ダイの大冒険 SS
『勇者の信用』
その日は、とても風が強かった。
なぶられた前髪が目に入りそうになるのを、鬱陶しくかき上げる。
暑気が篭らぬように廊下の窓は開け放たれている。
こうも風が入り込むと、屋内でも外にいるのとそう変わらないな……そんな事を考えながら歩を進める。
「勉強、進んでるのか?」
それは、横を歩く青年の声。丁度彼もここパプニカに魔道書を借りに来たとかで、廊下で会ったのだ。
太陽は、西の方に傾きだしている。
「今日は、お金の仕組みっていうのを習ったよ」
「へぇ。税金とか、か?」
「うん」
昼間の授業の内容を話す少年を見ながら、青年は「大したもんだ」と笑う。額に巻かれた黄色いバンダナが、つられて揺れた。
「結構勉強してるじゃねぇか」
「へへ」
3年前までは貨幣すら必要のない島で暮らしていた少年にとって、経済関係の授業は苦手のひと言だ。
それでも、人の社会で生きるつもりなら避けては通れない。ましてや、国の中枢にいる少女を支えるつもりであるならば。
「なぁ、国債ってわかる?」
「あん?」
「次に習うところに書いてあったんだ。でもオレ、そんなの聞いた事なくて……」
そういうことか、と青年は頷いた。
「国債ってのは、国が資金の不足をまかなうために負う金銭の債務の事だ。狭い意味では、国債証券の発行を伴うものを国債っつって、伴わないものは…借入金っつーんだよ、確か。んで、普通は発行した債券そのものを………おい?」
「えーーと……」
「……要するに、国の借金だ」
「ああ、なるほど!」
両手をぽんと鳴らして、少年は納得する。青年のため息は無視することに決めた。
「国も借金なんてするんだね」
「まぁな。国だろうが、個人だろうが同じだ。急に金が要る事もあるからな」
青年が笑う。同じかぁ、と少年も笑った。
「じゃあやっぱり、借金できる額も違ってくるのかな?」
「ああ、同じだな。誰も信用のない奴には金は貸さないし、信用のない国もそうなるだろうさ」
ま、詳しい事は、今度先生に聞いてみな。
そう言って青年が笑うのを見て、ふと彼は立ち止まる。
「信用かぁ………」
ぽつり、と少年は呟いた。
「…どうした?」
青年が訊く。
「オレは信用あるのかなって思って……」
少年の呟きは疑問の形を取っていたが、固い笑みがそれだけではない事を物語っていた。
「ほら、オレは勇者って言われてるけどさ、いまは敵もいないわけだし。それに…半分人間じゃないし……」
呟くと、青年の眉が跳ね上がった。
ああ、ありがとう。
少年は、親友を見上げる。いつも、自分のために怒ってくれる青年の表情、それをどれだけ頼もしく感じる事だろう。
「…………信用あるだろ。充分。命懸けで地上を救ってくれたお前を信用しない奴なんて、いるもんかよ」
そもそも、と青年は少し怒った声で、少年を見つめて言う。
「信用なんてもんは、交換条件じゃない。自分に対して何かをしてくれたから信じる、してくれなかったから信じない、そんなのは信用や信頼とは言わねぇ」
「………。」
「大事な事は、お前が普段からどんな行動をとってるかだ。立ち居振る舞いや言葉遣い・姫さんや俺や、皆に対する態度―――そういうものを見て、人は判断するんだよ。お前がどんな奴で、信頼に足るか足らないかを」
「うん…」
それでも……
どうしようもなく襲い来る不安。親友の言葉の正しさを充分に承知していても、なお求めてしまう更なる信用。自分が人間を好きなように、人間にも同じだけのそれを望むのは、ただのワガママだとわかっているのに………
世の中の仕組みを少し勉強して、わかった事がある。それは、世界は…いや、人の社会は信用によって成り立っているという事だ。
物品の売買にしても、金の貸し借りにしても、国と民の関係にしても―――全部。
だが、その信用は『人』においてのみ無条件に付与されるものだ。
ならば、自分はどうなのだろう? 半分は人でない者の血をひく自分は、その輪の中に入る事を許されるのだろうか?
