別にいいじゃねえか」
「えっ?!」
まるで自分の心を読まれたかのようなタイミングで言われ、必要以上に驚いてしまったダイに、ポップは黒い瞳を丸くする。
「何だよ? そんな驚くことか? 別にお前が口達者にならなきゃいけない必要なんて、ねぇだろうが」
(あ…そっちか……)
怪訝な顔をする親友に、ダイは苦笑するだけにとどめた。そんなダイに、ポップは追及はせず言葉を重ねる。
「お前が何から何まで全て出来るようになる必要なんて、どこにもねぇ。出来ないことを補い合うのが仲間だろう?」
静かな声だった。黒い瞳も笑っていない―――こんな時の彼がどこまでも真摯であることをダイは知っていた。
「うん…でも……」
親友の言うことは尤もだと、ダイとてわかってはいる。立場が逆なら自分だって同じことを言っただろう。けれども政治というジャンルで自分はスタート地点にすら立てていない。守られてばかりで……むしろ足を引っ張っている気がするのだ。
 ザワリ
風が吹く。くるぶしを優しく撫でていたはずの草が不意に絡みつくような感じがして、ダイは視線を落とした。
「ダイ?」
「…オレ、全然役に立ってないだろ…? 勉強不足だっていうのもわかってるけど……皆や、ポップみたいに才能がないから………」
「違う」
小さな声は、けれど凛とした声で否定された。がっと強く肩を掴まれ、ダイは顔を上げる。
射抜くような強い視線でポップが見つめていた。


「才能じゃねえ。個性の違いだ。俺や姫さんのようになる必要なんてどこにもねぇ。お前は、お前にしか出来ないことをすればいいんだ」

 ザワザワ ザワザワ
夕闇に冷えた風が、二人の間を駆け抜けていく。ややあって、こくりと頷いたダイを見て、ポップはようやく目元を緩ませた。
「オレにしか、出来ないこと…」
「そうだ。気負うことなんかねぇよ。そのために勉強してるんだろ?」
「…そう…だね」
「ああ。そんで、こう考えろ。俺がお前の歳には政治のイロハなんざ齧ってもいなかったんだぜ? 魔法とマァムのケツの事ばっかりだ。だろ?」
「…ばっかりって……」
「あぁ、うん。ケツばっかりじゃねぇな。胸もだ」
すっとぼけた最後の言葉に、とうとうダイは吹き出した。
ポップは、明るさの戻ったダイの笑顔に、肩を掴んでいた手を離し、そのまま癖のある黒髪をくしゃりと撫でてやった。嬉しそうに笑う年下の親友に、「それに」とポップも微笑む。
「それに、俺に限って言えば、俺が政治に関わってるのは誓いみたいなもんだからな」
「誓い?」
おう、とポップは頷く。
「お前が帰って来るまで、俺達が地上を守っていこう―――って誓い」
大戦直後にダイの剣の前で誓ったのだ。

―――いつの日か、ダイが帰ってきた時に誇らしく胸を張れるような地上にしよう。

決心してから3年が経った現在、旅の仲間の中でも特にポップは政事に深く関わるようになっている。
『力なき正義は無力』という先生の言葉は正しく、そして、平和な世界での力は魔法ではなく、発言力と言う名の権力だからだ。
もう抜け出すことは不可能に近い。親友は帰ってきてくれたけれど、自分なりに上出来だと思えるほどには頑張ってきたけれど、ここで満足してすっぱり足を洗うことなど考えられなかった。関わっただけ新たな縁があり、やり遂げたい仕事も出来ている。何よりポップの中には、気楽な立場を愛するのと同じだけの強さで、政治の世界で腕を振るうことへの楽しさが存在しているのだから。
権力に固執する人間になるなどおぞましい限りだが、目的の為にある程度の権力は欲しいし振るいたい―――そんな思いが確かにある。
切っ掛けが何であれ、随分と変わってしまった自覚はある。このような立場になるまで、雲の上の存在だった人々が動かしていた世界の仕組み。それに関わる事で得られる楽しみに、権力欲が僅かも含まれていないとは、ポップにはもう言い切れなかった。
(けれど…いや、だからこそ、いつまでも変わらずに、誓いを守っていきたい)
それがひいては、この三つ下の勇者の友であり続けられる最低限の条件になるとポップは識っている。
(ま、本人には言わねえけどな…)
ダイに話せば、真っ直ぐな彼のことだ。友人に条件など付けないとでも宣うだろう。そんな優しい言葉を引き出して、喜ぶようなことはしたくなかった。
当のダイは、ポップの『誓い』の説明を聞いてどこか照れたように笑ったが、
「―――だから気にするな。これは、俺の誓いなんだから」
というポップの言葉に、ふと表情を消した。
「…どした?」
ダイは答えない。じっとポップを見つめて。
それは、苦労をかけてごめんねという悔恨であったり、その苦労を親友が己のためにしてくれたのだという優越感に似た喜びであったり、こんな素晴らしい親友がいるということの嬉しさであったり、さっさと追いつきたいという競争心だったりするのだが、視線に様々な感情が乗せられていても、言葉は僅かなものに収斂していった。

