ダイの大冒険 SS

『視点』




ゴブレットに注ぎ足した酒をぐびりと飲むと、バーンは対面に座る青年に目を向ける。
「お前もダイも、見事に余の誘いを蹴ってくれるものだ」
その言葉に、苛立ちの響きは皆無だ。むしろその逆で、楽しんでいると言った方がいいだろう。
実際、バーンは上機嫌だった。
つい先程まで竜王問答の真似事を行っていた彼は、青年―――ポップの答えに満足していた。
共に暮らすようになって、はや数ヶ月。バーンは常にポップ達の側でその言動を見守っていたが、彼らはバーンの想像の外の行動をしょっちゅうとるのだった。何千年も生きてきた彼にとって、こうも彼を『飽きさせない』人間は初めてだ。
それに感化されているとは思いたくないが、人間という種族にバーンが描いていたイメージは、徐々に変化してきている。
今回もそうだった。

「余の手を取ると思っていたのだが、な……」

目的の為―――世界の有様を変える為に、その『力』を使え。
新たな魔王として地上に威を示すという道は、理想郷への最短の道だ。
硬直した世界を変えたいならば、一度徹底的に破壊して組み立て直せばいい。力を持つ者がルールを作る。それは、バーンの信じる真実であり正義だ。
だが、そんなバーンの誘いをポップは断ったのだ。

「…結構、くらっと来たけどな。遠慮しとくよ」

ポップが小さく笑った。その顔は随分と赤く染まっている。先程までの問答の間はそうでもなかったのだが、緊張が解けた後で一気に酔いが回ったようだった。バーンはくつりと咽喉を鳴らす。
「マァムが泣くから…か。随分と惚気られたものだ」
それはポップが誘いを断った時に漏らした理由だった。曰く『好きな娘に泣かれたら、そんな世界は絶望と同じ』などというもので、バーンは呆気に取られたのだ。
そう言えば…と、へにゃりと笑うポップの顔を見ながら、バーンは思い出す。
「……あの娘にも、同じ事をしたな」
「…へ?」
きょとんとする青年に、バーンは以前のマァムとの会話を語る。

政敵の仕組む毒酒によって、徐々に汚れていくポップのスカーフ。それを洗いながら物憂げな表情でいたマァムに、バーンは今回と似たような問いを放ったのだ。
もっとも、その時は竜王問答ほどの『場』ではなかった。だが、彼女の心がバーンの誘いに揺さぶられたのは確かだった。大きく揺れた、哀しみをたたえる栗色の瞳……。
「慈愛の使徒」と呼ばれる娘がどんな答えを返すのか、バーンは興味深く返事を待った。

「結局は、巧くはぐらかされたわ」
マァムは誘いに諾否いずれも答えなかった。苦笑に似た表情でバーンは呟く。テーブルを挟んだ正面で、ポップが笑う。
「そりゃあ…無駄な事をしたもんだ」
揶揄めいた声に、バーンは僅かに眉を上げた。



「無駄、だと?」
「そう。あいつにンな問いは、するだけ無駄だぜ」
赤い顔で青年は笑う。
さも当然のように言われて、バーンはいささかムッとした表情になった。
「無駄とは限るまい。あれもお前と同じ人間だ。野心や保身と無縁なはずはあるまいが」
まさか、徳高き聖女だとでも言うつもりか? ―――ちらりとそんな思いが脳裏をよぎる。もし、ポップが彼女の事をそんな風に捉えているというのならば、それはそれで彼の勝手というものだが、少々拍子抜けだ。
マァムは確かに「慈愛の使徒」と言われるだけあって優しい娘だが、どこまでも普通の人間だ(腕力は別として)。普通に笑いもし、泣きもし、怒りもする。共に暮らす男が常に政敵から陰険な攻撃を受けていると知って、その敵を排除する事に心が動かぬはずがなかった。
「そりゃ、そうなんだろうけどさ」
バーンの心を知ってか知らずか、ポップは笑う。赤く傷跡の浮かび上がる手で暑そうに首を覆うスカーフを外し、広げたり扇代わりに振ったりと行動が喧しい。
ポップが弄ぶそのスカーフは、バーンがマァムにその問いを発した切っ掛けとなったのと同じものだ。ベンガーナ王から拝領したと言う割には少々安っぽい絹地のそれは、いつしか普段着のように彼の首を飾るようになった。
杯を受けるフリをして、彼はそのスカーフに中身を吸わす事がよくある。何故そのような事をするのかは、改めて聞くまでもなかった。