「……バカにまで信じてもらう必要なんてないと思うけどな」
それは、青年の言葉。
「小っちぇえお前が、どんな想いで、どんなに苦しみながら大魔王を退けたか。それをゴメに伝えられても、まだわからねぇアホなんて、ただのカスだろ。俺なら、んなクズにまで理解してもらわなくったっていいって思うぜ」
どんどん貶し言葉のレベルが上がっていく親友に、少年は苦笑した。
彼に言われると、何でもその通りなんだと思えてくるから不思議だ。それは、彼がこの世界で一番の魔法力の持ち主で、何気ない言霊全てにも『力』があるからだろうか。
……そうじゃない。
自分が親友の言葉を信じるのは、それこそ信用しているから。彼だから。彼の言葉だからこそ。
「勇者とは勇気ある者。その勇気をもって人々を照らす者」
―――詠うように親友は言い、苦笑する。
「この意味が通じる奴ばっかなら、お前もこんな風に悩むこた無いんだろうな」
その笑いは溜息に似ていた。
「…けどまぁ、どんな奴らでも、お前が『勇者さま』になる時は、お前の事が大好きになるんだろうな」
どこか投げたような声で、彼は言う。
「そうだね。『勇者』の定義は魔王を倒すことだもんね」
再び地上に危機が訪れた時、きっと自分も再び剣を取る。人々の信頼を背に受けて。
強敵の前には、人の心は一つになる。その強さと凄さを、少年は3年前に目に焼き付けていた。
「…まぁな」
青年はぽつりと返事をした。
通る者とて無い廊下。その返事を最後にしばし沈黙が訪れた。
窓の向こうで夕日が沈む。
太陽の恩恵を当たり前だと思っていたり、勇者なら敵に勝つのは当然だと思っているような人間は、確かに存在する。それも相当数。だからこそ、そうでない人々の存在が有り難い。
そして、人間が好きという事は、そういった清濁の全てが好きだという事だ。だからその想いを信じてもらいたいと渇望してしまう。
青年が頭を撫でてくれる。
昔から彼はしょっちゅう自分の頭を撫でるなぁ、と今更ながらにふと思う。そして、自分がそんな風にされるのが大好きな事にも、今更気付いた。
「次に魔王が現れたらさ、さくっとやっつけちまえよ。そしたら、お前の事を疑ったりする奴なんていなくなるさ」
ああ、またそんな事をあっさりと言ってくれる。自分は笑うしかない。
「ダイ」
不意に名を呼ばれた。
開け放たれた窓から、風が入り込む。差し込む落日に照らされて、青年の緑色の法衣は黒く染まって見えた。
「約束しろ」
「…え?」
「お前には、勇者としての人生が似合ってるんだからさ。その道を歩くって、俺に約束しろよ」
「そんなの…簡単に言わないでくれよ。オレ…オレは、もちろん努力はするけど…」
「いいから」
「……わかった」
うん、と青年は笑う。
「お前には、迫害される未来なんて似合わねぇよ」
笑っている…ようだ。西日がきつくて、彼の顔はよく見えない。
「次にどんな奴が魔王として現れても、勇者ダイ、お前が倒してくれよ。それで…、永遠に皆の勇者でいてくれ」
「わかった。約束するよ」
それが信用を得るためならば。
どんな人々の事も、大好きなんだと言い続けたいのならば。
それが、親友が求める約束ならば。
いまや完全に逆光となってしまって、親友の姿は真っ黒だ。
「それでいい」
親友が再び頭を撫でてくれる。
その手が、なんだか震えているような気がした。
「ポップ、寒いの?」
「……いいや?」
窓から吹く風は、とても冷たい。
日が、落ちた。
(終)
ちょっと、「よくある最悪な展開」ぽく書いてみましたが、いかがでしょう?
このあとどうなるかの解釈は、読者様のご想像にお任せします。
それにしても、ポップとダイの友情って素敵ですよね。山ノ内が書ききれているかどうかはともかく。
「よくある最悪な展開」=ポップ魔王化です。
ダイが決して迫害されないように、自分が悪役になるという一つの未来。
既に他所で書き尽くされて今更だよな感じバリバリ既視感が溢れていますねー。とりあえず流行?に乗ってみました。
ポップとダイの絆を原作で知ってる人からすれば、『無いとは言い切れない』という所がこのジャンルのミソですよね。
でもウチでは書きませんよー。匂わすだけです。『魔王ポップ』は他のサイト様でいくらでも素敵な話がありますから、それだけでお腹いっぱいです。
わきみちのポップは、『問答』でも書きましたが
【ダイが笑って暮らせる世界を、マァムが泣かない方法で作る!】が目標です。
そんなわけで、わきみち本来の流れから外れておりますので、今回の再掲にあたり、別部屋の方にUPしました。
んー…て言うか、こう言ったらナンですが、この話を読んで即座にポップ魔王化に結びつく人は、きっと何度かそういうのを想像した事がある人だと思う。あくまで私的意見ですけど。
だって、『そういうルート』を考えた事がなきゃ、
「新しい魔王が出てくる予感に、ポップはその戦いへの覚悟をダイに話したんだろうな」
ぐらいの感想になると思うんだ。手が震えてるのだって、生来、ポップは臆病者だし。
違ってたらスミマセン(汗)
こんなとこまでお読み下さり有難うございました。m(_ _)m
('09.11.16 再掲)