暗くなっていく里への径。たたずむ二人の影法師が、長くながぁく丘に伸びていく。あと少しもすれば影は夜闇と同化するだろう。
けれど二人の足は進まない。進めないでいた。まだ。

「なら、オレも誓う」
ぴくりと肩を震わせたポップに、言葉を探すようにしてやおら告げる。



「オレ、もうどこにも行かないよ。地上が好きだ。ポップ達が守ってくれたここが好きだから。もう絶対にどこにも行かない」



 ザワザワ ザワリ
ポップの胸に瞬間走ったのは、痛みだった。
心のどこかがざわめいた。荒んだ嵐が吹き荒れ、嘘だ嘘だと喚き立てる。
―――わかっている。この言葉はいつか反故になるのだと。
歴史には【流れ】がある。個人がいくら望んでも抗っても、けして避けられ得ぬ大きな潮流がある。時代がもたらす運命と言ってもいい。その力に後押しされる形で、この目の前の親友が再び動かねばならない時が、きっと来る。
ダイと自分では背負っているものが違う。この勇者は、地上だけの宝ではないのだから。
いつかダイは、再び地上から消える。
それでも……

「……ああ…信じるよ」

それでもポップは頷いた。深く、強く。
人間は、信じたい事だけを信じる……そんな、己の語った言葉が脳裏に蘇るが、違う。
だって俺は……
(今回は、信じたいから信じるってわけじゃあ…ねぇもんな…)
ほのかな笑みが、口元に浮かんだ。

信の置き所は、ダイの言葉ではない。運命に変えられてしまう言の葉なのでは決してない。
未来の嘘は、けれど不変の誓いだ。ダイがいま立てた誓言は、その心において決して嘘ではないのだから。
自分が信じるのは―――

一番星が瞬いた。
涼やかな光と同じように、荒れた心に澄み渡ったものがある。



どこにも行かないよ。地上が好きだ。ポップ達が守ってくれたここが好きだから。



「有難うな、ダイ」
―――その心。この瞬間の、お前のくれた精一杯の真実。偽りのない、想い。
何物にも代わることのない、お前のその誓いが、俺を生かしていくだろう。


(終)





実はこれ、最初は『未来の嘘』ということで四月一日用に思いついた話だったりします。
思いついたのは本当にさわりの部分だけだったため、膨らませていくうちに物凄く時間がかかってしまいましたが。

本編SSの番外編にもある通り、ダイはいずれ魔界へと戦いに赴きます。
別にこの話でその予兆があるとかではなく、ポップは…おそらく他の皆も、いつかはダイが再び戦場に出るのだと覚悟をしていると思うんです。
竜の騎士という定め・立場が、何よりダイ自身の気性が、傍観者でいることを許さない。

ですが同時に、ポップ達と共にずっと地上で穏やかに暮らしたいというのも、間違いなくダイの願いだと。
いつか未来にまた別れがあるのだとしても、その瞬間の真心は、いつまでも受け取った者の中で変わらないものだと。
そんな事を思いながら書いた話です。

ここまでお読み下さり、ありがとうございました。


(2011.05.12UP 07.18部分改稿)('11.08.05 再掲)