再びスカーフが広げられ、とろんとなった黒い瞳が僅かに細くなった。
「なぁ、バーン…」
「…なんだ」
ポップの口元は、かすかに笑んでいる。
「知ってるか? あいつ、すっげー綺麗なんだぜ」
「……………。」
ストレートすぎるその台詞に、元大魔王は絶句した。そのまま彼はゴブレットを傾けたが、聞いてる? という視線が正面から注がれる。
「…何故、余がお前の惚気に付き合ってやらねばならん?」
心中に留めおかずに、バーンは声に出した。年少者の初歩的な惚気など、身体が痒くなる。
だが、ポップはどこかきょとんとした表情になっていた。次いで「あぁ」と口を開ける。
「違う違う。…いや、違わねぇんだけど……違うんだ」
「……………。」
バーンには最早、酔っ払いのたわごとに相槌を打つ気もなかった。そんな彼を無視して、ポップは続ける。
「あいつはさ、確かに美人なんだけどさ。俺が言いたいのは、違うんだよ……」



ポップの前には一つの風景がある。 それは、今のようにこのスカーフを広げていた時だった。



登城する都度、シミが増えていくスカーフに溜息が出る。
王から拝領した当初からは考えられないほどの、そのシミの多さ。マァムがいつも洗濯してくれるのが、申し訳ないくらいだ。
取れない汚れ。消えない跡。こうして広げて改めて見ると、どうしても気分が沈んでしまう。
王から爵位の話を聞かされてからこっち、このシミの数と同じだけ毒杯を受け取った。往来で襲われたりした事は今のところ無いが、いずれはそれも覚悟せねばならないかもしれない。
政事に関わる事を決めた以上、覚悟はしたつもりだった。無論、命を捨ててもという覚悟ではなく、命を狙われるという意味での覚悟だが。
それでも、正直ここまで敵意を向けられるとは思わなかった―――同じ、人間に…。彼らも間違いなく自分たちが命懸けで護った人々だというのに……。
幾度も出席した酒宴の席で、自分に話しかけてくる人物は皆、笑顔だった。その笑みの裏で、一体どれほどの憎悪が自分に向けられているのだろう。考えると、胸の奥がヒヤリと冷たくなっていく。

自分の功績を称え、笑顔で酒を勧めてくる彼らの顔を思い浮かべると、ふつふつと暗い想いが湧きあがろうとする。

甘かったのだろうか、自分は。親友を護るだけの力と立場を得るために、政事に携わろうとしたけれど…今迄に何が出来たかと言えば、特には何もない。逆に新たに敵を作っただけかもしれない。
……それとも、これが当たり前なのだろうか。出る杭が打たれるだけでなく、芽が出る者はその根から絶たれるのが、人間のルールなのだろうか。夢を持つ事は…友が心底からの笑顔で暮らせる世界を望む自分は、嘲笑の対象でしかないのだろうか。

世界は―――汚いものなのだろうか。このスカーフのように…?

思わずスカーフを握り締める。そんなポップに、柔らかな声が掛けられた。
「ポップ、あんまり握るとシワになっちゃうわよ」
マァムだった。どこか苦笑する風なのは、きっと自分の考えていた事に彼女が気付いているからだろう。
「…悪い。気をつけるよ」
二重の意味で謝って、彼は溜息をつく。
「……シミが気になる?」
「ああ…せっかく洗ってくれてるのに、いつも汚してきて…すまねぇ」
マァムは困ったように笑う。そっとポップの手からスカーフを取った。
「本当。目立ってるわね」
「うん……いっそ……」
「え?」
マァムが続きを聞き直す。だが、ポップはただ首を横に振った。
それは声にならなかったのではない。声にしなかったのだ。一瞬でも「いっそ捨てるか」などと思ってしまった。その事実が遣る瀬無さに拍車をかける。
テーブルに突っ伏すような格好でいる彼に、優しい声が降る。
「大丈夫よ。もう一度しっかり洗えば薄くなるわ」
「………そうか?」
「ええ」
きっぱりと言い切る彼女に、ポップは顔を上げる。
「…変わらねぇかもしれねぇぞ?」
「それでも頑張ってやる価値はあるわよ。…大切な物でしょう?」
大切な物―――その通りだ。大切だ。…とても綺麗で、掛け替えがなくて、大切なのだと、ずっと思ってきた。
「……………こんなに汚れても、か?」
その問いに、マァムの優しげな瞳が、何かを見つけたかのように明るく強く輝いた。



「汚れが目立つのは、周りが綺麗だからでしょう?」



「……ああ」
声が掠れそうだ。
「ああ…そうだな。そうだった……」
苦笑する。彼女の思い切りがおかしいようでもあり、己の悩みが愚かなようでもあった。
「そうだよ。綺麗なんだよな……」
わかっていたつもりだった。けれど改めて思い知らされる。
こんな時、マァムと自分では、視点が違うのだ。
彼女は、狭く小さな点が、広く大きな面に存在する事を思い出させてくれる。自分が闇に目を向けてしまう時、光の存在を気付かせてくれる。
「ありがとな、マァム」
微笑む彼女に、礼を告げる。

俺、お前を好きになって……本当に良かった…!!



