ダイの大冒険 SSS
『絵本の向こう』
廊下で会ったのは、この国の女王陛下。
彼女はポップの持つ大量の本に苦笑しながら手招いた。
「寄ってきなさいよ、ポップ君。お茶くらい飲む時間あるでしょ?」
今から休憩なのという言葉にポップは甘える事にした。
「また沢山借りたわねー」
本の山を見上げて、呆れたようにレオナは笑う。数多の書物の背を順に見ていた彼女は、ふとある全集に首を傾げた。
「どした? 姫さん?」
ポップはお茶をすすりながら尋ねる。
「これ、絵本じゃないの?」
彼女が指したのは、確かに子供向けの絵本。
古びているために、他の魔導書や政経関係の本の装丁と余り変わらないのだが、タイトルを見れば一目でわかる。
なんで貴方がこんなの読むのよ? との訝しさを全開にしたレオナの視線に、ポップは苦笑する。
「村の子供らに読むんだよ。字のお勉強のついでだ」
ああなるほどとレオナは笑う。彼と彼の恋人が、村の子供らに囲まれて、お伽話を語る姿―――容易に想像できるその光景は、どれほどの困難と覚悟をもって報われた、貴重な光景であることだろう。
「一冊だけじゃつまらねえだろ。だからゴソッと引き抜いてきた」
女王の好意でこの国の図書の貸し出し制限を無視できるという、ささやかな特権を行使した大魔道士は、お茶を飲みつつ笑った。
古い絵本は一冊だけではなく、かなりの冊数があり、全集の形式になっていた。
幼い頃を思い出しながらタイトルを見ていた女王は、一つ一つの感想を大魔道士に聞かせるわけでもなく呟いては微笑んでいたが。
「あ…これ……」
ふと、懐かしさに苦い響きが加わったのをポップは聞き逃さなかった。
「姫さん?」
「…私、これは嫌いだった」
「どれ?」
レオナは背のタイトルを指さした。
『人魚の姫の 人の王子に恋する物語』
「…正確には、嫌いだったんじゃなくて『嫌いになった』かしらね」
「…………そうだな。俺もだよ」
二人は苦く笑う。
わかっている。互いが思い描くのは、ただ一人の少年。
頬に十字傷を持つ、年若い竜騎士。人ならぬ者の血を引く、奇跡の存在。
けれど、その存在がぬくもりを以って世界に認められたのは、残念ながら彼の人生の初めからではなかった事を、二人は知っている。
彼らが眉を顰めた物語は、悲しい。
初めにその物語の型が出来上がった時、編者は何を思って書いたのだろう。異なる者同士の交流を戒めるつもりだったのか。それとも人間の他種族への優位を説きたかったのか……。知る術もない理由を無駄だとわかりつつ考えずにはいられない。
「…この本だけ、返しておく? 私も後で図書館に用があるから、手続きしてあげてもいいわよ?」
身分制度などというものを感じさせない、友としてのレオナの言葉に苦笑しながら、ポップは首を振った。
「いや……いいよ」
返事は短く、けれど、強い何かが宿っている事に彼女は気付いた。
「読むの?」
「ああ」
子供は素直だからな…と彼は呟いた。
「俺らも最初はそうだった筈だぜ。『なんで人魚のお姫様は消えちゃったの?!』『なんで王子様はわかってあげないんだ!』って泣きながら怒った」
「そうね…」
レオナはポップの意図を察して頷いた。
幼い心でしか学べない事もあるのだろう。いつしか、その悲しさと怒りは世界にゴマンとある事を知り、諦める事の大切さも身を以って受け入れるけれど。
それでも、その痛みは無意味なものではないのだ。
こつんと二人は拳を作り、軽く合わせる。
それは3年前の少年と少女のものではなかった。当時よりもずっと広く大きくなった、男と女の手だ。
掴めるものは未だ少なく、けれど確実に増えている。
「…大丈夫だって。俺は、俺らの努力を泡にするつもりはねえ」
「…ええ。私も悲恋は御免だものね」
二人は笑う。苦く、けれど不敵に。
掴みたいのは絵本の向こう。
(終)

『人魚姫』は素晴らしい話です。そして結末は大嫌いです。
小さい頃、何度読み返しても報われない彼女の恋に泣きました。
努力や真心が正しく報われるなら、この世の悲しみは半分減るでしょうが、
現実には無理な事もあるのだと、絵本には教えてもらいました。
だから、『マンガや小説だからこそハッピーエンドに』を念頭に
話を書くようになった自分がいます。
('09.05.08 UP)