「あいつはさ、綺麗なんだよ。綺麗なものを愛してて、綺麗なものを見つけられて、綺麗なものを…護り抜くんだ……」
呂律の怪しくなってきた青年の言葉に、バーンは頷いた。
「………なるほどな」
最初はただの惚気話かと思ったが、ポップの言は予想外に深かった。

―――あいつにンな問いは、するだけ無駄だぜ

なるほど。『無駄』とはそういう意味か。
……確かにポップの言う通りなのだろう。マァムの視点―――それは、己に都合の良い部分のみを見ているという事ではない。光以外を否定する頑迷さでもない。どれほどの汚泥の中にあっても尚、周りの美しさを忘れない強さからきているのだ。
うまく出来ている、とバーンは苦笑する。
ポップが、信じられる物を見つけようとするが故に苦しむ時、視点を切り替えさせるのが彼女なのだろう。逆に、マァムが美しさに心を許す時、潜む闇に気付いて彼女を護るのがポップなのだ。
バーンの頷きに気を良くしたのか、ポップはへにゃっと笑う。そのまま彼は、くたりとテーブルに上半身を沈み込ませた。黒い瞳には、眠気の膜がかかっている。
「おい…」
ここで寝る気か? とバーンが揺さぶろうとした時、ポップと視線が合った。
「なぁ、バーン。あいつはさ…本当に、綺麗なんだよ…」
「ああ、わかった。わかった」
「だから…―――」
言葉はそこで途切れた。目蓋が落ち、小さな寝息が取って代わる。
締まりなく眠りこける酔っ払いの顔を見つつ、元大魔王は溜息をついた。



だから…―――俺なんかでも…………



僅かに聞こえた、呟きとさえ言えない言葉。
続く言葉は何だったのだろう。知りたいが、きっと起きても彼は覚えてはいないだろう。

「…まったく。余を飽きさせぬな、貴様は……」

仕方がない。少し寝かせてやろう。どうせ、宿代も酒代もポップ持ちだ。
勘定を見た時の青年の顔を想像して、咽喉の奥で笑うと、バーンは再びゴブレットを傾けた。


(終)





本編SS『問答』の直後の一幕です。
やけに面倒見のいい元大魔王になってしまいましたが、それはさておき。
ポップとマァム。ウチのSSでは、この対比は結構出てきます。
ポップが言うところのマァムの『綺麗さ』というのは、既に確立していて、揺るがないもの。
対して、ポップのそれは揺らぐこともある。
育った環境もあるでしょうし、本人の生まれもっての資質もあるでしょうが、まぁその辺はおいおい山ノ内設定の中で書いていければいいなと思いつつ。

本来の視点が違えば、同じものをみていても、発見することが違うものだと思います。
マァムは『綺麗』を基本にしているので、『世界は綺麗で、綺麗だからこそ汚れることもある』というスタンス。もともと綺麗なんだから、頑張ればどんな汚れだって綺麗にできる。いわゆる性善説に近いもの。
ポップはそうじゃない。だからと言って、別に世界を『汚い』なんて思ってるわけでもなく。
本来、『世界なんて、人間なんて、そんなもんだろう』ってぐらいの認識だったのが、ダイやマァムと言った理想を体現したような人を身近に知ってしまった分、そうでない人達がどうしても目に付くという感じでしょうか。―――それは、ポップが自分自身にも思っていることであったりします。
ポップという理想高き男の子は、自分を変えたいと思い続けていて、だから家出をしてまでアバン先生に師事し、ついにはダイ達と出会って、自分が少しマシになれた事を自覚していて……結果、「過去の自分」というものを悲しく思っている。
自己卑下はしないから、他人の弱さもちゃんと認められる。けど、その弱さを笠に着て悪事を働くような輩には、絶望に近い気分を味わう―――そんな感じです。
なので、「俺なんかでも」という部分には、色々と想いが込められています。続く言葉は、読者様の脳内補完をお願いします。

…なんか、考察めいた後書きになってしまってますね。こんな所まで読んで下さった方、ありがとうございますm(_ _)m

('10.04.01 拍手にて発表 '10.07.28 再掲)